第24話 それぞれの戦い(5 〜悪夢への誘い)



 衝撃に振り返り、その身が置かれた状況を頭が把握した時には、既に全てが遅かったのでした。
「カービィ!?」
 どこか遠くで、ルビィが叫びます。カービィはそれに応えましたが、突然の恐怖と腕の痛みで、その声は震えていました。
「お……お兄ちゃん…!!?」
 腕を、伸ばします。ルビィの腕もまた、カービィの方へと伸ばされました。
 二つの細い腕が、お互いの手を掴もうと引き寄せられ……その指先が触れ合うこともなく、片方は消えてしまいました。
 最後に残ったのは、カービィの悲痛な叫び声と、グリルの皮肉な嘲笑だけです。
 景色が歪み、兄の姿が消えました。
 そこまでを視界に止めたきり、カービィの意識は、暗い世界へと落ちていきました……――――





 ……シャドーは、ふと顔を上げます。
 嫌な感じがしました。何か、邪悪な……邪悪で歪んだ力の流れが、ぐわりと脈動したかのような、そんな感じです。彼は吸っていた煙草を放り投げ、靴底でぐしゃりと踏み潰しました。不機嫌に眉を寄せながら、チッと舌打ちします。
「グリルめぇ……短気な女はモテねぇんだぞ!」
 シャドーは少しだけ悩む素振りを見せましたが、すぐに自分で首を振ります。そして後は一目散に、その場所へ向かうための「鏡」を探しに駆け出しました。
「“白馬のシャドー様”が到着するまで、やられんじゃねぇぞお……お姫様よぉ!!」
 手短な鏡に入り込んだ彼の姿がぐにゃりと歪み、シャドーの姿が消えます。
 それきりその鏡は、元の景色を映すだけとなりました。





 ――――……魔王様、……いけません、お一人では……せめて、誰か護衛を……。
「………?」
 それは、誰かの声でした。頭が痛くて、瞼が開きません。何も見えません。カービィは、深い泥のプールの中で漂っているような気がしました。声は続きます。
「必要ない。これは、私の戦いだ……誰一人として手を出すな。グリル=リルゼン……お前もだ。」
 聞き覚えのある声です、しかし……思い出そうとすると、痛む頭に更なる激痛が襲いかかり、それ以上考えることが辛くなります。しかし、彼の言葉の中で、一つだけわかる単語がありました……“グリル”、です。……彼の声に、反論が上がりました。カービィが知っているグリルの声より落ち着いた、大人っぽい声でしたが、この声の主こそがグリルなのでしょう。……ここは、グリルの記憶の世界なのでしょうか。
「ですが、魔王様…!危険です!
夢の泉は宇宙の秘宝……今まで7つの偽の泉は制圧しましたが、その偽物でさえ強大な力を持っていたことには違いありません。ポップスターのものは……あらゆる力に守られています。ですから、お願いです……せめて、10ランク以上の者をお側に…!」
 カービィは、必死の思いで目を開きました。ぼやけた視界の中に、痩せた魔女の姿と、紫の髪の男の姿が見えます。
 カービィは……アッ、と、声を上げてしまいました。
 そう、この男こそ、カービィが数年前に倒した「魔王」……ナイトメア、その人でした。
 またの名を、「悪夢の王」……。巨大なネットワークを組み、魔獣配信を含めたあらゆるビジネスで宇宙を裏から牛耳るホーリー・ナイトメア社の会長です。
 ナイトメアは、グリルの方を向きました。その白い横顔はゾッとするほど美しく、そしてその表情は、背筋が凍るほどに冷たいものでした。グリルも一瞬、気圧されたかのように立ち竦みます。
「同じ事を二度言えと? リルゼン、お前はそこまで馬鹿ではない筈だが。」
「…………。」
 何か言いたくても、声が出ない様子でした。グリルは唇を噛み、そこに立っています。ナイトメアは、彼女をそれ以上見ることもなく、カッカッカッ……という、革靴が床を叩く音だけを響かせて、歩みを早めました。
「……ナイトメア、様……。……お願いします…………どうか……――――」
 ……一瞬。
 その一瞬だけ、ナイトメアの歩みが、止まった気がしました。しかし、その声が届いたからかどうなのかは、わかりませんでした。ナイトメアは、自らの手首にかけていた腕時計に向かって、呟きます。
「アナウス……私だ。今よりポップスターへと向かう。監視兵を全て撤退させろ……。」
 視界が、バチンッ……と、途切れます。カービィは再び、闇の世界へと戻ってきました。

 そう、ナイトメアは単身でポップスターへと飛来し……夢の泉を支配しかけました。悪夢の力により歪んだ“夢の泉”の流れ……人々の心さえ破壊せんとするその邪悪な波動は、ポップスターの住民を苦しめました。
 それを止めた者こそ、この星の戦士カービィと、デデデ大王の2人です。デデデは夢の泉からスターロッドを盗み、いずこかへと隠すことで夢の泉を無力化しました。そしてカービィが、ナイトメアを追い詰めたのです。
 ナイトメアは、強い力を持っていました。しかし、スターロッドの力を得たカービィに、徐々に徐々に逆転されていったのです。スターロッドは、今でもカービィの心強い味方となっています。……カービィは、今は髪飾りとなっているその金色の護りに、そっと触れてみました。闇の中で、星屑のような光が、キラリと輝いた気がします。
 そしてナイトメアは……滅びました。しかし彼の死は、カービィが止めを刺したからではありません。カービィはその時の光景を、今でも心の深くに……傷跡のような記憶として、留めています。忘れられないのです。
 ナイトメアは、カービィの目の前で……自爆しました。
 パワー・オーブと呼ばれる闇色のマントで身を包み、月面に立った彼は、何事かを呟き……自らを焼き尽くしたのです。笑いながら、身を滅ぼしながら、猛烈な力の渦でカービィをも巻き込もうとしました。カービィは、スターロッドの力で何とか逃げ出し、今、ここにいるのですが……あの冷たい嘲りの笑みは、カービィの心に焼き付いて離れません。
 ナイトメアは結局、月の1/3ほどを破壊しました。月は永遠の三日月型となり、本来のまあるい輝きを失って、ぽっかりとした闇を孕んでいます。ナイトメアの件は、それほどの人物が自ら引き起こしたにしてはかなり穏便で安全な形により幕を閉じましたが、ポップスターの住民達は、えも言えない不安を抱えるようになりました。
 ……ナイトメアが残した爪痕は、彼の真意は、この残った「事実」だけが全てなのでしょうか? 月を吹き飛ばしたとはいえ、彼の目的はそれだけだったのでしょうか? 夢の泉のことは? グリルが言っていた、「偽の泉」とは? そして、いくら星の戦士とは言えまだ幼かった彼に、魔王とすら呼ばれるナイトメアが、追い詰められるものなのでしょうか?
 疑問は尽きず……浮かんでは、消えました。また、カービィの意識も……深い深い闇の中へと投げ出され、次第に薄れてゆきました――――





 ボシャアアアアアアンッ!
「!?」
 冷たい!
 カービィは突然のことで、何が何やらわからないまま、必死で両手両足をバタつかせました。
 目を開けます。大量の泡が、視界に映りました。ゴボゴボゴボゴボと、叫ぼうとするたびに、口から泡が溢れます。上下の感覚が無くなり、ジタバタと喘ぐことしかできません。カービィは、咄嗟に理解しました……これは、海の中です!
「…ッ〜〜! 〜〜〜〜〜〜!」
 酸素が無くなり、耳の中がキーンとしてきました。寒さに震え、息が止まります……カービィは、この地獄のような苦しみを、けれどどこか懐かしく感じました。そう、これは一度体験した痛みです……カービィは最後の息を吐き出しました。ごぼり、と、大きな泡が、水面へと向かいます。力無く投げ出された細い腕が、ふわりと水中を漂いました。

 パシュッ…

 ……カービィは、今度は森の中へと投げ出されます。反動で、飲み込んでしまった海水を吐き出しました。ゲホゲホと、噎せるように咳をしながら、何度も何度も息を吸います。上気した頬に涙が伝い、ヒューヒューという呼吸音が、咳と一緒に混じりました。胸を押さえながら、柴の上に身体を横たえます。その小さな身体は、寒さと痛みで、ビクビクと痙攣していました。
「けほっ、けほっ……う、ぇぇ…っ…!」
「酷いナリだねぇ。星の戦士の名が聞いて呆れるよ……」
 冷めた声が、カービィへと降り注ぎます。彼は顔を上げました。……そこに立っていたのは、グリルです。先ほど見た記憶の世界とは違う、子供の姿のグリルが、そこには立っていました。彼女は冷笑し、周りの森を見返します。
「ボクの記憶の世界を、見たんだろう? そうさ……ボクは、本当は大人だ。だが、君のお陰で、今はこんな姿でいる……どういうわけか、わかるかい?」
 グリルは、皮肉っぽく笑います。カービィは、それよりも聞きたいことが山ほどあったのですが……ただ、ふるふると首を振ることしかできませんでした。グリルは続けます。
「魔王様さ……あのお方が亡くなって、ボク達魔獣は皆弱体化した……。あのお方から供給されていた悪夢のエネルギーを失ったのだから、当然といえば当然なんだけどね……。弱い兵士では、そのまま死んでしまった奴もいる。まぁ、魔王様がいなくちゃ生きていられないような雑魚なんか、どうでもいいんだけどね……。」
 ここで、彼女は不思議な、自嘲的な笑みを浮かべました。カービィはその表情に眉をひそめましたが、グリルは気づかない様子でした。気づいていたとしても、無視したのでしょう。
「とにかく、ボク達は大打撃を被ったんだよ……君一人のお陰でね。魔王様を追い詰めた星の戦士……魔王様を殺した仇…!」
 カービィはその声色に、隠しきれない憎悪を感じました。ゾクッとして、思わず奥へと後ずさります。バチンッ、と、弾けるような音がしました。振り返ります。掌の下で、乾いた小枝が折れていました。
 その音を合図にしたかのように、グリルの箒の柄が、カービィへと振り下ろされます。カービィは、それを避け切れませんでした。
 バシンッ!
「うぁっ!」
 カービィは、木の幹へと叩き付けられました。殴られた側頭部に触れてみると、何やら温かいものが指に付きました。見れば、それは血です。間髪入れず、再びグリルの箒がカービィを殴り倒しました。再び、地面へと叩き付けられます。
「いっ、…!」
 その小さな身体のどこに、と思うくらい、グリルの力は強力でした。痛みに身をよじる彼を、グリルは容赦なく踏みつけます。グリグリと、踵の高い靴が、カービィの頭をねじ伏せました。傷口が、乱暴に掻き乱されます。カービィは痛みのあまり、悲鳴を上げました。
「いい加減気づいたろう? ここは、「お前の」記憶の世界だ。お前、プププランドへやって来る前は、別の土地で暮していたらしいね?
そこから移るとき、ボートで海を渡った……そして、一度沈没して流された。それからまた旅をして……ようやく辿り着いたその地で、魔王様の事件を知った……確か、そんなシナリオだったかな?」
 ギリギリギリギリ。グリルは言いながらも、足先に力を込めていました。カービィの顔が引きつり、涙がこぼれます。海水で濡れた彼の身体は、冷たい風に当たり、より一層カービィの体温を奪いました。痛みと寒さで抵抗力が萎えかけていましたが、それでも必死で逃げ出そうと、腕を動かします。しかしそれは、軽くはねつけられるばかりでした。グリルは笑います。
「この“悪夢の迷宮”で、精神が壊れるまで苦しみ続けるといい……なに、直に馴れるさ……何せ敵は、自分の過去そのものなのだからな!」
 下から、カービィの顔を蹴飛ばしました。カービィはそのまま仰け反り、倒れます。泣き出しそうな顔で、カービィはグリルをにらみ返しました。それは、とても弱々しいものでありましたが。
「……悪夢の、……迷宮?」
 グリルの笑みが広がります。
「そうさ……苦痛の記憶、痛みの記憶、それらがお前に一気に押し寄せる。出口は無い……悪夢は続いていく。」
 クスクスクス……謳うように呟く彼女の声は、とてもとても楽しそうで……いい加減不安だったカービィの心を、更に不安にさせました。
 グリルの姿が、闇の中へと掻き消えます。
「ボクの用意した“パーティ”を、存分に楽しみな……星の戦士、カービィ…………ハハハハハ……アハハハハハハハハ…!」
 ヒュンッ!
 グリルの姿は、完全に夜の闇の中へと消えました。カービィは思わず「待って!」、と、叫びましたがもう遅く……後は、深い夜の森と、そこに座り込む傷だらけの自分の姿……そして、冷たい夜風だけが残されました。
「…………。」
 カービィは絶望的な気分のまま、暫くその場で、ただ呆然としていました……。