第27話 それぞれの戦い(8 〜優しい笑み)



 目の前には闇が広がっていました。
 目を閉じても、やはりそこにあるのは、闇です。
 メタナイトは、うっすらと瞳を開いたまま、ほとんど瞬きもしませんでした。
 彼女は心を閉ざし、一切の光を受け取ろうとしません。それもそうでしょう。今の彼女は、囚われの身。逃げ出すことが出来ないのならば、敵に余計な情報を与えぬよう、目を動かすこともなく、口を閉じ、人形のようになっているだけ。それが最も有効な、敵に対する「攻撃」でした。彼女は、騎士です。世界一の、騎士でした。その心は、いつだって、戦争の中にありました。
 …カツッ、カツッ、カツッ…
 どこからか、誰かが歩き寄ってくる足音が聞こえました。その音を聞いてもなお、メタナイトは固く心を閉ざし微動だにしません。
 足音は徐々に大きくなり、荒々しいものとなりました。闇の中から姿を現したのは、その闇と同じ黒き衣を身に纏った少女……ダークメタナイトこと、エリザです。エリザは不機嫌そうな顔で頭を掻きながら、イライラと叫びました。
「クソッ、まだ起きねぇのかこの女は!」
 どかっと壁際にもたれかかり、そのまま頬杖をついて座り込みます。その顔は怒りに満ちていましたが、憤怒や激情というよりは、子供っぽい不服や不満、気に入らない、楽しくないっ、という思いに満ちた表情でした。その顔があまりにも子供らしく、メタは思わずクスクスと笑い出します。エリザは、ハッと自分の隣で磔にされていた女騎士を振り返りました。メタは目を伏せていましたが、その唇は三日月のような形に曲がっていました。
「なんだよ、起きてたんならそう言えよな!驚いちまったじゃねーかバカ!!」
 慌てて吐き出すその言葉でさえ、負け惜しみを言う小学生以上のものではありません。メタは小さく頭を上げ、エリザに向かってにこりと笑いかけました。汚れた頬、乾いた瞳が作り出すその笑顔は、憔悴している身とは思えないほど穏やかなものに見えました。エリザは一瞬変な顔をして目をぱちくりさせましたが……すぐ、邪悪でどす黒い笑みを浮かべます。……そんな雰囲気を、シャドーカービィの見よう見まねで作ってみます。メタの鼻先に自分の唇が当たりそうになるくらいまで近づき、芝居がかった嘲笑を浴びせました。
「まぁいい、メタナイト……そう余裕ぶっこいていられるのも今の内だぜ。
パパが今度帰ってきた時には、お前の心ん中の秘密、全部さらけ出してやるからな……せいぜい今の内にどんな拷問を受けられるのか、楽しみにしておくんだな!ハッハッハッ!」
 腰に手を当て、得意げに言い放つエリザ。メタは、彼女の姿をぼんやりと見つめました。細い腰。まだ少女らしい、華奢な部分が残る腕や足。……なるほど。メタは静かに思い出します。エリザの姿は、まだ彼女が剣の修行の真っ最中だった頃……男にも負けない強さ、誰にも負けない剣の高みを目指すため、ただただ修行に明け暮れ、それだけに没頭していた時代の自分を思い起こさせます。そう、彼女の姿は……メタの少女時代の姿、そのものでした。
 その頃のメタと目の前のエリザは、姿は寸分変わらぬように見えましたが、けれど中身は、全く違うようでした。エリザは、自由な少女に見えました。愛する者がいて、目指す者がいて、それに向かって一生懸命で、純粋で……がむしゃらにがんばり、ただ有るように生きている。そのような姿に見えました。
 メタ自身の過去は彼女にとってあまりにも遠く、思い出すことすら苦労するものでしたが……微かに覚えているその世界での彼女は、ただ、前を向いていることしかできませんでした。他に何も選ばず、欲さず、ただ、剣だけを握り、剣だけを頼りに生きてきました。優しい言葉をかけてくれる人もいましたが、それでも、彼女は剣の道以外を選べませんでした。女であろうが、強くなくてはならない……強くなければ、誰も守れない! 強く、強く、ただ、強く!!
 それは孤高の道でしたが、同時に、孤独の道でもありました。彼女は、煌めいた輝かしいもの、少女でなければ触れられなかった素敵なもの達を、全て拒絶して生きてきました。もちろん、その後も彼女に付いてきてくれた人、彼女の傍にいてくれた人はたくさんいましたが……けれど、少女の頃の飾らぬ輝きというものは、彼女にとって、あまりに得難いものでした。
 メタは不思議な、どこか懐かしさと憧れを含んだ気持ちになりました。エリザは、鏡を通ってやって来たメタの姿を借りただけの、全くの別人です。ですが、自分と同じ顔をしたこの少女に……どこか、親しい気持ちを感じていました。
 エリザは、笑うのを止めて、メタの顔を見返してます。ぶすーっとしたその顔は、全身全霊で、不機嫌さをアピールしていました。眉をひそめ、長い黒髪を掻き上げます。
「なんだよ、その目は? オレの顔に何かついてるか?」
「……いや…? ……別に。
……ただ、一つ……思っただけだ。」
「…も、もったいぶんじゃねーよ! ハッキリ言え!」
 メタの目に、少しだけ光が戻ります。
 もう、自分に、残された人生は少ないでしょう。この鏡の国で死ぬことは考えていませんでしたが……それでも、彼女は自分の「出番」がそう長くは続かないであろうことを、知っていました。
 メタは、目の前の少女に向かって、優しい笑みを浮かべます。
 メタが決して得られなかった人生の喜びの中にいる、メタと同じ顔の少女に向かって、軽やかに笑いかけます。
「幸せにおなり。」
「え?」
 エリザは、呆気にとられて呟きました。
 それきりメタは、再び目を閉じ、石のように黙ります。
 彼女の人生は、戦争の中です。目を閉じても、目を開けても。心の中も、そして、その外側も。
 誰かを守るために、彼女は強くなりました。誰かの盾として存在するために、彼女は騎士になりました。
 それ以外の生き方を、選ぶことを捨てました。
 剣は 彼女自身。
 錆びようが、欠けようが、斬れる限り戦い続ける。
 その人生を悔やんだことは、ありません。だけど、もし……
 ……もし、彼女に娘がいたのなら、彼女は娘の肩を抱き、そう呟いたに違いありませんでした。
「……な、なんだよ……おい、メタナイト……。
どういう意味だよっ、テメー! 起きろってば!!」
 エリザは何度も、メタの肩を揺さぶりました。
 しかし彼女は心を閉じ、そのまま言葉を発することはありませんでした。





 ……少し前に吹雪は止み、今はたまに吹く風が、雪の粉を舞わせるだけになりました。
 ウィズは、窓の外を見つめます。
「…………。」
 彼は、止んだ吹雪の向こう側、遙かな闇の果てへと意識を傾けていましたが……すぐ、その視線を逸らします。端正で中性的な、白い横顔が窓の表面に映りました。その片目には、澄んだモノクルが嵌められています。
 外の世界とこの暖かい屋敷の中では、相当な温度差がある筈でしたが、窓は結露を浮かべることなく、曇ることすらありません。窓の表面か……もしくはガラスの性質自体に、この極寒のペパーミントパレスでも生活しやすいような、工夫が凝らされているのでしょう。ウィズは、持っていた銀のお盆を、そっとベッドサイドに置きました。
 視線を、ベッドの中で眠る幼い少年の方へ傾けます。
「…………。」
 少年は、穏やかな寝息を立てたまま、目覚める気配はありませんでした。
 ウィズは少年の額にそっと触れ、その体温が徐々に平熱に戻りつつあることに、ホッとたような表情を浮かべます。

 ウィズの屋敷の前に、この少年が倒れているのを見かけたのは、つい数時間前のことでした。
 ひどい吹雪の吹き荒れる風のなかに、カツンッ、カツンッ……と、扉を叩く音が聞こえ……ウィズは、不審に思い駆けつけたのです。このペパーミントパレスの近くに、人はほとんど住んでいません。また、その中でも辺境と言える地にあるウィズの屋敷に近づく人は、そうそういるわけではありませんでした。予告もなく、また呼び鈴を押すこともなく……ただ扉を叩き、家主を呼ぶ強引なお客というのは、はじめてと言っても良いくらいです。
「どなたですか?」
 ドアノブに手をかけながらも、ウィズは慎重でした。彼は、主人の代わりにこの屋敷で番をしている身だったのです。迷惑な客を引き入れるわけにはいきません。扉越しに、ゼェゼェという息づかいが聞こえました。ウィズは、その息の仕方に、まるで肺炎を患っているかのような、危うい響きを感じました。ハッとそれに耳を傾けた時、蚊の泣くような、少年の声が微かに聞こえてきました。
「た……、す、けて……下さい、……さむ、…く、……て……――――」
 どさっ
「!」
 雪に何かが倒れ込む、にぶい音がしました。ウィズは急いで扉を開けます。そこには、空色の髪の少年が倒れていました。少年の顔は真っ青で、ガチガチと鳴らす歯の奥からは、肺に穴を開けられたかのような、ひどい呼吸音が聞こえました。
「大変…!」
 少年を抱きかかえたウィズは、すぐさま寝室へと走りました。
 扉を閉める瞬間、ウィズは白い大地の向こうに、深淵の闇の世界を見ました。雪が、急に……完全に、止んだのです。
 闇がにたりと笑ったかのような、そんな胸のざわつく感じを……ウィズは無意識に感じました。
 ガシャァンッ!
 扉が完全に閉まった時、外からは風の音一つしませんでした。

 微温湯と暖房で彼の身体をゆっくりと温め、可能な限りの応急処置を施し……今は、主人の残した熱病の薬を彼に飲ませ、寝かせています。その為か、少年の体調は、少しずつでも良くなってきているようでした。
「……でも、困りましたね……。」
 ウィズは、独り言のように呟きました。椅子に腰掛け、リラックスするでもなく、ウィズはただ少年の寝顔を見つめているだけです。
 その金色の眼は、どんな感情を孕むこともなく、美しく輝いているだけでした。
 まるで、作り物のように。人形の、瞳のように……――――
「…ん、……んっ、ぅんっ……」
「!」
 少年が微かに身じろぎし、けほけほと咳をします。ウィズは素早く温かいタオルを彼の胸に当て、呼吸を楽にしてやりました。少年は、少しだけ苦しそうに息をしていましたが……次第に、平静を取り戻してゆきました。熱に浮かされたような、焦点の合わない目で、ウィズを見つめます。
「……あ、なた……は…? ……ぼくを、助けてくれたの…?」
 まだ呂律が回っていないようでした。ウィズは、ムリして喋らなくても良い、と目で合図を送ります。そして小さく頷き、柔らかく微笑みました。
「僕は、ウィズと申します。ご主人様より、この屋敷の留守を預かっている者です。
あなたがお屋敷の外で倒れているのを見つけた時は、少々驚きましたが……意識が戻られて、何よりです。まだどこか、痛いところはありませんか?」
 そう言うとウィズは立ち上がり、戸棚を調べ始めました。戸棚には均等に、何重、何百にも区切られた木枠が嵌めてあり、見ているだけで目が回りそうです。そしてその木枠の一つ一つに、美しいクリスタルガラスで作られた薬が、何百種類、いや何千種類も、ストックしてあるようでした。少年がぽかんと見つめていると、ウィズはその視線に気づいたのか、照れくさそうに笑いました。
「僕のご主人様は薬学に精通され、その第一人者でもあるのです。その他、魔学、科学などにもお詳しく、また博学であらせられ、僕など…………あっ、…も、申し訳ありません、つい……。」
 ウィズの白い顔にサッと赤みが差し、はにかみながら頭を掻きました。その仕草がとても人間くさく、少年もつられて笑ってしまいます。少年は、穏やかな笑顔を浮かべながら、こう続けました。
「……ウィズさんはそのご主人様のこと……すごく、好きなんだね。」
 ウィズの頬に差した赤みが、より鮮明になった気がしました。
 恥ずかしそうに片目のモノクルをかけ直しながら、ふふふ、と、微笑んでいます。
「……はい。あのお方を、僕は世界一……尊敬しているのです。……お客様に、お恥ずかしい所をお見せしました。」
 ぺこりと頭を下げるウィズを、少年は慌てて制します。
「ううんっ、だって尊敬してる人のことが口から出ちゃうのは、とても自然な事だと思うし……何より、ぼくは勝手にお世話になってる身なのだから、お客だなんて……」
「このお屋敷にいらした方は、誰であれ大切なお客様です。特に弱ってらっしゃる方の手助けとなれるなら、それ以上幸運なことは御座いません。どうか、肩の力を抜いて下さいませ……」
 ウィズの声が、急に固く、定型じみたものに感じられました。少年は一瞬驚いて、ウィズの顔を見つめましたが……ウィズは何事も無かったかのように、戸棚から一つの薬を取り出します。その薬は、青いガラス瓶に閉じ込められ、外からは薬の色が見えませんでした。
「もう夜も遅いです……このお薬を、お飲み下さい。胸の痛みを取り除き、深い眠りへと誘ってくれる筈です……熱も、目が覚めた頃には、霧散していることでしょう。」
 優しい口ぶりながらも、有無を言わさぬ声でした。少年は急に怪訝な気持ちになり、瓶を受け取ることが、出来ませんでした。……主人の話をしていた時と、今の彼が、どこか別人のように思えたからです。ウィズは、暫く黙っていました。しかし……ふと、優しい笑みを、少年に向けました。その顔に浮かんでいたのは、ただぬくもりと、気遣いの想いだけでした。ウィズは小さく、呟きます。
「眠るのが怖いのであれば、僕がずっとお側にいます……心配しないで下さい。」
 そして、横たわる少年の頭を、小さく小さく、撫でました。
 その掌から伝わる優しい感触が、少年をどこか懐かしい気分にさせます。少年は、クスクスと笑いました。
「なんだか……グーイみたい。グーイの掌と、よく似てる……。」
「グーイ…?」
 ウィズが聞き返します。少年は、えへへと笑いました。
「ぼくの、家族なんだ……。お兄ちゃんとぼくとグーイで、プププランドで暮しているの……。
グーイは、ぼくのお母さんみたいで……いつも、優しくしてくれる……。ああ、グーイのお料理……食べたくなってきちゃった……。」
「…………。」
 ウィズは、少年からは見えづらい位置で、静かに瓶の蓋を開けます。少年は眠たそうに、小さなあくびをしていました。彼を寝かせ付けるように片手で額を撫でながらも、もう片手ではしっかりと、その薬の瓶を持っていました。ウィズは耳元で、小さな声で語りかけます。
「さあ、もうお休み下さい……このお薬をお飲みになって。大丈夫、よく効きますよ……。
……そして、失礼ですが、……あなたの、お名前は…?」
 答えようとした少年の唇の中に、ゆっくりと、けれど素早く、薬の小瓶が傾けられます。
 水とほとんど変わらないようなその液体は、驚くほど簡単に、少年の喉を滑り落ち、身体に吸収されてゆきました。息をつく暇もなく、身体が重くなっていきます。内臓も血も、全てが眠りの準備に入ってしまったかのように、体内の動きが、スローモーションに感じられました。しかしそれでも、少年の唇は、その問いへの答えを呟きました。
「…ぼく、は……、カービィ。……ウィズさん、…………今日は、……ありがとね、…………ああ、もう……眠くて、言葉が…………続かないや……――――」
 カービィの瞳は、ゆっくりと閉じられました。後はそのまま、小さな胸が上下するだけになりました。
 ウィズはその寝顔を、数十分前とは全く違う気持ちで眺めていました。ウィズの顔からは一切の表情が消え、後ろからはただ、暖炉の火の爆ぜる音だけが聞こえます。
「……シミラ様。星の戦士の片割れを、捕らえました。……ええ、今は眠って頂いています。睡眠薬を使ったので……解毒しなければ、一ヶ月は何をやっても起きないでしょう。」
 ウィズは、自分の手の甲に向かって囁きました。その手の甲は、人のものではなくなっていました。そこには、まるでマイクのような穴が空き、その奥からは生命の鼓動と全く違う、低いモーター音のような陰気な鼓動が聞こえていました。
 ウィズの内側を走る電子機械は、遙か遠くの国にいるシミラの声を楽々と拾い上げます。シミラの声は拡張され、ウィズの内部に響いていました。シミラの声は病人のように儚げでしたが、どこかねっとりした、絡みつくような響きを宿していました。
「ご苦労ラな……ウィズ。まさか星の戦士がここまで早く手元に来るとは思わなかったラ……。
今、鏡の国はどこもかしこも様子がおかしいラ。星の戦士は、これからのチェス・ゲームで重要な駒となろう……。それでなくても、一度は被験体となって欲しかった人材ラぁ。どんな毒が効くのか……どこまで苦痛に耐えられるのか……再生能力に規則性はあるのか……興味が湧くラなぁ、ラララララララ……♪」
 主人の楽しそうな歌声を聞いて、ウィズも嬉しい気分になりました。何も知らずに眠るカービィを視界に入れたまま、にっこりと笑います。それは、カービィに向けた優しい笑顔と、全く同じものでした。
「ええ……。本当に、楽しみですね。
カービィさんは純粋な方です。このお方が涙に濡れ、細い躰を波打たせ乱れ狂うお姿は、きっとシミラ様のお眼鏡に適うものと思います。
シミラ様の喜び……それだけが、このウィズの至上の喜びですから。」

 窓の外では……再び、深い闇を白い雪が叩き付けていました。
 その音は猛烈な風となり、空気を切り刻んでいましたが……ウィズの屋敷は太いレンガで閉ざされ、その屋敷で眠る少年と、無情な機械人形の耳に、その風の悲鳴が届くことはありませんでした。