第26話 それぞれの戦い(7 〜小休憩)



「……誰だ、お前等。」
 エアロスターは、呟きました。ぼそりと、全ての感情を込めて呟きました。たとえば、疑いとか訝しげとか、不満とか少しの戸惑いとか、そういうもの全てを。
 その声に、テーブルの前で座っていた2人は振り返ります。一人は黒い髪に褐色の肌、それに……奇妙なくらい鮮やかな赤い眼をした青年です。もう一人は、これまた奇妙なピエロ帽を被った、小さな男の子でした。2人はもぐもぐとピザを頬張りつつ、器用に頭を下げています。
「あ、初めましてっス。オレ、ファイナルスターのタトゥーいいます。」
「ボクはマルクなのサ!マターちゃんの弟分なのです。よろしゅー。」
 ぺこりぺこり。
 ……エアロは、軽い頭痛を覚えて額を押さえました。その時です。後ろの方から何やら物凄い音……爆発音に近いような過激な音が、耳をつんざきました。
 バターンッ!!
「お二人さぁ〜んっ、ピザのお代わり焼けたよー!」
 底抜けに明るく、底抜けに無邪気な声が響きます。
 ……エアロは、先ほどとは別の理由で、更にキツい頭痛を覚えました。狭い店内で一人ナーバスなオーラを放つエアロの姿を目立つのが、すぐにその過激な店長に見つかってしまいました。背の低いその少年は、満面の笑みでエアロに抱きつきます。
「やっほぉ、エアローっ♪
お久しぶりだね、元気? お蕎麦屋さんの調子はどう? ねーねーねー、エアロってばーっ!」
「だぁぁぁぁぁぁっ、鬱陶しい! 寄るな、乗るな、触るなモーリィィィィ!!!」
 むぎゅ〜、と、エアロの体に抱きついてくるモーリィをぞんざいに引っぺがし、ぽいっと放り投げてしまいます。タトゥーは一瞬慌てましたが、モーリィは平気でした。後ろで待機していたヘビーモールの巨体が、ぽすんと、モーリィの体を受け止めます。モーリィは巨大なヘビーモールの上で四つんばいになりながら、不満そうな目をエアロに向けていました。エアロはパンパンと手を叩き、全く気にしていない様子です。……温度差の激しい奴らだなぁ、と、タトゥーはピザのお代わりを貰いながら考えていました。

 ここは、キャベッジキャバーンの半地下にある小さなピザ屋です。ピザ屋の名前は「午後屋(ごごや)」、店主の名前はモーリィといいました。この店はバイトもお手伝いも雇っておらず、モーリィ一人が全てを切り盛りしています。……先ほどのように、モーリィは明るく元気が取柄ではありますが、ちょっと明るく元気すぎる所があります。それでも足りない頭を総動員して、今日までお店を守ってきました。味が良く、値段も手頃なので、お客さんはそれなりに多めです。モーリィのテンションに付いていけること、モーリィの「ちょっとした」奇行にも馴れられること……が、常連客の条件ですが。
 モーリィは、ピザ作りやお店の切り盛りこそ本人一人でやっていますが、出前の時は違います。焼きたてのピザや冷たい地下水、そういった注文の品を携えて、彼はこの巨大な重機……ヘビーモールに乗り込むのでした。
 ヘビーモールとの出会いは、ゴミ捨て場です。捨てられていたそのロボットに惹かれた彼は、手塩をかけてロボットを直してやり、見事復元させ、眠っていた人工知能システムまで復活させたのです。彼はひどく旧式のロボットなので、「ピ」の一文字しか喋れませんが、それでもモーリィには、彼の言いたいことが全てわかってしまうのでした。以来、このどでかい重機は、子犬のように、モーリィの行く所ならばどこでも着いて回ります。モーリィはヘビーモールを信頼し、ヘビーモールはモーリィに忠実です。……「親」が「親」なので、このヘビーモールにも、どこか抜けた所がありましたが。
 ともあれ、この「午後屋」というお店は、そんな一人と一機によって形成されているお店なのでした。そして、その店長の一番の親友というのが……この、ライバル店でもある蕎麦屋「楓牙(ふうが)」の店長、エアロスターです。
 しかしエアロは今、最高に不機嫌でした。ムスッとしたまま、寄せた眉を下げようとはしません。モーリィはエアロの周りをうろうろしながらも、このままエアロの眉毛が眉間に張り付いてしまったら大変だと考えていました。きゃいきゃいと騒ぎ立てる彼を、エアロは片手で押しつぶします。きゃうっ!?、と、甲高い悲鳴が上がりました。
「う〜。え、エアロー……痛い痛い、テーブルとチューは嫌だよぉ〜〜…っ」
「ピ……ピピッ、ピピピピピピピピーっ」
 手の下ではモーリィが、モーリィの周りではヘビーモールが、それぞれ情けなさそうにバタバタとしています。エアロは手を離してやりましたが、冷たい視線で2人を射抜くことも忘れませんでした。モーリィは納得出来なさそうな顔をしていましたが、しぶしぶと身を引きます。ヘビーモールも、モーリィに従いました。エアロは軽く息を吐いて……目の前にいる、本当の不機嫌の元凶に目を向けます。
 タトゥーもマルクも、何故エアロがここまで怒っているのかの理由がわからず、ただ気まずそうにぽりぽりと頭を掻いていました。
 エアロは2人を睨んだまま、黙っています。
「……えーと……。」
 タトゥーは何とか会話を繋げようと口を開きましたが、もごもごするばかりで言葉が出てきません。名前がわかるのが精一杯、という初対面の人に、何と言えばいいのでしょうか?今日の天気のこととか?明日の晩ご飯のこととか?……そういえば、モーリィはさっき蕎麦屋がどうとか言ってたなぁ……と、タトゥーは半ば現実逃避気味に考えました。
「……えと、オレ蕎麦とか名前だけしか聞いたことねーんだけど、美味そうな名前っスよね。なんか、ソバソバしてそーな感じ…」
「蕎麦のことなんかどうでもいい。」
 ……一蹴。
 タトゥーはちょっとシュンとして、眉を落します。横ではモーリィが、「仮にもお蕎麦屋さんの店長が、どーでもいいとかはないでしょー!?」と、怒っていました。エアロはいきなり、バンッ、と、テーブルを叩きます。タトゥー、マルク、モーリィの3人が肩をすぼめました。エアロは、どこまでも冷静な声で言います。
「俺は、俺の管轄内にわけのわからん輩が出入りしているのが大嫌いだ。正体を明かして貰おう。ちゃんとだ。」
「ええっと、だからさ……ファイナルスターのタトゥーだって、」
「ファイナルスター?」
 エアロの声が更に冷えます。タトゥーは、これ以上会話を続けて良いものか迷いました。だけど自分は、別に間違ったことは言ってない。なのでこのまま、胸を張ることにしました。……タトゥーの不幸は、この国の性質をよく理解しないまま、この国に迷い込んでしまったことです。……ここは、タトゥー達の暮す惑星がある世界とは、全く別の次元、別の世界。タトゥー達の常識が、知識が、通用するとは……限りません。エアロは、フンッと鼻で笑います。
「そんな漫画みたいな名前の星、聞いたこともないな。嘘ならもっと上手に吐け。それとも真剣か?だったら、妄想か?」
 タトゥーは一瞬、頭に血が昇りそうになりました。ファイナルスターは、自分の父の代の戦士達が必死の想いで得た、たった一つの故郷です。それを妄想、だなんて…!
 だからタトゥーは、その声が自分の声なのかと思いました。しかし、違いました。そうであるはずが、ありません。……それは、子供の声でした。
 狭い部屋の中、その声は奇妙にねったりと響きました。クスクス笑いと重なって、おかしなハーモニーのようでした。

「……架空の妄想ニ取り憑かれテルのはァ、果たシテェ。
どっチの方、なのカなァ…?」

 クスクスクスクスクス。
 ……皆、部屋の中で固まってしまったように見えました。窓の外から?部屋の奥から?テーブルの下から? その声がどこから聞こえたのか、わかりません。一瞬、全ての空気が凍り付きました。そして次の瞬間……3人は、一斉に自分の後ろを振り返りました。一拍子遅れて、マルクとヘビーモールも、3人が振り返った方をキョロキョロと見返します。しかし、何も、無い。誰もいない。……誰の声だ? 3人は、確かに感じた不気味な気配を、子供の声が聞こえたことを……確かめ合う必要もありませんでした。こうして一斉に「それ」を探してしまったという反応自体が……何よりも生々しい、確かめ合いとなってしまったのです。
 視線を、元に戻します。……ただ、子供の声が聞こえただけだったら、ここまで嫌な、薄気味の悪い気分にはならないでしょう。しかし……その声は、何かが「違って」いました。まともじゃなかったのです。幽霊のような……狂人の、ような。どこかが、普通と違う声……。風景にぽっかりと浮かんだ、インクの黒いシミのような邪悪な感じがしました。しかし、タトゥーもエアロもモーリィも、誰も口を開こうとしませんでした。前の話題が思い出せない……だけど、不安は語りたくない。ヘビーモールは3人の間で、うろうろと行ったり来たりしています。でかい図体がうろうろするので、床がギシギシと軋んでいました。なおも、3人は黙っていました……その時再び、子供の声が聞こえました。
「ねぇ……あのサ、ボク達……本当のことしか言ってないんだ。ボクらの故郷がファイナルスターだっていうのも本当だし……嘘じゃないっていうのも、本当だよ?
もしかしたら、信じてもらえないかもだけど……ボクら、この国じゃない世界から来たんだ。迷い込んじゃった?というか……。ほら、この国って、鏡を通って移動するじゃない?そんな感じでサ、ボクらも入って来ちゃったんだよ。だから、何も知らないのサ……何か気に障ったんなら、謝るよ。だけど、マターちゃんばっかり悪いとかって、言わないで。」
 マルクは、一気にそこまで言いました。エアロは呆気にとられましたが……すぐに、その少年が自分に対して、この頼りない青年の弁解をしたのだということに気が付きます。今度はエアロの方が、ぽりぽりと頭を掻きました。
「いや、別に……俺は、素性が知れればそれでよかったんだ。怪しい奴らに出入りされちゃ、困るしな……。
だが、お前等の口ぶりじゃあ……本当の素性は、俺らには理解できないと。そう言いたいのか?」
 エアロの口調には、からかうような調子さえありました。2人は慌てて何か言いつくろうとしましたが、その心配は無用のようです。エアロは黙って立ち上がり、2人を見下ろします。そして、ニヤッと笑いました。
「お前等は頭は悪そうだが、下らない奴では無いらしい。馬鹿正直で結構だ。まぁこの世界にだって、説明できねぇ魔法みたいな事はいくつかある……実際、魔法を生業にしてるような奴らもいる。お前等の話はわけがわからんが……まぁ、あり得なくは、無いのだろう。それならそれで、いい。」
 冷たい目のまま言い放つエアロに、2人はぽかんとしていました。エアロは口を真っ直ぐに結び、面白くもなさそうに付け足します。
「俺は固い方だが、説明できん話を無理にまとめるのは好きじゃない。……それくらいは、柔軟だ。」
 そしてそのまま椅子を立ち、踵を返してしまいました。店の外へ出て行く手前で、ぼそりと呟きます。
「……それに、モーリィが自分からスペシャルピザをおごった奴に、今まで悪い奴はいなかった。……アホな奴ならたくさんいたがな。」
 ニッと笑いながら、そのまま扉の外へと出て行きました。カンカンと、階段を昇る音が聞こえます。
 ……タトゥーは、あのニヒルな顔を、ほっぺたをつねってぐにぐににしてやりたい衝動に駆られましたが、我慢しました。隣ではマルクが、ほーっとした顔をしています。その顔を見てると、なんだかタトゥーもとても安心してきて、自然と笑みが浮かんでいました。思えば、マルクが自分を弁解してくれたから、あの妙な空気から解き放たれ、そしてエアロと話をまとめる(?)こともできたのです。タトゥーは、マルクの髪をくしゃくしゃと撫でてやりました。マルクは、照れくさそうに笑っています。
 ふと前を見ると、モーリィが不思議そうな顔で、こちらをじっと見つめていました。ビックリして、思わずシェーのポーズを取ります。モーリィは、その反応にアハハと笑い出しました。束の間、空気がゆるみます。……モーリィはサングラスを軽くかけ直し、パンパンとエプロンに付いた粉汚れを叩きながら……小さな声で、呟きました。
「あのさぁ……タトゥー。マルク。さっき、鏡を通ってーとかって言ってたじゃない?
あれ、どういう意味?」
「へ?」
 タトゥーは呆けた声で、聞き返しました。質問したモーリィも、至って真面目な顔でした。何の穢れも疑いもない、ただ不思議そうな2人の目が、お互いを見つめ合います。モーリィは、小さく首を傾げました。
「だって、変だよ。僕もエアロも、簡単に国境を渡れないから、ヘビーモールや飛行機を使ってわざわざ出前をしてるのに……。
鏡を通ってここまで来れるなんて、変だよ。だって僕、ここでずーっ…と暮してるけどさぁ、そんな変な鏡の話なんか、聞いたことないもん。」
 ……え?
 タトゥーとマルクの声が、弱々しく重なります。さっきまでのエアロのような、感情的な目とは対照的な、ただ純粋な疑問をぶつけるだけの瞳。……こちらの方が、より深く、タトゥーの心をえぐりました。……会話が、噛み合って、ない? 常識が、意識が、噛み合って、ない?
「……え、だって……ほら、でっかいキレーな神殿みたいな所にさぁ、たくさんの鏡があって……その先がそれぞれ、全然別の国に繋がってるんだよ!オレもマルクもその中の一つに入って、そうこうしてる間に海に投げ出されて……そして、お前と出会って……――――」
 言いながら、タトゥーは、何かがおかしいことを感じざるを得ませんでした。モーリィはただ不思議そうに、2人を見つめています。マルクは、その純粋な目線に怯えるかのように、きゅっとタトゥーのシャツを掴んでいました。タトゥーは、さっき腹に入れたばかりのピザが、心の中の不安と同じように、むくむくと膨脹していくような、そんな感覚に襲われていました。
 ……自分にとって当然だと思っていたことが、簡単に覆される。同じものを見ていたと思っていたのに……全く別の名前を言われたりする。そんな感じでした……。
 そう。ここは、異世界。タトゥー達の母星とも、その母星を包む世界とも、一線がずれた場所……タトゥーは、微かな震えすら感じていました。見えない鏡。見える鏡。鏡を通ってこの国に来た自分たち。鏡のことも知らない、この国の住民……。
 タトゥーは、セントラルサークルで出会った彼らのことを、ぼんやりと思い出していました。……今は、とにかく彼らに会いたい一心でした。同じ体験をしてこの国へやって来たのであろう彼らと、視界を共有したいと……。もう、わからないことばかりで、混乱してしまいそうでした。タトゥーは軽く、こめかみを押さえます。……彼らと、連絡が取りたい。そしてその手段について……何か、とても大事なことを忘れてる。タトゥーは、どうしてもそれを思い出せませんでした。ううーんと、呻き声を上げます。マルクはその様子を見守りながら、もしかして腹でも壊したのかと、彼の周りでおろおろしていました。モーリィもまた、自分がいらないことを聞いたせいで知恵熱でも出したのかと、おろおろしています。更に、そんなモーリィの姿を見て、ヘビーモールもおろおろしていました。……モーリィはよく、エアロに勉強を教わりながら、知恵熱で倒れています。そんな経験から、ヘビーモールはモーリィが、いつ熱を出してぶっ倒れないか、心配なのでした。
「……なにやってんだ。お前等。」
 背後から、呆れ果てたような声が聞こえます。振り返ると、そこには去ったと思っていたエアロスターが立っていました。何やら、4つ折りほどのパンフレットのようなものを持っています。
「あ、エアロー? 帰ったと思ってた。」
「帰る時は、そう言う。これを取ってきたんだ……さっき脅かしちまった詫びだ。取っておけ。」
 ぽい、と、タトゥーに投げて渡します。開いてみると、それは……鏡の国の、全体図でした。タトゥーとマルクはそれを見つめながら、おおっと歓声を上げます。フルカラーでこの国の、円形の全体図が正確に書かれており、細かい拡大図や詳細な地名も、裏のページになどに書かれていました。これは役に立ちそうでした……全体の国名、この世界の「名前」に値するであろうロゴが、汚れていて、どうしても読みとることができませんでしたが。この世界の正確な名前がわかれば、彼らとの会話も多少は噛み合うようになるだろうと期待しましたが……このまま、心の中で“鏡の国”と呼び続けることにしましょう。その肝心の“鏡”を、住民であるモーリィに否定されたとしても……。
「ちなみに、今お前らがいるこの国は……キャベッジキャバーンという。ここから15kmも行けば、隣のマスタードマウンテンだ。地図を見ただけじゃあんまりわからんかも知れないが……広いぞ。水道や電話線を引くのがやっとだ。マスタードマウンテンなんかは、あまりに地熱が高いので低い土地にしか電話が繋がってない。水や電気は、それなりにどこでも通ってるがな……まぁ、人のいる土地に、最低限にしかない。みんな、日々を暮すので精一杯だ。お前等、迷ってもあまり人に迷惑をかけるんじゃないぞ。野宿でもして、しのげ。」
「へーい……。」
 キツい目線で言い立てるエアロに、タトゥーは生返事をしました。……その時、タトゥーの頭に、急に何かが引っ掛かっかります。
「ん? 電話……」
 そう、何か大切なことを忘れていたのです。連絡を取るために……通信するために……通信……通信…………つうしん…………――――
 タトゥーは、いきなり立ち上がりました。あまりの衝撃で、テーブルが半分ひっくり返り、向かいに座っていたモーリィとエアロが投げ出されそうになります。マルクはビックリした表情で、タトゥーを見上げました。タトゥーは、地図に両手をついたまま……叫んでいました。
「そうだっ!! 携帯通信機で連絡が取れるじゃねぇかーーーーー!!!!」
 かー。かー。かー。かー……。
 タトゥーの大声は、午後屋の煙突から立ち昇り、うららかな日差しの中にゆっくりと響いていきました。





 ワドルドゥは、頭を抱えてうずくまりたい気分でした。むしろ、このまま穴を掘って埋められたい気分でした。
 自分が情けなくて仕方がなく、目も当てられません。……デデデは、落ち込む彼の背中を、ぽんぽんと叩いてやりました。
「おい、ドゥ……失敗ならだれでもするさ。通信機を落しちまったくらい、どうってことねーよ。」
 しかし、ドゥはまだ顔を上げません。デデデはふぅっと溜息を吐くと、その場に同じく座り込みました。そして、自分の携帯通信機を取り出して、画面の表示を見てみます。……アンテナは、0。圏外です。……これじゃあ、在っても無くてもあまり変わりありません。デデデは、通信機をコートの中に仕舞いました。そして、なおも体育座りのまま落ち込んでいるドゥを、見つめます。
「……なぁ、ドゥ。お前……通信機を落したから、そんなに落ち込んでるわけじゃねぇんだろ?」
「…………。」
「あの……サスケとかいう魔獣が、まだ気になるんか?」
 ドゥは、そこで僅かに顔を上げました。厳しい目つきで、ジッと、自分の目線の下にある岩肌を見つめています。薄ら寒い洞窟のような場所で、2人は背中を合わせていました。外では雨が降っています。
「……はい。」
「……そうか。」
 会話が途切れます。ぴちゃん、ぴちゃんという、表からの水の音だけが聞こえました。ドゥは、何か会話を繋げようと思いましたが、上手い言葉が浮かびません。この時会話を引き継いだのは、デデデ大王本人でした。
「魔獣っていう奴らはな……ああいう、意志を持つことすら許さねぇような奴の方が多い。それなりの力や地位を与えられてるような奴なんか、極少数だ……大抵は、全ての自由を奪われた上で奴隷にされる。そして……捨て駒として、殺される。そういう運命だ……。
ドゥ、そういう奴を救ってやりたくても、救おうとする努力そのものが、お前やあの男を苦しめることになるかもしれないんだぞ。それでも……捨てきれないのか。」
 デデデの声は、あくまで淡々としていました。しかし、その一番底には……魔獣という存在に対するやるせなさ、そしてそんな存在に立ち向かおうとする事への同情が込められていました。過去、デデデ自身が魔獣達と戦い……そして彼自身も、そんな「魔獣達」と深い繋がりを持ってしまった故に、得てしまった哀しみと喪失感。デデデは、そういったものをまだ幼いドゥに、知って欲しくはありませんでした。しかし……わかってもいました。どんなに止めようとしても、止まらない感情というのはあることを。過去の自分も……その時の部下に何度止められても、結局はその悪夢の世界に足を踏み入れてしまったのですから。
 ドゥは、乾いた目でジッと前を見つめていましたが、ふいに、口を開きました。その声は弱々しいものでしたが……喉の熱さがそのまま声になったような、しっかりと強く、耳に張り付く声でした。
「僕は……昔の記憶がありません。片目を魔獣のものに移植されて、それ以前に持っていた全ての記憶を失って……ただの実験動物みたいに死んでいくハズだったのに、メタナイト様に助けられたお陰で、命と未来を救われました。そして、陛下に住居と仕事も頂き、新たな道を進むことができました。それまでに失ったものに対して……怯えることも、なくなりました。
サスケも、きっと……そうなんだと、思うんです。今まで得てきた思い出も居場所もみんな無くして、彷徨ってるんだと思うんです。自分が何者なのか、何をするべきなのかもわからずに……。
……グリルはきっと……サスケを使い潰して平気なんです。何の損失にもならないんです。サスケの全ては失われるのに……あの女は、何も失わないんです。
…………。偽善だと思います。だけど、あのままサスケを放っておきたくありません……。せめて、もっと他の道を選ばせてやりたい。他の道もあるのだということを、他の生き方もあるのだということを……知って欲しいんです。……知って、それを選んでもらえなかったら……それまでではありますが。
……それでも、何もしなかったら……きっと一生、僕、後悔すると思うんです。」
 デデデは、静かに頷きました。ぴちゃん、ぴちゃん……外では、雨が止みつつありました。ドゥは、遠慮がちに、微笑みます。
「……すいません。メタナイト様を捜しに来たのに、余計なことを……。」
「いい。余計な仕事、ってヤツは放っておいても増えるもんだ。……俺の国務みたいにな。紙や帳面で片付けるより、腕っ節で片付ける方が俺は好きなんだが。」
 2人は同時に、ニッと笑いました。表では、弱い日差しが照りつつあります。
 ドゥは、少し心配そうに、その空を見つめていました。グレイの雲が薄くなっていきます。
「……カービィさんも、ルビィさんもグーイさんも……あと、あのタトゥーという方とマルクという方も……。」
「グリルって女もそうだし、サスケもそうだな。それから、メタに良く似た黒髪の女……。」
 この国のどこかに囚われているメタナイト。バラバラになってしまった仲間達。偶然出会った不運な「同士」。そして敵意を持つ数人と、まだ見知らぬこの国の住民……。
 出会うべき人々、決着をつけるべき者達、見つけなくてはならない仲間達は、この空の下の一体どこにいるのでしょうか。きっと他のみんなも、同じような空を見ながら、同じ悩みを抱えているのかもしれません。2人は立ち上がり、軽くズボンを叩きました。薄い水色の空です。雲は、絹のヴェールのように薄れていました。白い陽の光が降り注ぎます。
「……お仕事がまた、増えちゃいましたね。陛下。」
「書類に向き合わなくていいんなら、これもまた一興だ。」
 2人はハンマーと短剣を持ち直し、洞窟を後にします。
 岩肌に点々と残った水たまりは、青いガラスの破片のように、美しく輝いていました。





 …ガシャンッ……――――

 ちらちらと、雪が降っています。ペパーミントパレスの清らかな白い大地に、ビシャビシャと何かが飛び散り、汚していました。それは赤黒い血のようにも見えましたが……その匂いは鉄というより、揮発油のそれでした。一瞬遅れて、どしゃりと……重たい、大きなものが倒れ込むような音がします。漏電しながらその身を横たえるメガタイタンに、シャドーはバカにしたような嘲笑を浴びせました。
「おいおい、もうお終いかァ? スタミナ無いねぇ。そんなにオイル垂れ流したまま漏電してっとぉ、爆発するぞぉ?
それとも忠実な機械のお犬様はぁ、鬼のご主人様に疲れちゃったからもぅ死にたいのかなぁ?」
 メガタイタンは、薄れそうな意識を……フリーズしそうなプログラムを再起動させて、ボロボロになった身体を押さえながら、よろよろと吹雪の奥に消えてゆきます。……一瞬シャドーを睨んだその仕草は、毒づくどころかそのままシャドーをぺしゃんこにしてやりたい、という欲望が滲み出ていましたが、音声回路さえやられた彼には、そんな芸当、土台無理です。残った腕は一本だけで、その腕で飛び出しそうな内蔵物を必死で押しとどめるのがやっとでした。
 ズルッ、ズルッ、ズルッ……。メガタイタンの身体には、焼かれたような傷、稲妻でショートしたような傷、刃で貫かれたような傷……かと思えば、この凍れる大地以上の冷気にさらされたような氷片が、関節に挟まっていたりと……あらゆる傷や、攻撃の痕跡が残っていました。メガタイタンを破壊しない程度に……破壊さえ免れれば、何をやってもいいというくらい……ズタズタにされていました。生きているのが哀れになるくらいです。シャドーは近くに落ちていた彼の腕の一部を拾い上げ、姿を消していく黒い影に向かって叫びます。
「ダークマインドのクソに言っておけよぉ!オレ様はお前等の奴隷になんかならねぇってな!!
オレに逆らったらどうなるか、よく覚えておけマゾロボットめ!!ハハハハハハハッ!!!」
 笑いながら、肩を振り上げてその破片を投げ飛ばします。腕は、見事にメガタイタンの首の部分に当たりました。ゴツンッ、という小気味良い音と共に、ずしん…っ、と、メガタイタンが倒れる音が聞こえます。シャドーはその様を見ながら、ケタケタと笑っていました。目も口も醜く歪めたまま、引きつったように震えています。
「……あー、寒ぃなぁ……こんな所で、長いこと遊びすぎた……。
今更、カービィちゃんの様子を見に行ってもなぁ……。オレには風当たり強いんだよな、あいつ……。
仕方ねー、オレもちょっと休憩するかぁ……。ううっ、寒ぃ……。」
 鏡をくぐり、セントラスサークルに戻った彼は、猫のようにぷるぷると身体を振りました。神殿の床にぱらぱらと落ちた雪の塊は、すぐに溶けてなくなります。シャドーは、冷え切った自分の肌を撫でながら、ポケットの中の煙草を取り出そうとしました……その時、鏡の横の、積み重なった神殿の破片の奥に……何か、光るものが落ちていることに気が付きました。
「?」
 シャドーは、それを拾い上げます。それは桃色の小さな機械で……いくつかのボタンと画面が付いている以外、特に機能は無さそうでした。裏には、この機械の主電力である電池を入れるための蓋があります。シャドーは、今までそれなりに色々な機械を見てきましたが……これは、驚くほど原始的なシステムのように見えました。……携帯電話の前身、いわば携帯通信機……といったところでしょうか。シャドーは、軽く首を傾げます。
「なんだ、これ……。」
 シャドーの手の中に、通信機はこぢんまりと収まっています。画面には、アンテナが三つ、全て立っているようでした。