第31話 それぞれの戦い (11 〜黄土色の空)



 ルビィは、歩いていました。
 この土地の名前はわかりません。風景の色合いだけで言えば、グーイが倒れていたレインボールートの辺境に似ていましたが、そことは違い、この土地にはぼうぼうと唐草が生えていました。完全な荒野では無いにしても、この枯れかけた茶色の群衆は、廃退の無惨さを切に訴えかけているようで、気味が悪くなります。
 ルビィは、乾いた砂と草の上を、歩き続けていました。
 セントラルサークルから抜けた鏡は、影も形も見えなくなっていました。たまに周りを見渡してみても、強い風が吹き抜けるばかりで景色の変化はありません。まるで砂漠でした。平坦な大地が茫漠と続く、死の荒野でした。
「…………。」
 彼は、己の拳をぎゅっと握りしめます。
 ――――この手は、カービィの手を掴むことが出来なかった。
 グリルに連れ去られた弟の掌を……握り返す事が出来なかった。
 そしてあの子を……見失った……――――
「…………。」
 爪を食い込ませるその指先を、スッ、と、自由にします。
 空を仰ぎました。
 太陽は低い位置に架かり、空を黄土色に染めています。
 雲は分厚く、暗くもなく明るくもない、不気味な色合いでルビィをにたにたと見下ろしているようでした。
 ……皆と別れて、もうずいぶん時間が過ぎました。グーイや、大王や、皆は……無事でいるでしょうか。特に、グリルに……敵に連れて行かれてしまった、カービィは。
「……カービィ……」
 呟き、己の無力な両手を広げて、ジッ、と、見つめます。
 この両手で……彼は昔、ヒュージ・ダークマターの命令に従い、数え切れないほどの人間を殺してきました。
 ヒュージが力を蓄え、彼らの仲間を増やすために……ヒュージ達の群れの一部として、彼の命令を忠実にこなしてきました。
 この掌で、この掌の抱える剣で、どれだけ多くと戦ってきたか。
 どれだけ多くを、奪ったきたのか。
 どれだけの勝利を、掴んできたのか。

 たった一人の弟の 小さな小さな掌さえ
 握り返せぬこの手指に
 一体なんの価値がある?
 無意味な強さを振り回そうが
 大切なものも守れぬ腕なら
 切り落としても変わるまい!!

「……く…ッ!!」
 彼は、あまりの無力感に、己の憎さに、唇が切れるほどその歯を喰いしばり、悲痛な叫びを押し殺しました。
 これほど、悔しく……これほど、己を弱く感じたことは……これまでの彼には、ありませんでした。
 ルビィは目を閉じ、左右の手を握りしめます。
 握りしめたその両手は、震えながら胸の方へと迫りました。
 白く骨が浮き出るほどに、固く握ったその拳に……何か、堅いものがぶつかります。
「…………。」
 ルビィは、僅かに首を傾け、襟巻きを下げ、その中身を取り出しました。
 金色の細かい鎖で繋がれた、それは一つのネックレスでした。
 鎖の先に繋がれた、その煌めきもまた……黄金の色。
 金十字の、ネックレス。
 ……懐かしい、金色の……闇に煌めく金色の輝き……――――



 …ルビィ…………私のように……………道を……間違えるなよ………………
 お前が………強き道を歩むことを…………祈ろう………。



 それは、
 死んだはずの男の言葉。
 愛に狂った男が遺した、最期の最期の 優しい言葉。

「……ヒュージ…………今の私を、見ているか…?」

 ルビィは、虚空に向かって呟きました。
 強く冷たい風だけが、その言葉に返事をします。
 ルビィは再び、歩き出しました。
 歩みを止めるわけには、いかないのです。
 仲間達に、弟に、再び出会う為。
 彼らと再び、この手を握り合う為には、どんな果てへも赴かなくては!
 ルビィは弱さを振り切った凄烈な眼で、その燃える紅玉の如き瞳で、ただ前を見据えていました。目指す先には、陽炎のように揺れる大きな山が見えます。雲を吹き出すその山へ向かって……彼は歩みを早めました。















「まあ、まあ、なんということでしょう。」
 彼女の声は、その言葉の内容とは裏腹に、とても脳天気なものに響きました。
 ……いや、違うのです、彼女の言葉には……なんの感情もなかったのです。
 ただ、強いて言うならあっけらかんと……彼女は、ただ水中の泡が水面へと向かうように、ぱぁっ、と……その言葉を発していました。
 誰の為にも自分の為にもならない嘆き。
 それはまるで、彼女の存在そのものを表すかのようでした。
「…………申し、訳……ありません…………ダークマインド、様……――――」
 メガタイタンは、ギシギシと軋む五体を必死で押さえつけながら、首のない体で必死に敬礼の仕草を取っていました。
 ぽたり、ぽたりと彼からこぼれ落ちるのは、ペパーミントパレスでシャドーカービィと戦った際に浴びた吹雪の溶けた雪と、その時負った傷から流れるなま柔らかいオイルです。美しい彼女の領域を汚す、そのメガタイタンの血に対しても、何の不満を抱くこともなく……ただ、ボロボロに壊れたボディの傷やへこみを、ダークマインドは面白そうに眺めていました。
「随分なお怪我ですね。星の戦士にやられましたか? 私もやられてみたいものですね。星の戦士はどれくらい強いのかしら? このマインドより強いのかしら?
うふふふふ、期待。期待。」
 ダークマインドは、眼球だけの体を微かに捩らせ、瞳だけでぐんにゃりと笑いました。身の毛もよだつその姿に、メガタイタンは微かに震えましたが……その理由は、マインドのおぞましい姿故ではありませんでした。メガタイタンは、己の味わった真実の鱗片を、恐る恐ると申告します。
「……い、いえ…………あの……
こ、この損傷は、例の双子の星の戦士からの攻撃からではなく……あの、影の男から……――――」
 マインドの目が、ぐるりと回転しました。
 真っ赤に燃える太陽のような、黄土色に沈む夕日のような、生命を喰らい尽くす炎の真ん中で焼かれる、哀れな骨のような白いその身が……一瞬、何かの感情で、揺れたような気がしました。
 ――――感情?
 この、心を掲げて会話をしつつも、その「心」など、子供が無理矢理作らされた粘土細工より歪で、知性のかけらもないこのダークマインドに? ……感情、など、あるのでしょうか?
 …………彼女は  “与えられなかった”魔獣。
 一つの国を支配する力も
 その国で自由に遊べる力も
 その国の中でなら、どんな強き者の魂さえ奪い去り、どんな惨い死を遂げた人物も蘇生させることができる、それほどの力もある。
 彼女こそは  正に最強  まさに究極  “神”の冠を戴くに相応しい存在。
 だけど彼女には、与えられなかった。
 自ら  なにかを選択する理性も、
 自ら  理想とする世界を目指すための希望も、
 愛情も、優しさも、怒りも、哀しみも、己へ課す贖罪や苦しみや痛みも、未来も、

 なにもかも。

 ――――……ダークマインドは、ゆっくりと、メガタイタンのいる場所まで降りてきました。
 その禍々しい円形の体がメガタイタンに近づくにつれ、その姿は、魔法のように変わっていきました。
 眼球そのものだったそれは、外側から順に、腕になり、脚になり、瞳があった場所が縦に反転したかと思うと、まるでそれを包み込むかのように、乳房が現れました。
 その肉体は余すところ無く包帯に覆われ、腕も脚も、自由に動かすことは出来ません。唯一包帯で覆われていないのは、胸の間にある巨大な瞳の部分と、まるで炎を映したかのように刻々と色が変わっていく、美しい長髪と……それに包まれた、色白の女の顔だけでした。
 その女の顔ですら、口と額もぴったりと、包帯で閉じられています。唯一自由であるその双眼は、真っ白で…………何を映しているのかすら、わからない程でした。
「……影の男、ですか。」
 口を閉ざされたその女は、どこから発されているのかもわからない声を出し、クスクスと笑いました。包帯がひらひらと舞います。
「なんて懐かしいお名前。なんて懐かしい存在。私のお城に居候して、一体何をしたいのかしら?
あの人は私の仲間。あの人は私と同類。あの人は私を救ってくれる? どうなのかしら。どうなのでしょうか?
ねぇ、私のかわいいメガタイタン、あの人は私について、なにか言っていたかしら?」
 マインドがふわりと漂い来て、彼の傍でそっと囁いたとき、メガタイタンは、ビクッと肩を振るわせました。
 言っていいのか、まずいのか……そう思いながらも、彼に、選択の余地はありません。……とんだ貧乏くじを引いたと、タイタンは己を呪いました。
 ……彼はシャドーカービィの言葉を、そのまま、壊れかけたスピーカーから再生します。
「“ダークマ・インドの、クソ……に。言っておけ・よぉ!……オレ様…は・お前等の奴隷になんかなら…、ねぇっ・てな!!”」
「……………………。」
 ダークマインドは、その言葉を、無言で反芻しているようでした。メガタイタンは、気が気ではありません。そわそわと落ち着かない様子で、こんな立場に廻ってしまった、自分の不運を恨みました。どうかダークマインドが、機嫌を損ねて自分に当たらないことを祈りました――――今のこんな体で、“神”たる彼女の怒りを受け止められる自信はありません。
 しかし、どうでしょう…………聞こえてきたのは、カラコロと笑う、彼女の声だけでした。
 気でも触れたかのように、上を向いたまま笑う、彼女の声だけでした。
「ま、……マインド様…――――?」
「いやはや、いやはや! なんと勇ましいお方でしょうか! 正直、星の戦士など、どうでもよろしくなってきます!
私の望みはひとつだけ!そうですそうです、ひとつだけです!いらないものはどうしましょう?りさいくる?えこ?だいおきしん?私の言葉はいつも真っ白!魔王様がお与えにならなかったから!私の城は私の監獄。でもいいのです!マインドは魔王様を恨みません!恨みませんとも!全てを知り尽くし、この私を嘲り続けた魔王様!マインドはおろかじゃない!だけど迷路に出口はない?ここは迷路?メリークリスマス!その通り、私は狂気にすらなれなかった。では私は何?何になればいいの? その答えだけは、未だにでない。私は一体何者なの?
黒い剣はスペードのエース!赤い心臓はハートのエース!美貌の宝石はダイヤのエース!最後のクラブは何を得る? 私は聖なるロンギヌスの槍!そして愚民達の棍棒! 私は神様、だけど神様にはなれなかった、って魔王様が言っていた!
“女神”は私には荷が重い? そんなことはありません、私はしっかりセイジをしてます!私は世界を守ります!だけど退屈で狂いそう!! 魔王様に創られた私。マインドは魔王様の立派な駒。舞台の上で独りぼっち。寂しくない。淋しくない。この世界は素晴らしい!
愚かな星の戦士!愚かな影の男!! みんな私になろうとして、舞台から滑り落ちていく。残念です。また私は一人っきり!!」
 マインドの言葉は、高速で通り過ぎ、疲れ果てたメガタイタンの聴覚機器を素通りしていきます。しっかり耳を傾けていた時でさえ、その言葉は勝手に逃げていくのでしょう。なぜならそれを彼女が望まないから。常に逃げ道を探している神様は、誰かの心に残ることさえしないのでした。……メガタイタンは、自らの主を憐れみました。しかしそれは、愛情あってからのものでした……。彼は、可能であるのなら、彼女を救いたいと思いました…………身分も何もかもが違っていても、せめて彼女の傍にいたいと……――――
 ですが、メガタイタンはまだ知らないのです。彼女は、例え業火に焼かれその身が地獄に堕ちる時でさえ、誰の手をも振り払う、そんな人だと言うことを。
 炎のなかで石の針に貫かれながら、「もりのくまさん」を歌って踊って、焼き尽くされるまで笑い続ける。
 彼女は、そんな人なのだと。
「傷を見せなさい、メガタイタン。」
「はっ……――――?」
 反応が、少し遅れてしまいました。ダークマインドはそれに構わず、ずいっと、タイタンの崩れかけた腕をじっと見つめました。そして……包帯の一部を、ゆっくりと緩めます。包帯を緩めた瞬間、まるで包帯の重圧と共に封じ込められていた彼女の魔力が、放出されたかのような圧迫感がありました。久々に動くようになった自分の掌を満足そうに眺めながら、彼女はその同じ掌を、そっと、タイタンの傷ついた腕に添えました。
 あっ、と、いう間もなく……彼が負っていた深い傷が、溶けるように消えていきました。
 感嘆の声を漏らす前に、もう片腕にも……腕が添えられます。そこも、胴体も、その他彼が傷ついていた場所は全て……まるで掌に触れた雪のように、消えていきました。メガタイタンは、自由に動き、もうオイルを漏らすこともないその体に歓喜し……即座に、マインドに跪きました。いつの間にか、彼が流していた床のオイルの跡も、全て消えていました。
「あっ……有り難き幸せです! ダークマインド様!!」
「うふふふふふ。それは良かったですね、メガタイタン。
それはそうと、貴方はヘッドと合体しなさい。」
 心臓に、鈍い衝撃が走りました。
 この、プログラムで動いている義理堅い重機に、もしそんな丁寧なものがあるとすればの話ですが……――――
 ダークマインドは続けます。
「貴方とヘッドは、そもそも常に共にいるべき。なのに暫くヘッドの方がご無沙汰だったようで。
これはいけません。これはいけません。
そして、これからは、共にいるだけではダメなのです。早く合体してください。その為の鍵も、みぃーんなヘッドにぷろぐらみんぐされている筈です。ヘッドの行方は私がわかっています。私は神様ですから。そして、そうそう。今がその時なのです。あの人が来た。星の戦士も来た。おかしな人達もたくさん来た。
今がその時。戦争です。聖戦です。さあ、いきましょうメガタイタン、貴方は私の為に戦ってくれるのでしょう?
だって貴方は私のものですから。そうでしょう? 愛しい愛しいメガタイタン。」
 感情のこもらない声で。
 少しの愛も籠もらない声で。
 マインドは、そう言いました。
 ……機械の体とは、なんて不便なものなのでしょう。
 こういうとき、肉の体と顔を持っていれば…………額から脂汗を滲ませ、顔を青ざめ、苦渋に指を震わせる…………若い男の姿が、そこにあったのでありましょうに。
 どのみち“神様”の判決が、覆される筈も無いのです。
 そして、彼が過去に誓った忠義が……変わるわけでもないのです。
 メガタイタンは、頷くかのように、体を上下に、動かしました。
「……御意に。もちろんです……ダークマインド様。
この機械のカラダを与えて下さったのも……このカラダを再び動くようにして下さったのも……
俺が…………ただ一人、ただ一人忠誠を誓うのも…………
それは、今は亡き魔王様ではなく、…………鏡の国の女帝たる貴女。
……貴女様、ただ一人であります。
黒き太陽の権化、偉大なるダークマインド様……――――!」
 ダークマインドは、微笑みました。まるで優しさを真似てみたかのように、柔らかく微笑みました。
「――――ゲーム・スタート。勝つのはどちら? 私は負けない。私は神だから!
我が名はダークマインド!我が崇高なる呼ばれ名を、永久に轟かせよ無限鏡!!
我が名はダークマインド!鏡の国の有象無象よ、賤しき“邪心”たる私を崇めよ!!
我が名はダークマインド!我が名はダークマインド! 我が名は   ダ ー ク マ イ ン ド !!!」





 ――――神は 私一人でいい!!!





 ……木霊するのは女の声色を借りた、何者が見たかもわからぬ悪夢の声。
 もはや悲痛とさえ呼べるその叫びが……ディメンションミラーを越えて、セントラルサークルにさえ響き渡ります。
 唯一、その場にいた灰色の髪の男は、手にした携帯電話を弄びながら……クスッ、と、鈍い笑みを浮かべました。
 そしてその声から背を向けるかのように、煙草の煙を携えながら――――どこかの鏡の奥へと、消えてしましました。
 まるで、影のように。