第30話 それぞれの戦い (10 〜手掛かり)



 時刻は昼もいい頃だというのに、このムーンライトマンションの街には、長い薄闇が広がっていました。
 街の入り口や家々の窓には柔らかな明かりが灯り、それは闇を払うと云うよりは、その闇をも温かく迎え入れて抱きしめるような、そんな優しさを感じさせます。
 しかし、そんな温かな光も、どこまでも届くというわけではありません。
 ふと路を外れ、屋敷と屋敷の間、暗い隙間に迷い込んでしまえば……どこか空気のひんやりとした、深い闇が口を開けています。
 そんな闇の中の方が、心が落ち着くという人たちの為に……そんな闇を楽しむための施設を集めた界隈が、この街にもいくつかありました。
 その中の一つの、古びたバーに片隅に……その男は、座っていました。
 屈み込むように折れ曲がった小さな背中は驚くほど薄く、その赤いローブの下には、筋肉や脂肪も無い、ほとんど骨と皮だけなのではないのかというくらい、病的に痩せ細った肉体だけがありました。大きなブーツと皮の手袋を着込み、首の一部と顔以外、肌はまるで見えません。その肌は青白く、見ている方が心配になるくらいです。一見して、彼の風貌と大きな三角帽子、そして腰に入れられた青いロッドから……彼が、魔法使いという人種であることがわかりました。
 濡れたように黒い髪を、寝起きのようにボサボサさせながら、その長い前髪の向こうに、金色に輝く片目と、闇のように黒い片目が見えました。不機嫌な狐のように細めた視線を動かすこともなく、彼は黙々とスノー・スタイルのカクテルを飲み、彼の前ではこの店の主人が、少しビクビクしながらシェーカーを振るっていました。
 ……そう。
 この店の主人は、彼がこの店を訪れた時……思わず、そして、彼の“身長”からしてみれば、至極当然の言葉を……口にしてしまったのです。
「……あのぉ、ここは酒屋なんでねぇ。子供はちょっとお断りしてるんだけど……」
 ……と。

 ――――カラン…

 ドアベルが鳴り、ギイッと、扉が軋みます。店の主人は、この客から意識を逸らせるチャンスを待っていたかのように、勢いよくそちらを振り向きました。
「いらっしゃ、」
「おあだぁッ!!」
 ガズン!
 ……ドアが軋む音と同時に響いたのは、入ってきたその男が、盛大に鴨居に頭をぶつける音と、男の間抜けな叫び声でした。
「いっつぅ〜……誰じゃ、こんな低ぅ造りにしよったんわ!」
 よほど強くぶつけたのか、赤いアトのできた額を押さえつつ、待っていた彼の方へと、男は真っ直ぐ歩いてきました。彼は、男の様を見ながら小さく苦笑し、さっきの衝撃のせいでヒビが入ってしまった店の扉を、目を丸くして見つめる店の主人に呟きます。
「フン……その男には、“子供お断り”とか言わないのラなぁ?」
 ……毒のこもった皮肉に、主人はすごすごと店の奥へと引っ込んでしまいました。
 それと入れ違いに、その扉破壊男が、……その、扉の鴨居に頭をぶつけない事の方が難しいのではないか、というくらいの立派な巨体を窮屈そうにさせながらも、可能な限りリラックスした姿勢を取りながら、どっかりと隣に座りました。
「……なんじゃ、あのおっさん妙にビビっとったのぉ。おどれ、何かしよったか?」
 男の疑問を聞きながら、にやりと唇を歪めて、彼は悪戯っぽく笑いました。……悪戯っぽく笑っていると見えるのは、彼の性質を深く知っている、本当にごくごく一部の人たちだけでしょうが。それくらい彼の笑顔は、「悪戯」など生ぬるい、凶悪な空気を漂わせていました。ラララララ……と、歌うように囁きます。その声はどこか涸れていて、まるで病人のようでした。
「別に……ただ、私の姿を見るなり“お子様は来るな”、などと失礼なことを抜かしおったかラ、少しお灸を据えてやっただけラ。全く、この私の方がよほど歳上だろうのに……失礼極まるラ。」
 その返答に、隣の男はカラカラと笑います。男はその大きな掌で、彼の頭を帽子ごと撫でました。彼の小さな頭などすっぽりと収まってしまうくらい、男の掌は大きく、そして帽子と髪越しでもわかるくらい、その掌は温かでした。ぐしぐしと撫でられる度に、彼の華奢な首が軋みます。喉から、少し変な声が溢れました。
「ラ・ラ・ラ・ラ…!」
「カッカッカッ、ワシぁ笑い話を聞かせい言うた覚えはないんじゃがのぉ!
まぁ、しゃあないわな、この身形じゃあワシだってこいつぁガキじゃと思うからの!カッカッカッ、しっかしお子様かぁ〜……おもしろいのぉ、シミラ!」
「えぇい……黙れッ、ミラクルマター! 私はガキじゃないラ、立派な魔術師ラ!!」
 からかうように頭を撫でるミラクルマターの手を、必死で振りほどこうとしますが、この体格差と力の差は、どうしようもありません。ロッド以上重たいものは持てやしない貧弱なシミラと、やろうと思えば地球でも持ち上げられそうなミラクルマターでは……正しく、大人と子供でした。
 姿も、性格も、まるで正反対で、どうにも凸凹しているこの二人こそ……今の銀河で他に並ぶ者のない程の力を持つ、戦艦“タワーズ”のリーダーにして、最強の男であるミラクルマターと……彼が見初め、そして部下に引き込んだ、軍を裏から支える稀代の魔術師……シミラでした。
「ラ・ラララぁっ……や、やめッ………悪酔い…する……ッ!」
「なんじゃい弱っちいのぉ! ほぉーれほれほれ」
「や、やめろラぁぁっ…!ホントにやめろラ、この馬鹿者!!」
 ……今は、こんな風にしか見えませんが。

「……んで、店長どっか行ってしもぉたんか? 酒はどないすんじゃ?」
 何事もなかったかのように、ミラクルマターはけろりと言います。隣では、気持ち悪そうにうずくまるシミラが、五月蠅い、とか、黙れ筋肉達磨が、とか、殴るぞこの野郎、とか、そういう言葉を飲み込みつつ……ひょいと、指先を軽く動かします。
 するとどこからか、ふわりと一升瓶が漂い来て……ミラクルマターの前で、スッと止りました。分厚い瓶の中身をたっぷりの酒でいっぱいにしたそれを、ミラクルマターは嬉しそうに手に取ります。
「飲むがいいラ……足りなかったラ勝手に持っていってしまえばいい。金なラあるのだしラぁ……ゆっくりさせて貰うとするラ。ていうか、ゆっくりしないと私の自律神経が持たない……」
 酒瓶を片手に抱えながら、ミラクルマターはもう片方の手で、シミラの背を撫でてやります。難儀そうにその手を振り払うシミラを、温かく見つめながら……ミラクルマターは、けれど……どこか感情の失せた、冷たい理性の鎧をまとった目で、少しだけ微笑みました。
 その理性の鎧の下には……触れれば逃げ出したくなる程、激しい熱がありました。
 怒りにも似た、衝動にも似た、名前を付けることも出来ないその激しい熱が……ミラクルマターの深い場所を、火の川のように流れていました。
「……そうしたいのは山々じゃが、今回はちぃと、急用がある。」
 彼の声に滲み出た、その僅かな感情の熱に、スノー・スタイルのウォッカを飲んでいた痩せた腕が……全ての動作を止めました。
 訝しげに眉を寄せながら……シミラは、ゆっくりと振り向きます。
「……何か、あったのかラ…?」
「その為に、おどれの力を借りに来たんじゃ。のう……ワシの、片腕。」
 一息で瓶丸まるの日本酒をラッパ飲みしたその唇で、ミラクルマターは笑いながら言います。
 けれどその目は、たとえ一晩酒に溺れたとしても、決して酔えはしないのであろう、強い、理知の光を湛えていました。
「…………。」
 チビチビと飲み進めていたウォッカをじっと見つめた後……シミラは、それを一気に喉へと流し込みました。
 塩と酒で濡れた唇を、革手袋の甲で、乱暴に拭います。
 ミラクルマターへと振り返ったその顔には……好奇心に燃える、満面の笑みがありました。
「……話は聞いてやる。まずはそれからラ……ミラクルマター。」
「ハッ、相変わらずの態度じゃなぁ。それが上官に向ける言葉かの?」
「敬語で喋って欲しいなラ、そうしますが? ミラクルマター“閣下”。」
「ワハハハハッ、閣下とはよく言うのぉ!
…………めちゃくちゃ気色悪い。」
 二人は、声を合わせて笑いました。
 抑えられた照明の、薄暗い灰色の天井に、二人の影が揺れながら吸い込まれます。
「手掛かりじゃ。」
 一瞬でその顔から笑みを消し、ミラクルマターが言い切りました。
 シミラは、赤い舌でその唇の端を舐めながら……僅かに目を細めます。
「手掛かり?」
「そうじゃ……今のワシは、それが欲しい。
辿り着かねばならんのじゃ……“フォーカード”へ。特に……――――」
 ドンッ!
 酒瓶が、テーブルの上に叩きつけられます。ビシッ、と、水晶の糸のようなヒビ割れが全体に張り巡らされ、それは今にも砕け散りそうでした。
 ……スッ
 ミラクルマターの掌が、酒瓶を離れます。
 瓶は、全身にヒビの紋章を浮かべたまま、倒れもせずに立っていました。
 何か少しでも触れれば、一瞬で弾け飛んでしまいそうな危うい均等の上で……それは、ただ少しの酒を、その匂いを立ち昇らせながら垂れ流しているだけで……今だそこに、確かに存在し続けていました。
 ミラクルマターはその向こう側で、血の色の眼に計り知れぬ感情を湛えながら、続けます。
「“ハートのエース”じゃ。」
 ……シミラは、その目をじっと見つめたまま……静かに、静かに笑っていました。
 ミラクルマターの言葉に、満足したかのように……そして、彼の言葉を、待っていたかのように。
「触れたか……“エース”の影に。知ったか……“狂気”の力を。」
 瓶から漏れた僅かな酒に、そっと指先を浸しながら……シミラは、一言ずつ呟きます。
「我らが捜していたマルクという少年……その少年の内部に潜む狂気の悪魔……
悪魔が属する悪夢のピラミッド……その頂点を護る四体の魔獣……“フォーカード”。
それぞれに与えられしは、並ぶ者無き究極の力。そして、醒めること無き永遠の悪夢。
四つの印、四つの個体、そして奴らは、四つで一つ……――――全ては、魔王ナイトメアの為に。」
「ハハッ……胸くそ悪ぅなる呪文じゃな。ほとんど……呪詛じゃ。」
 ミラクルマターの言葉にも、シミラは顔色一つ変えません。
 恍惚にも似た微笑を浮かべながら、シミラの指先が四つのマークを描きます。
 ……スペード。
 ……ハート。
 ……ダイヤ。
 ……クラブ。
 それは、悪夢の四つのシンボルマーク……
 魔王ナイトメアが選んだ、その配下たる魔獣達に与えられる支配の証。
 そして“エース”とは、それぞれのマークの頂点に君臨する者の称号。
 四つのマークに一人ずつのエース。その四枚のエースを総称した呼び名……

 フォーカード。

 ……テーブルに咲いた四つの印をそれぞれ指さしながら、シミラは続けます。
「スペードのエースが、“破壊のアンタレス”。
ハートのエースが、“狂気のマルクォール”。
ダイヤのエースが、“美貌のシルバーアイ”。
そしてクラブのエースが、“虚像のダークマインド”……
……ダークマインドは、この鏡の国の支配者でもあるラ。奴は、この国を支配すること以外に何もできない。そして……この国の中でだったら、奴は全知全能の神でいラれる。」
 ミラクルマターは面白くもなさそうに、眉をひそめます。
「自分のお庭でしか遊べんとは……そりゃ、さぞ退屈なことじゃろうな。」
「違いないラ……。ラララララ、愚かな女よ、ダークマインド……“女神”の模造品として創られておきながら、“女神の出来損ない”としか生きられぬ……」
「フン。」
 ミラクルマターは、笑いもせずに言いました。
「神を名乗れるだけの力を持ちながら、自分の城から出もせんのなら、そりゃ、己の肩書きに満足しとるっちゅうことじゃろう。
つまらんな。上も無けりゃあ、下も無い。どこまで行っても同じ世界で、よくもまぁ飽きんことじゃ。」
 シミラの乾いた笑いが、その言葉に重なりました。
「今日のミラ様は、よく喋ることラ……――――」
 ……フフッ
 ミラクルマターは、酒を飲み始めてから初めて……心底からの優しい気持ちを込めて、その微笑みを浮かべました。それはほとんど、苦笑にも近い……どの側近を含めても、おそらくシミラにしか見せないような、そんな小さな笑みを……ただ、唇に浮かべていました。
 その微笑に、返事をするかのように……シミラは、透明に濡れた4つの印の中心に、とん、と指を乗せました。
 びしっ…
 ヒビ割れた酒瓶に、更なる亀裂が生じます。
 その亀裂は一瞬で広がり……まるで透明な膜に包まれたかのように、瓶全体の質感が変わりました。
 サラッ…――――
 瓶が、砂のように、崩れます。
 それは、風のようにキラキラと舞いながら……ミラクルマターとシミラを取り囲むように、複雑な陣の形を描いてゆきました。
「念には念を、ラ。この円の中にいる限り、声も動作も外に漏れん。密談にはもってこいラ。」
 ガラスの粒子が魔法陣と呪文を書き出し、内側に結界が築かれてゆきます。ミラクルマターにも、その魔力の圧力がわかりました。圧力を放ちつつも、その結界は決して、内部の人間を害することはありません。
 シミラが最も得意とする、結界魔法の一つでした。
 ミラクルマターは、満足そうに笑います。
「やりやすぅなったわ。さぁて……」
 結界によって、切り取られたようになったテーブルの端に、軽く肘をつきながら……ミラクルマターの目が、覇者の色合いを浮かべました。
 王者の如きその風格に、気圧されることもなく……シミラは、楽しげに目を細めます。
『……相談を、続けようか。』
 どちらともなく、二人はそう囁きました。





 ――――……時は同じくして、場所も同じく、薄闇広がるムーンライトマンションの某所に……
 暇そうに両足をぶらつかせる少年の姿と、その少し後ろから、生気のない目をじいっと外の景色に向けているだけの、長身の男の姿がありました。
「あーあぁ……ヒマだよう。グリル様、いつになったら帰ってくるのかなー?
ねー、サスケ?」
 少年……ネペレーは、振り向きながら語りかけます。しかしサスケは、少しだけネペレーに視線を移すだけで、返事をすることもありません。彼は、悪夢の呪いにより、喋ることができないのです。また、彼には思考の自由さえ無い。僅かな自我はがんじがらめに束縛されていて、その本来の人格さえわからないくらいでした。
 ネペレーは、微かな溜息を吐きながら、街明かりに視線を戻します。

 今、二人がいるのは、ムーンライトマンションのほぼ全景を見渡せるくらいの高台にある、大きな屋敷……廃墟となった、大きな屋敷の上です。
 瓦礫と土が本来の家屋のパーツと混在したそこを、入り組んだ木の根が浸食していて、その屋敷を呑み込むかのように聳え立った大きな樹の上に、二人は居ました。
 光の少ないこの土地柄に合わせるように、独特の進化を遂げたその木葉の、見覚えない色の木陰に紛れてしまえば、外側から、この葉の渦に隠れた二人を見つけることは、簡単ではありません。しかし逆に、内側から外を眺めることは容易という、隠密にはもってこいの地形でした。
 ネペレーの白く豊かな髪に、模様のような光と影が浮かんでは流れ、波のように形を変えてゆきます。
 その髪は、それこそ最初はただの毛髪でしたが……腰から下、更に下へとさがっていく毎に、質感が変化してゆくのがわかります。それはまるで……雲のように。毛先など、ほとんど空気に溶けて、見えなくなってすらいます。触れれば、指が透けてしまいそうでした。
 その長い髪に抱かれるような身体は、彼の得意とする機敏な働きとは裏腹にも、不自然なほど痩せており、焦茶色の肌も健康的というよりは、どこか不可思議な色合いを放っていました。顔中に小さなツノが生え、胸には巨大な水晶のような“目玉(コア)”が、薄紫の淡い光を漏らしています。異形……としか呼べぬ、そんな風貌の彼の瞳は、けれど年頃の少年そのままの、無邪気なほどの明るさと退屈を持て余しながら、左右で白目の色が違うオッドアイを、しぱしぱと瞬かせていました。
 その次の瞬間、彼はいきなり弾かれたようにふわりと浮かび、サスケの方へと身を乗り出します。その、重力すら感じさせない素早い動きでいきなり顔面間近まで迫られ、サスケは逃げることも出来ずに、僅かに身じろぎするばかりです。“雲の精”ネペレーは、輝かしい笑顔を浮かべながら、叫びます。
「ねぇねぇっ! サスケ、あんたって確か花火職人だったよね?
オレっちにも花火見せてよ!キレーなんでしょ!?オレっちの稲妻とどっちがキレーかなー!?
ねっ、見せて見せて!今すぐ!ねーねーねー!!」
「…………――――っ」
 突然のおねだりコール。おろおろと逃げ場を探しますが、ここは高い木の上。ふわふわと浮くことの出来るネペレーならまだしも、ただのヒトの身体であるサスケには、少々動きづらい場所でした。ネペレーは何の遠慮もなく、ずずいっとサスケに迫ります。
「ねーぇー、ヒマなんだよー! かまってよぉサスケぇ!!」
「……ッ、……」
 嫌だ、と言うことさえできないこの口を、サスケは僅かに憎みました。だからといって、この場所は花火を打ち上げるには危険ですし、グリルの命令で待機している以上、移動することもできません。大体、隠れるためにこの木葉の中に居るというのに、花火のようなデカい音と光を放つものを打ち上げて、どうしようというのでしょうか。
 じりじりじり。
 ネペレーは、サスケの葛藤を知ってか知らずか、徐々に徐々に距離を詰めていきます。サスケがまた一歩、後ろに下がりました。
 ぐらっ
 木の枝が軋み、慌てて体勢を立て直します。戻ることも……進むこともできない。ネペレーの方に視線を戻すと、興味津々の笑顔が満面に満ちていました。
「ねぇ、断るわけ?
じゃあさぁ、オレっち、サスケで遊んじゃうよ? サスケはー、落っこちないように避ける係。で、オレっちはサスケを落っことす係!
スリルあるよねぇ、ここ高いから。ねぇ、花火がダメならさ、そういう遊びをしようよ!」
 目を見開くサスケを前にして、ネペレーの笑顔は、曇ることもなくただ輝きを増すばかりでした。
 魔獣ネペレーの痩せた掌に、電気の渦が集まります。

 バチッ…バチバチッ… バチンッ――――

 金色の光が白い閃光を帯びて爆ぜ、空から撃ち落とされる稲妻のエネルギーもそのままに、強力な電気の刃が構築されます。
 吸い寄せられるような磁力の風を帯びたそれは、熱を込めて、サスケへと向けられました。
 目も眩むような白い光に激しく眉を寄せながら……――――、サスケは、己の武器である黒い拳銃へと、僅かに掌を添えました。
 電気の刃と黒い銃口が、いつでもお互いの首を狙える。
 そんな刹那――――
 彼女の、呆れたような声が降り注ぎました。

「……何をやってるんだ。お前達。」

 ネペレーはパァッと笑顔の花を咲かせて、声のした方を振り向きます。
 グリル=リルゼンは憮然とした表情で、狭い木の上で睨み合っていた二人の姿を交互に見つめました。
「全く……喧嘩なら、仕事が終わってからにして。迷惑だよ……」
「だってグリル様ぁ!オレっちもうヒマでヒマでヒマでヒマでヒマでヒマでヒマで!!」
「うるさい黙れ。」
「サスケはかまってくれないし!!」
「そういう命令はしなかったからな。」
「グリル様おっそいし!!」
「ボクに喧嘩売ってるのか?」
「おねだりしても、サスケは花火見せてくれないしー!!」
「…………花火?」
 グリルはここで、生返事だった声のトーンを僅かに落とし、うつむいているサスケの方に目を向けます。
 そして、彼女は合点がいったかのように、ああ…、と、嘲笑も顕わに微笑みました。
「そうだったねぇ……あんたは、確か花火職人として引き込まれた魔獣だった……
今じゃぁもう、花火なんか作ってないのかと思っていたが……そういえば、デデデ城を襲ったときも、花火の真似事をしていたね。
……昔、任務で失敗していながら……よく飽きもしないものだ。
その根性には、敬服するよ。……それとも、」
 グリルは、スッと、サスケの顔を覗き込むように、彼の懐に入り込みます。
 ネペレーの時とは違う……一分の隙もない、無駄もない、そして、逆らいがたい力の圧力に気圧され、サスケは小さく身じろぎました。
 にやりと、グリルは笑います。
「魔獣になる前の過去の自分と……今の自分とを繋ぐ唯一の記憶の糸に、縋りたくて仕方がないのかな?
だとしたら、君はボクが思っていたよりも……ずっと頭悪くて、愚直だね。サスケ……」
「………………。」
 サスケは、ただ目を伏せ、否定することもなく、ただ黙って聞いていることしかできませんでした。
 グリルはネペレーの方を振り向き、激しい声を浴びせます。
「ネペレー、お前もだ。魔獣の矜持を失うこと無きよう! 過去も思い出も、己の命も、全ては魔王様への供物だ!!」
「はっ、はいっ!!」
 背筋をピンと伸ばしながら、弾かれたように答えます。
 しかし、ふと……ネペレーは、思わずこんな疑問を口にしてしまいました。
 それは、本当に思わず……思わず思い浮かんでしまったもので……しかし、ネペレーにもし無邪気な感性ではなく、聡明な頭脳が備わってさえいれば、決して口にはしなかったであろう問いでした。
 ネペレーは、おずおずと口を開きます。
「で、でもさぁグリル様……――――
魔王様って、もう、死ん」

 ズンッ…

 ネペレーは、言葉を飲み込みました。
 もっと早く飲み込んでいればよかったと、後悔する暇もありませんでした。
 ――――グリルの箒の柄が、ネペレーの真横を貫き、後ろの、太く堅い樹の幹から、透明な樹液を滴らせていました。
 ……つぅ、と、ネペレーの頬に、深い血の筋が浮かびます。
 恐怖と血液が、彼の全身に、ドッ、と、広がりました。
「金輪際、魔王様にそんな口をきくな。」
 グリルの声は怒りで冷え切り、その低い声は身も心も凍らせる程でした。
 ゆっくりと……
 ゆっくりと、グリルの影が、ネペレーから遠ざかります。
 半開きにした口を、閉じることも出来ぬまま……ネペレーは、呆然と立ち尽くしていました。
「二度目は無いと思え……ネペレー。」
 スッ…
 箒を、大木から抜き取り、一瞬で己の掌の内へと納めました。
 へたへたとその場に座り込み、今感じた恐怖を心に刻みつけながら……ネペレーはただ壊れたように、何度も頷くことしかできませんでした。
 グリルは再びサスケの方へと視線を戻し、強い口調で言いつけます。
「我らが使命への手掛かりを得た。まず狙うは、少年マルク!
マルクは、あのミラクルマター軍も狙っている……奴らは少々面倒だ。鉢合わせた時は油断するな!!
サスケ、お前はボクのボディガードとして暫く同行してもらう。そしてネペレー、お前はマスタードマウンテンへ!!」
「…あっ、はっ、はい!!」
 勢いよく立ち上がり、すぐさまマスタードマウンテンの方向へと飛び立ちます。
 よろよろと飛んでいく白い雲の姿をじろりと睨みつつ……グリルは、硬い表情で呟きました。
「……確かに、魔王様は今、いない……
だが、魔獣である我らが今生きていることそれ自体が、悪夢(ナイトメア)の終焉はまだ遠いということを知らせている。
ボクらの存在理由を忘れるな。ボクらは、悪夢の中でしか生きられないということを……――――」
 それは、サスケへ向けた言葉というよりは……自分自身に言い聞かせるもののように、虚空へ向かって響き渡りました。
「……行くぞ、サスケ!」
 箒に乗って飛び立ちながら、グリルは強く叫びました。木々と瓦礫の間を跳ぶように走りながら、サスケの姿がそれを追います。
 宵闇に浮かぶ淡い街明かりをすり抜けながら、二人の影が街灯の向こうへと沈んでゆきました。