第29話 囁き



 真っ白な壁が、聳え立っていました。
 ……いえ、それは、壁ですらなかったのかもしれません。この空間の果てへと続く……果てしなき果てへと続く、荒涼とした無限の広がりであり、同時に一切を呑み込み消去しようとしかねない、そんな、“白”の壁、“白”の世界です。
 その世界の中心に、一本の樹が立っていました。
 ただ白く、連綿と続く虚無の世界の真ん中の……大樹を中心としたそこだけが、手で触れば質感がわかる、そこに確かに存在しているという、正しく“存在感”が感じられる場所でした。
 樹を中心に、そこには格子窓と、同じく鉄の質感を漂わせる、堅牢な檻のような扉、それらを包む白い壁と白い床、があり……その床の上には、何十冊もの絵本が広げられていました。絵本だけではありません。絵本とはまるで対極の印象を与える、いかにも分厚く難しげな小説や哲学書、魔道書、辞書や医学書、図鑑、詩集から、果ては漫画や雑誌まで、ありとあらゆる書籍という書籍が、その床に無造作に敷き詰められ、重ねられていました。これらの中には、おそらくほとんど、もしくは一度も手を付けられていないであろうもの、逆に、何度も読み返し、好きで側に置いているのであろうものまで、ありとあらゆる蔵書が点在していました。
 特に、樹の根本に近ければ近いほど、この部屋の主でありこの城の主でもある少年の好意を受けているのであろうことが、感じ取れます。それほど、そこにある本にはそれぞれ愛のこもった眼差しと指の質感が加えられ、愛を込めてページを捲られてきたのだろうことが、本自身の誇りのように感じられました。
 この白い空間にあって、色彩は、その本の表紙や挿絵、格子窓から差し込む幻の青空、確かな強さを持つ樹の幹の色と、青々と繁るその木葉の、不思議な輝きだけでした。
 光ですらない“白”の中で、その樹と、本と、か細い照明のような窓の光だけが、唯一、“影”と質感を持つ確かな存在であり、この世界に影と色とを投げかける、生命としての“光”でした。
 ……そう。
 少年の姿さえもが、今にも白い虚無のなかに溶け込んでしまいそうなほどに、真っ白でした。
 内側から光り輝いているかのように、白い髪と白い肌を純白に揺らして、少年は眠っています。彼の背中から生える、白い羽の先端と、彼の瞼の奥の両眼だけが、彼を白の世界から、この色彩の世界とを繋ぎ止める……ごく僅かな“光”でした。その光は、血のような、赤です。ダークマター特有の血赤い眼を持ちながら、彼はどのダークマターとも違った純白の体躯を、無造作に樹の幹へと横たえています。
 彼は、この世界に存在していながらも、辛うじてでしかこの世界に留まっておられない……そんな危うさを、全身に秘めていました。
 自らの影さえ自らで掻き消してしまうような、淡い光を放つ肌。
 世界を見つめる両眼と、宙を泳ぐための翼だけに、生身の血の色を微かに込めただけの、人形のような真っ白の肉体。
 恐ろしいほど不安定であり……その不安定さだけが、彼がこの世界に生きるということを支えている……彼は、そんな、不思議な……畏怖さえ感じさせるような、誰とも違う存在でした。

 ……サァッ

 静かな風が、少年の横を吹き抜け、彼の髪を揺らします。
 その弱々しい愛撫に起こされたかのように、少年はゆっくりと眼を開けました。
 彼の瞳は透き通るように血赤く、深く墜ちてゆきそうな程に、哀しい闇を孕んでいました。
 ゼロアが、静かに目を覚まします。
「……寝ちゃってた、かな……。」
 寝ぼけまなこをこしこしとこすり、小さな口を僅かに開けて、あくびをします。その吐息さえどこかか細く、少年の体があまり丈夫なものではないことを、示すかのようでした。
「今、何時だろう……。」
 誰にともなく、独り言を言います。
 本当に、反射的に……思わず、口を出てしまった、独り言です。

 その声に、誰かのクスクス笑いが、重なりました。
 どこからでもない場所から、……ゼロアの頭の中から、……声が、します。

『いいじゃない、何時だってさ……今、全ては予定通り、順序良く進んでいるんだよ…。
だから、僕らは何も心配しなくていいんだ……本当に、何も、……ね。ずっと寝ていたって、いいんだよ?
ねぇ…? ……僕。』

 その声は、完全な暗黒の響きを宿して、ゼロアの心を貫きます。
 ゼロアは、びくりと体を震わせて、けれどその声に逆らえなくて……内心の怯えを口に出すことさえもはばかられるとでも云うように、声のトーンを落としました。
「……そ、う……かな? ……でも、ミラ達もみんな、起きて色々なことをやっているんだよ。僕も、みんなの所へ行きたいよ……――――」
 そう呟く声が、急に尻すぼみになって消えてゆきます。ゼロアは、その心の奥底に、なにかとんでもなく大きな疑問が、膨らんでいくのを感じました。
 ……起きて、色々なことを、やっているんだよ?
 どんなことを、やっていたのだっけ?
 僕はさっきまで見ていたよね。
 その光景を。
 その  惨劇を。
「あ……。」
 ゼロアの眼が、とんでもなく重大で、大きな間違えを発見してしまったかのように、ぐわりと揺れました。
 見ていた。見ていた。
 僕は見ていた。
 なのに、忘れていた?
 僕はあの光景を見ながら、何を思った?
 何と、言った?
 ……おもいだせない。
 ぼくはおもいだせない。
 どうして?
 どうして忘れた?
 どうして思い出せないの?
 ……そうじゃないよ、
 何かが、違う……。
「あ、れ……?」
 猛烈なものが心の中に広がり、その不安さで涙が流れそうになりました。けれど見開いた眼は決して涙をこぼすことはなく、逆にその眼の表面が、風の牙で殴られたかのように、サッと乾いてゆきました。

 ……仲間、が……
 ……みんなが、戦っていた……
 ……どうして…?
 ……僕は?

 ゼロアが不安に怯えている光景を眺めながら……それを嘲笑うかのように、狂おしいまでの笑い声が、頭の中に木霊します。
『心配しなくていいよ……大した事じゃなかった。
マルクォールがね、パルの心に狂気を植え付けたんだ。』
「!」
 マルクォールという名と、パルという名、そして「狂気」の一文字に反応し、ゼロアの肩が大きく跳ねます。
 クスクス笑いは止みません。
『パルは暴れちゃってね……たくさんのエヌゼット達を殺したの。それから、アクエリアスとバーストフレアを手にかけようとした……残念だけどね、シミラとウィズはあの場にはいなかったんだ。彼ら、今別の場所にいるから……。二人がいれば、もっと楽しいことになってたのもしれないのにね。役者は、多い方が見応えがあるから……クスクスクスクス。』
「……残念、……って、……なに? 楽しいことって……なに…?」
 ゼロアは、もう自らが抱える恐怖と不安を隠すことさえ出来ませんでした。
 ゼロアを内側から見ている“誰か”は、うっとりと微笑みます。
『君と僕が望んでいること。心の底から望んでいること……そのスパイスになるかなぁっ、て思ったんだけど。
ねぇ、好きでしょ? こういう話。君の大好きな絵本(ものがたり)の世界みたいじゃないか!』
「違う!!」
 瞬間、彼の唇が、まるで彼自身の意志に打ち負かされたかのように、大きく開かれ、そのままの熱を込めて、その叫びが吐き出されました。
 内側の声が、憮然と口を閉ざします。その気配は、どこか、君になにか言うことでもあるの? とでも言うような、高圧的な気配さえ漂わせていました。
 続くゼロアの声が、微かに震えます。
「……違うよ…。…違う、はずだ……
だって、これは絵本の世界じゃなくて、現実で…………それに、みんな……この城の……仲間だもの…。
……傷ついて欲しい……わけじゃ……ない…ッ!!」
 精一杯の感情と、精一杯の力を込めて……ゼロアはそう、叫びました。
 けれど、その内側の意志は……それを聞いていながらも、それを突き放し、丸めて棄てるかのような……確かな嘲笑と、憐れみの視線さえ込めて……それでいてゼロアに同情するかのように、彼の肩を優しく抱きます。
 ゼロアは、びくりと肩を強張らせましたが……その手を振り払うことはできませんでした。
『ゼロア……それは、今の君が、そう思っているだけ。
よく思い出して……君は、モニターであの戦いを見ていたね? そして、君はなんと言った? ……そう、君が、君自身の唇で……そう言ったんだよ。よぉく……思い出してみて。』
「…う、……あ………――――」
 喉さえ侵す恐怖の念が、ゼロアの声を湿らせます。
『バーストフレアがね、パルの分身を焼き殺して……パルの本体が、バーストフレアのお腹を引き裂いて……
ほら……アクエリアスがさ……バーストフレアのお腹の穴からね……外の景色を見ていたんだよ。胴体に空いた穴からだよ? おかしいよねぇ。おもしろいよねぇ。』
「……や、……めて。」
『それでもね……バーストフレアは、アクエリアスを守ろうとしてたんだよ……もう何もできないくせしてね。
そこに、ミラクルマターが来たんだ。ミラクルマターはね、パルの本体をずっと捜していた。そしてようやく見つけた本体から……マルクォールに関する記憶を消したんだ。彼の心を犯していた狂気もね……。
残念だ。これは本当に、残念だよ。パルの心に狂気の欠片が残っていれば、それはパルの潜在的な“狂気”の想いに結びついて、あの子はうんと強くなれたかもしれないのに……ミラクルマターは自分から、手駒の強化の種を潰したね。愚かだよ……。僕があの立場なら、パルの心を適当にいじくって終わりだね。いつでもあの子が強くなれるように……準備を整えておくくらいはするなぁ。』
「……それは……もう、……パルじゃない……。」
 ぽつりと、ゼロアが呟きます。
 内側の存在が、ふぅん? と、眉をひそめました。
「心を、狂気に犯しきられれば……それはもう、その人では無くなる…………別の、……既に、ヒトですらない…………哀しい存在になってしまう。
……だから、そんなことは……しちゃ、いけない……――――」
『今更いい子ぶるなよ、ゼロア。』
 内から響く声が、まるで暗転するかのように……急激な昏い悪意を込めて、落とされました。
 ゼロアの体が、冷たい手で全身を撫でられたようになります。
『君は、内心では……誰のことも想っちゃいない。彼らのことを、仲間だ、とか口で言えても……君の本性は、君以外の全てを否定し、欺き、裏切り……利用する。
君にとっては、全ては道具でしかなく……また、君の目を楽しませる一時の遊戯でしかない。ミラクルマターも、アクエリアスもバーストフレアも、シミラもウィズもパルも……全ては目的への道程に転がる石ころだ。最大限利用し、最大限楽しませ……時が来たら、使い切るのさ。』
 使い切る、という言葉に、とてつもない不吉な予感を感じて、ゼロアは低い叫びを上げそうになりました。
 ゼロアの肩から、徐々にその黒い掌が下がり……彼の胴体を、きゅっ、と、その細い両腕が抱き締めました。
 まるで、母親が我が子を抱くかのようでした。もしくは、憎い仇を逃がさないように、拘束する姿にも似ていました。
 ゼロアは、反射的に悲鳴を上げます。
「う、あっ…!」
『怯えないで……ゼロア。』
 クスクスと笑う声が、首のすぐ後ろから聞こえます。その声はゼロアと全く同じでありながら、ゼロアとは全く違う、狂おしい意志で充ち満ちていました。ゾッとして、目に涙が浮かびそうになります。が、やはりその目は、乾ききり、痛いまでに見開かれるばかりでした。
『いつも、僕は言ってるでしょ…?
僕は……君だ。そして君は……僕だ。君の意志は僕の意志であり……僕の意志は、君の意志になる……。』
 最後の一言を一層強調させながら、その者は、ゼロアを強く抱き締めました。苦しい、のに、苦しいと、言えない……。もどかしく胸を詰まらせる、鈍痛。その言葉がゼロアの心に、一滴一滴染み入る度に、意識は霞み、どんどん自分の心が、自分の場所じゃないどこかへと……自分の知らない場所へと溶けてゆくような、そんな感覚に支配されつつありました。それはまるで、ルビィがヒュージに心を支配されていた時のような……そんな感覚に似ていました。
『ゼロア……君は、この城の白き王だ。王は、その大いなる目的の為なら……兵士の多少の犠牲など、喜んで差し出すものさ。』
「…へい、しの……犠牲…………差し、だす……」
『そう、君は……王様なのだから。君には力がある……それも、とんでもなく大きな力……あの魔王ナイトメアや、星の戦士どもや、どんなに強いダークマターでも得ることのできなかった、そしてこれからも誰も得ることのできない、究極の“虚無”の力が…………君には、君にだけは……宿っている。』
「……僕の……力……――――」
『君は最強だ……そして、君は無敵だ。今のこの世界に、君以上の存在など居はしない……君と比べたら、どんな奴も塵虫みたいなものだから。
全てをなぎ倒し、全てを犠牲にするんだ……君には、奪うだけの権利と力がある。だから……怯える必要も、みんなと馴れ合う必要も……誰かを愛する必要も、何も無いんだよ……ゼロア。』
「ぁ、あ……あぁ……っ……?」
 ゼロアはもう、立っていることすら出来なくなり、ぐしゃっ、と、その場に崩れ落ちました。やれやれ、とでも言いたげに、その黒い手はゼロアの顎をすうっとしゃくり、首筋に熱い息を吹きかけます。熱くて、冷たい、魔物の息です。
 ゼロアの瞳から、淡い涙がこぼれ落ちます。
「…やだっ……やだよ…、………だって、おかしいよ………僕は、僕だよ…? 僕は……ゼロアだ……この城の……ゼロア……――――
ミラも、みんなも、ここにいて……一緒に、旅をしてきたのに……――――」
『その旅の目的は、何?』
 ゼロアの耳元で、それは囁きました。笑みさえ含んだその甘い声色に、ゼロアはおずおずと答えます。
「……マルクと、マルクォールを……見つけ出すこと……」
『それは、どうして?』
「…………お父様に……出会うため……――――」
 震える唇で、そう言いました。
 黒き者は、満足そうに微笑みます。
『その通り。』
 いつの間にか、彼はゼロアの目の前にいました。彼の顔は、影になっていて、見えません。
 ゼロアと同じ背格好の、その黒い少年は、指先でそっと、彼の目元を拭います。涙を流すゼロアの瞳から、その涙さえ奪い去りました。
『お父様こそが至高の存在。お父様こそが僕らの存在理由であり、お父様だけが僕らの全て。お父様は、もはや僕らの神と云っても過言じゃない。……いや、ある意味では神をも超えるお方なんだよ。
お父様だけが僕たちの愛だ……お父様だけに、僕と君の愛の全てを向けることが許される。お父様以外は、誰も愛しちゃいけない……誰も求めちゃいけない……お父様以外の全ては平等に、クズだ。』
「あ、……ぁ、あ……――――」
 言葉が、囁きが、ゼロアの心を侵蝕します。
 降り注ぐ雨から身を守るため、堅い天井を用意していたのに……いつの間にか雨粒は、じっくりと屋根を腐らせ、ゼロアの足下でぴしゃん……ぴしゃん……と、狂気の音色を奏でるのです。
 染み込む。……染み込む。……逃れられない、冷たい音色。
 ゼロアの眼から、光が失われてゆくのを……少年は、微笑みながら見守りました。
『ゼロア、僕に全てを委ねて……大丈夫、大丈夫だよ…………僕は、決して君に危害を加えるようなことはしない……
ゼロア……君は僕だ……僕は君だ……。だから安心して……僕は君を守るよ……どんな盾よりも強く、そしてどんな守護者よりも優しく……ね。』
 守護者……――――
 ゼロアの網膜に、急に、ある一人の男の姿が浮かびました。
 それは、必ずゼロアを守ると誓ってくれた人の姿。
 彼の部下であり、彼の支え。
 ゼロアがゼロアであるために……必要なのは、ミラクルマター。
 人形のように白い肌に、その涙だけが、リアルで哀しい色でした。
「…あ、………ぅ、……や、…やだ……ミラ…………ミラ、…………助け………み、…ら……――――」
『……まだ、そんな事を言うのかい? 悪い子……
そんな子には、ほら……おねんねの時間だよ…………もう暫く、お眠りよ……かわいいゼロア。
僕の中に……お還り……――――』
 少年がゼロアの頭を抱き、二人の眼がお互いを見つめました。
「……――――ッッ!!」
 その眼を見た瞬間、ゼロアの中で、何かが弾ける音がしました。記憶も、感情も、全てに鍵がかけられ、無理矢理クローゼットの奥に押し込められるかのように……ゼロアの意志の一切が、遠ざかります。

 ――――  ……み、   ……ら……  ――――

 どさっ……
 ゼロアが少年の傍に倒れる直前、その小さな唇が最後に呟いた名前を、少年はただ嘲りました。
『……愛や、喜びや、親しみに……あまり心を奪われないでね、ゼロア……。まったく、君は本当に心優しくて、甘くて……困るよ。』
 彼の涙を拭いながら、その影は呟きます。
『僕と君の願いは、成就と復讐。……ただ、それだけなのだから。』
 にやりと笑いながら、深い闇と憎悪を込めて……彼は言います。
 ゼロアと全く同じ顔をした、黒い存在が……そう囁きます。
『僕の思い通りに動いていれば、それでいい……ゼロア……――――』
 黒き者は、彼の前では努めて見せないようにしていた……けれど確かに溢れていた、高圧的で強制的で、全ての者の上に立つ強者の傲慢と、そしてゼロアへの歪んだ“信頼”を込めてそう言葉を紡ぎながら……その影が、ゼロアの中へと溶け込んでゆきました。
 闇のように真っ黒のそれは、純白に輝くゼロアの内側へと入り込み、ついに文字通り、影も形も見えなくなりました。



 …………………………。
 ……………………。
 ……………。



 ……数分の時が、流れました。
 ゼロアの、閉じられていたその瞼が……ぱちり、と、見開かれます。
 その眼は、恐ろしいほど透明な血の色の輝きの中に……確かな、暗い狂気を含んでいました。
 木の幹に寄り掛かるように立ち上がりながら、彼は目の前に積み上げられた様々な書物を一瞥し……ふいに、その足で蹴り散らしていました。
 バサバサと本が散乱し、無力に崩れていく様に、彼は奇妙な笑い声を上げます。
 ゼロアでありながらゼロアではなく、また確実にゼロアである白き王が、そこに仁王立ちで佇んでいました。
「……僕は、狂わなければいけない……更なる狂気の高みへ……更なる、強さへ…!!」
 静かに叫ぶ彼の背に、白い翼が広がります。
 心と自我を失うことでしか、真の強さを見出せぬ哀れな彼は、無邪気にもにっこりと笑い、天を仰ぐように、両手を大きく広げました。
「そうしなくちゃいけないんだ……お父様のために……僕の、ために……――――」
 陶酔にも似たその囁きが、いんいんと木霊します。
 けれど彼が見上げるその空には、ただ白い虚無が広がるばかりで、見果てる世界など、どこにも有りはしないのでした。