第28話 それぞれの戦い (9 〜違う存在) グーイは、霞んだ視界のなかに、あの少女の姿を探しました。 景色はどれもぼんやりと歪んでいて、色の塊がふわふわと浮かんでいるようにしか見えません。耳も、悪くしてしまったのでしょうか。どこからか声がするのですが、その声さえも、うまく聞き取ることができません。 「……ヒュージさま、このひとをどうしますか?」 あの少女の声です。グーイは、そちらの方に目を向けようとしました。身体を動かすことができない、ということに気が付いたのは、この時です。 「…………。」 ぼうっとしながら自分の姿を見下ろすと、荒縄が何重も、この身体を縛り付けているのが見て取れます。ただでさえ痛めつけられて、ろくに動かせないような身体なのに、ここまでしなくったって……と、グーイはもはや呆れるような気持ちでした。ふと、耳に、先ほどの少女の問いかけへの、返答が聞こえてきました。それは、男の声でした。 「どうしたい? ボクシィ。 お前、こいつで遊びたかったら遊んでてもいいぞ。好きだろう? ままごと。」 「ボクシィはおままごとが、だいすきなのです。ヒュージさまも、あそびましょう?」 「俺はいいよ。気分じゃねぇ。」 楽しそうな笑い声と共に、交わされている2人の会話。グーイは、不思議な気持ちでその会話を聞いていました。 グーイが、この時点で気が付いていたことは、二つあります。 一つは、あの少女から「ヒュージさま」と呼ばれているこの男は、ヒュージとは全くの別人であるということ。 もう一つは、あの少女は「彼女」にそっくりであるらしいけれど、彼女とは全くの別人であるということ。 ……さて、と。 グーイは、居心地悪そうに、もぞもぞと身体を動かします。どうにかして、体勢を整えなければなりません。いつまでも寝ているわけにはいきませんでした。もちろん、いつまでも縛られているわけにも。 「……うっ…」 縄が身体に食い込んで、鋭い痛みが走ります。それでも、どこかに緩みはないかと、手首や足を必死で動かしてみました。洗練さの欠片もない、下品なまでに乱暴に縛られて転がされていたからでしょうか。グーイの身体には、捕まった時に受けたダメージや傷以外にも、たくさんの擦り傷や切傷、ミミズ腫れなどが見て取れました。どうやら、グーイは彼らに、一個人として扱っては貰えなかったようです。荷物にしたって、もう少し丁寧に梱包する事でしょう。つまり、彼らのグーイの扱いは、そのようなものでした。グーイは、はぁっと溜息を吐きます。 「お目覚めかな? “群青の闇”殿よぉ。」 いきなり、胸の辺りに足を入れられ、乱暴に蹴り上げられます。うつぶせになっていた身体が、仰向けに寝転がされました。光が目に飛び込み、一瞬ひるみます。逆光で、2人の姿が真っ黒に見えました。が、徐々に目が慣れ、そこにいる男と少女の姿が、しっかりと見えてきます。 男は、ピエロのような黒く派手なローブを着ながら、キザったらしいポーズでグーイを見下ろしていました。目玉を模した金色の仮面の奥で、その血の色の目がいやらしく笑っているのがわかります。ボサボサの髪は、癖っ毛なのか、あちらこちらに跳ね回っていました。褐色の肌の上に、なぜか、赤い口紅でお化粧をしています。……それでも、その薄い体躯は、彼を「男」と印象づけるには充分でした。どうにも全体のバランスの悪い、道化じみた男に見えました。まるで、全てを演じているような。 もう一人の少女は、男よりもよほど素直な出で立ちをしていました。幼い上半身を胸ごとさらけ出し、ヒラヒラした長いスカートを履いています。男が「ピエロ」だとしたら、さしずめ彼女は「踊り子」といった所でしょうか。鴇色の髪の下にあるその表情は哀れなほど明るく、無邪気な光に満ちていました。その両眼は血の色に染まり、肌もまた、褐色です。 ……これだけわかれば、2人の種族を割り出すことは簡単でした。血色の目と、褐色の肌。男も、少女も、2人とも、ダークマターの血をその肉体に流していることは、間違いなさそうでした。 グーイの中で、誰かが、どこかで見知った二つの名前を叫びます。 「……ジャム・ダークマターと…………あなたは、あの子の……ブロッブの、双子?」 眉をひそめながら、グーイはそんなことを聞きました。 男が、一瞬だけ、驚いたような表情を浮かべます。しかしそれは、楽しそうな高笑いに取って代わられました。ハハハハハッ、と、その声はグーイをおもしろがる響きを大いに孕んでいました。 「俺の名前を知ってたかぁ!そいつぁ驚きだなぁ!! だけど後半はハ・ズ・レ〜っ!! ひゃはははっ、お前、自分で絶対違うってわかってんだろぉ〜? バーッカ、笑わせんじゃねぇよ!」 「…………。」 男の……ジャム・ダークマターの下卑た笑みを慎重に観察しつつも、グーイは少女の事が気になって仕方がありませんでした。ジャムにつられたかのように、ニコニコと笑っている少女の鴇色の髪が揺れるのを、複雑な気持ちで見つめていました。 グーイは、星の戦士ルビィの「哀しみ」の感情から生まれ、闇の王ヒュージの正統の血を引いた少年です。 しかし、彼にはもう一人、姿や人格を引き継ぐという意味で、モデルとなった存在がいました。 そのダークマターの名は、「ブロッブ」。 ヒュージの娘にして、強大な力を持つ“鴇色の闇”と呼ばれた暗黒の姫でありながら、短命の内に消え去った、儚く、無力な少女です。 彼女の遺した“核”。その核から、グーイは身体を組み立てられました。 ダークマターは……特に、強大な力を持ったダークマターは、その身体の中心に核を持ちます。そしてその核は、それを持つ一個体が死んでしまった後も、存在し続け、それに闇エネルギーが再び集結することで、核の情報を基盤にした、同じくらいの強さを持つダークマターを生み出すのです。 同じ核から生まれたとしても、新たに生まれたダークマターは、前のダークマターと同じ存在ではありません。うっすらと、前の記憶や知識は持ち得ますが、それはあくまで「情報」にすぎません。本人は全くの別人、まるで違う、他人になるのです。 ブロッブは、ヒュージ・ダークマターを心から愛していた少女でした。ダークマターという存在でありながら、ヒュージへの愛を捨て去れなかった彼女は、最期はヒュージの腕の中で息を引き取りました。 ヒュージの中へと還ったブロッブの核は、再び数千年の時を経て、「グーイ」という名の少年へと転生します。それから、グーイはルビィと出会い、カービィと出会い、ポップスターへと渡り……その後の、グーイの人生へと続きます。 グーイの中に、ブロッブについての記憶は、ほとんど残ってはいませんでした。それを思い出すということは、虫食いだらけの古いアルバムを辿るような、掠れた文字を読むような、とても難しい行為でした。 ブロッブが、どれ程ヒュージのことを愛していたのか。ヒュージは、どのような気持ちで、ブロッブに接していたのか。 生涯ヒュージを恨み続けたグーイにとって、それは想像するにも難しいことでした。 ですが。……ですが。 数千年前の、直属でもないダークマターの兵士を……ブロッブ「そっくりの」少女が、彼を「ヒュージさま」と呼び、慕っているらしいという事実は…… ……ヒュージでもない男に対して、ブロッブでもない少女が……このような、甘い囁きを繰り返しているという事実は……―――― 何故、ブロッブと瓜二つの存在が自分の他にいるということ、何故、数千年前のヒュージの仲間がここにいるのかと言うこと以上に…………グーイの心を、波立たせました。 それはほとんど苛立ちにも似た、嵐にも似た、伝えがたい程の旋風になりましたが、グーイはそれを必死で押さえ込んでいました。 その感情を押さえ込む毎に、グーイの眼が冷めて沈んでいくことに、彼らが気づいているかはわかりませんでしたが……―――― 「わたしは、ボクシィですよ?」 「え?」 ちょこんと、グーイの目の前に中膝になって、少女は口を開きました。一瞬、何を言われたのかがわからず、グーイは思わず間抜けに聞き返してしまいました。少女は、ころころと笑います。 「わたし、「ぶろっぶのふたごちゃん」とかじゃないですよ。わたしはボクシィ。ヒュージさまがつけてくれた、すてきななまえなんです。だから、まちがえないでくださいね? グーイ。わたしは、ボクシィですよー。」 笑いながら、歌いながら、ボクシィはクルクルと踊ります。スカートの裾を翻し、赤いリボンをヒラヒラさせながら、楽しげなステップを踏んでいます。 ……ヒュージ様が付けてくれた……素敵な、名前……。 グーイは、ほとんど憂鬱な気持ちでその言葉を繰り返しました。 「お前、ずいぶんボクシィと仲が良いな。やっぱり、「妹」と同じ姿をしている女はかわいいか?」 ふいに、そう声をかけられました。ジャムです。腕組みしながら、仮面の奥で笑っている彼を、グーイは無言で睨みつけます。その眼を見て、ジャムも笑いを消しました。仮面の奥で、不愉快そうに眉がつり上がります。 「……嫌な目つきだ。敵に頭から喰われたら、そいつの中からハラワタ引き裂いてやろうと思ってる奴の眼だな……胸糞悪ィ。 あの女も、同じ目つきをしてやがった……」 「……あの女……。」 ぼそり、と呟いたグーイの唇を、ジャムの踵が踏みつけます。唇が切れ、血が滲みましたが、グーイは顔色一つ変えませんでした。 「ブロッブの事ですか? あなたは、ブロッブが生きていたとき、ヒュージの部下だった人ですよね? 何で、ヒュージの軍から離れていたのですか? あなたは、ブロッブの何を知っているのですか? あなたにとって、ブロッブは……そして、ボクシィは、」 ガヅッ! グーイの身体が、強く跳ね飛ばされます。乾いた地面の上をゴロゴロと転がり、土煙にまみれました。けほっ、けほっと咳き込み、口の中で粘つく血を吐き出します。グーイは、冷たい目でジャムを見据えました。ジャムは、それ以上に冷徹な目で、グーイのことを見下ろしています。 「あの女の名を、言うんじゃねぇ。何も知らないパチモン風情が。」 「…………。」 グーイは、これ以上何かを口にすることは無駄なのだろうと、直感的に悟りました。今のジャムから感じるのは、冷たい皮を被っただけの、憤怒の感情、それだけです。 あくまで「情報」としてしか、ブロッブのこともジャムのことも知らないグーイにとって、2人の過去やそれに伴う感情などは、知る術も無いことです。グーイに辛うじてわかったことは……このジャムという男が、必要以上に、「ブロッブ」に執着しているらしいことでした。それは、ブロッブと瓜二つの少女を配下に置いていることを見ても……グーイの言葉への過剰な反応を見ても、明らかなことでした。 グーイは、再び溜息を吐きます。……2人とも同族のダークマターのようですし、ここは生命の住まない枯れた荒野の世界。闇の力を開放して、荒縄を切って逃げ出し、ついでにジャムの頭に跳び蹴りの3発でも喰らわせるには申し分ない状況でした。正直、このジャムという男に、大した力は感じません。闇の王の血を色濃く引いた“群青の闇”グーイ・ダークマターが、そんな男に負ける筈もありませんでした。そう、あと数秒の時間、数秒の隙さえあれば、間違えなくそうやって2人を撒き、どこか適当な鏡の向こうにでもトンズラしていたことでしょう。 それが出来なかったのは……それが、間に合わなかったのは、その一瞬の出来事のせいでした。 「今夜の獲物、発見ーーーーッ!!!」 ……雄叫びが、聞こえました。 「何だ!?」 「えっ?」 「はい?」 ジャム、グーイ、ボクシィが……同時に口を開きました。 とんがった岩山の天辺に、一人の黒い影が見えます。 それは……少女の影でした。 スクール水着を着て、浮き輪を持った、どう考えてもこの荒野に似つかわしくない、場違いな一人の少女が、岩山の天辺に仁王立ちになっていました。 ジャムとグーイは、少女に睨みつけられたまま、揃って目を丸くしていました。 「見つけたぞォっ、晩ご飯! 覚悟しろッ!焼くぞ!蒸すぞ!炒めるぞー!!」 ビシッ! そう叫ぶ少女に指差されたのは……グーイでした。 突然の指名が信じられなくて、あわあわと辺りを見渡しますが、ジャムとボクシィは、そんなグーイを神妙な目で見返すだけでした。 「え?え?え??」 荒縄にぐるぐる巻きにされ、いい感じに痛めつけられ、地面に転がされているグーイは……確かに、獰猛な肉食獣にとっては、食べてねv と言わんばかりのご馳走に見えるかもしれません。しかし、しかしあそこで仁王立ちしているのは……ただの少女です。……ただの、少女の、筈なのです。……あれ? 「あ、あの…? 僕、おいしく……ない、です…よ…?」 「いただきまーす!!」 シュパッ! 岩山から急降下するように飛び降りた少女が、凄まじいスピードでこちらに走ってきます。 「やっべ…!」 ジャムは、焦りながら左右をちらりと確認します。そして、この尋常じゃない状況に対して、最も有効な手段を講じることにしました。これも自分とボクシィを守るため、仕方ありません。 ガッ! 「えっ!!?」 グーイの首根っこを掴み、腕の高さまで持ち上げます。 「ちょっ、ちょっと、ジャム…ッ!!」 「恨むんなら自分か神様にしてくれ!!」 ぽーいっ! グーイの身体が、縄に縛られたまま宙を舞います。 その一瞬の隙に、ジャムの姿が、ボクシィと一緒に掻き消えました。どこかへワープしたようです。 眼前では、ちょっと涎を垂らしたスク水の少女が、牙と爪を丸出しにして、自分に掴みかかろうとしていました。 ……グーイの目に、少しばかりの涙が浮かんでいたのは、何も土埃のせいだけではないでしょう。 なんで……なんで今日はこんな目にばっかり!? 「うっ……うわあああああぁぁああぁぁあああああああ!!!?」 「アイム・ハングリーッ!!!」 少女の牙が、すぐそこにまで迫っていました。 どぉぉぉおぉんッ! 「!?」 いきなり、目の前が煙と爆風に包まれます。目が見えなくなって、そのまま景色は暗転しました。自分の身体が、宙でくるくると回っているのがわかります。 ……ぽすんっ 宙を舞っていたグーイの身体は……全く別の衝撃に支えられました。それは……誰かの腕のようでした。 「やれやれ……大丈夫ですか? ずいぶん怪我をしているようですが……――――」 状況がわからなくて、なんとか目を開けようとしますが……うまくいきません。チカチカする視界の中で……助けてくれた誰かの顔が、黒い影に見えました。……それは頭の左右にツノを生やした、鬼のような姿の影でした……―――― 「……は、……はい……。」 彼は、喋れるくらいにはグーイが「無事」であることに安心したのか、少し表情をほころばせたようです。しかし、すぐに少女の方へ視線を向け、大仰な溜息を吐きました。その溜息にはどこか貫禄すらあり……なるほど、今まで少女の「こういう」行動に、ずいぶん振り回されていたのだなぁ……ということがわかります。少女はとっくに地面に着地し、不満そうに歯をギリギリ言わせながら、グーイを抱きかかえる男の方を睨んでいました。 「オニィ……どうしてガブから獲物を奪う!そいつはガブとオニィの晩ご飯だぞ!このままじゃご飯抜きだぞ!腹減りだぞ!ガブは嫌だぞ!超嫌だぞ!!」 「あのねぇ…………ガブリエルッ、あなたはどうしてそう短気なんですか!僕がちゃんとご飯作ってあげるって言ってるのに、勝手な行動ばかりして…! それに、この人は食べ物じゃありません!人間です!!」 「いやっ、食べられる!焼くんだ、オニィ!骨まで焼くんだ!!」 「焼いちゃダメ!食べちゃダメ!!禁止!!」 「弱肉強食だ!働かざる者食うべからず!だから食べるぞオニィ!!」 「意味が違います!もうっ、誰がこんな子に育てたのやら……」 あーでもない。こーでもない。 ……グーイの頭上で繰り広げられる口論は、まだまだ終わりそうにありませんでした。 グーイは薄れかけた意識の中で……まだ気を失うには早いのだということを、悟らざるを得ませんでした。 寝ている間に食べられてしまうのは、さすがのグーイでも嫌でした。 ――――2人の口論を背景に、レインボールートの陽は沈みます。 |