第23話 それぞれの戦い(4 〜“狂気”のマルクォール) その鈍い音は、どこか遠くから聞こえました。アクエリアスの長い耳が、ピクッと立ち上がります。 「……はれ?」 彼女はキョロキョロと、辺りを見渡しました。そんな彼女の挙動に気が付いたのか、のそのそと、バーストフレアも近寄ってきます。 「ゴ……ゴ? どうした……エリアス? ナニか、あった……か? ゴ、ゴ…?」 「うーんん…? 何だろう……この感じ。……嫌な予感がするよ、フゥちゃん……。」 アクエリアスは、心配そうに口元に手を当てていましたが、すぐに顔を上げ、輝かんばかりの笑顔で振り返りました。そしてピョンピョンと飛び跳ねながら、手を叩きます。その音に、慣れない環境でざわついていたダークマター村の人々も、そちらを振り向きました。周りには彼らが制限時間内に持ってきた、アクエリアス達にはどう見てもガラクタにしか見えない……けれど、彼らにとってた大切な思い出なのであろう品々が、所狭しとひしめき合い、異様な光景と化しています。 「ハーイハイハイハイ! みなさん注目、ちゅ〜うもぉ〜〜く!!」 アクエリアスはなおもピョンピョンと飛び跳ね、その小さな身体を精一杯目立たせようとしました。そうして彼女は、ほぼ全員の視線が自分に集まっていることを確認すると、てへーっと、困ったような、間抜けな笑顔を浮かべました。 「あのねー、ボクちゃんとフゥちゃん、実はこんなに人が一杯になるとは思わなかったから……お夕食の支度が、まだ出来てないんだー?」 「ゴ……そのトオり、だ……ゴ。オレタチ……シゴト、ノコってる……ゴ。」 ダークマター村の人々は、お互いに顔を見合わせました。何か恐ろしいことを言われるのかと思えば……という、安堵の表情が見て取れます。アクエリアスは、再び手を叩き、注目を集めました。 「だから、ね! 皆さんはー、もうちょっとだけ待ってて? 大人しくだよ? 逃げようとか考えたらプチって潰しちゃうんだから! ね、フゥちゃん?」 「ゴゴ。ゴ……ああ。そのトオり……。プチッ、と……ツブす、ゴ、ゴゴ……。」 そう威嚇しながらも、そそくさと扉の方に後ずさる彼らの姿はシュールでした。アクエリアスが僅かに戸を開けたと同時に、小さな何かが部屋の中へと入ってゆきます。それは、足とツノの生えた、小さなダークマター……エヌゼット達でした。 「ボクらのエヌゼットちゃん達を監視に付けるからね、下手なこと考えないよーに! それじゃっ、行ってきまぁ〜〜す♪」 ばたーん。 ……言うだけ言って、二人は消えてしまいました。と同時に、彼らが通った後の扉も、跡形もなく消えてしまいます。辺りの壁を見渡しても、そこには窓一つありませんでした。……逃げようと思っても、逃げられないようです。リムロは悪態をつきながら、床にどかりと座り込みました。 「くそー……あいつら、動きがおかしかったよな。何かトラブルでもあったんか…?」 「さあねぇ……どっちみち、私達は身動き取れないもん。変わんないよ。ね、リムル?」 「んー? そうだねー?」 「…………。まあな…………っておいリムラ、リムル! お前等何で遊んでんだよぉぉ!!?」 リムロが飛び上がったのにも、無理はありません。二人はお互いにエヌゼットを膝の上に乗せて、そのツノとツノの間をなでなでしていました。エヌゼットは気持ちよさそうに、ぽーっとしています。 「何って、この子達もお仕事だけじゃーかわいそうでしょ? 私達も、ほら、ヒマだし。」 「だからって……これでも敵の下っ端だぞぉぉ!!? どこから槍や鉄砲が飛んでくるかもわかんねーのに、よくもそんな……」 「あう……りむろおにーたん? りむる、おもうんだけれど……こういうとき、たとぅーおにいちゃんだったら、たぶん…………にこにこして、あそんでるとおもうんだ。」 リムルがぽつりと漏らした一言に、リムロは振り返ります。…………。タトゥーが実際に、こういう状況下に置かれた際、ニコニコしながら遊びだすかどうかは判断を付けかねぬ所でしたが、まぁ確かに、ギスギスしても仕方はありません。リムロは再び溜息を吐いて、今度はゆっくりと、座り直しました。 「そうじゃ、そうじゃ。敵の牢屋に放り込まれて心配するべきなのは、どうすれば退屈せずに過ごせるかじゃ。牢屋の中で処刑はせん……何とかなるじゃろう。」 そう語りかけたのは、一人の老年のダークマター、コールでした。リムロは、そちらを振り向きます。 「コール爺さん……。」 「それにな、何も希望が無いわけではない。あいつらの言葉を、よく思い出すのじゃ……」 リムロは、ごくりと唾を飲み、その言葉の続きを待ちました。 「奴らは、残りの仕事を片付けに行った。やつらが帰って来た暁には……―――― 儂らは、晩飯が食える。」 リムロが脱力している傍らで、リムラとリムルのはしゃぐ声が、とても脳天気に響きました。 アクエリアスとバーストフレアは、“タワーズ”内の階段を駆け昇りながら、急いで塔中のエヌゼット達にアクセスしました。 「こちら、アクエリアス! 何が起きたの?パルちゃんは?ミラ様は!?」 一瞬の間をおき、一人のエヌゼットの視界が、アクエリアスの頭の中へと映し出されます。 それは、異常な光景でした。 黒い羽を纏った誰かが、煙の中に立っています。彼は何かを呟いているようですが……聞き取れません。 その目がいきなり、こちらを振り返りました。ギョロリと、その瞳は、異常なほど見開かれていました。 そして、こちらに向かって……手を振ります。……彼の顔が、ぐるりと歪んで見えました。これは、これを見ているエヌゼットが……倒れた、ということでしょう。 そのエヌゼットからの映像は、そのまま途切れます。途切れる瞬間に聞こえた、グヂリッ、という鈍い音が、アクエリアスの耳の中で木霊しました。 「うっく…!」 「エリアス……どう、した…!?」 アクエリアスは一瞬足を止め、額を押さえながら、自分が見た光景を反芻しました。とても信じがたいものでしたが……エヌゼットが、死を賭して送ってくれた光景です。間違えないのでしょう。 「エリアス…?」 「フゥちゃん…………パルっ子だ。」 「ゴ…?」 彼女は、アクアブルーの髪を苛立たしそうに掻き上げ、心を決めたかのように、強く走り出しました。バーストフレアも、それに続きます。 「フゥちゃん、エヌゼットちゃん達を殺してるのは……パルっ子だ! あの子……なんだか様子がおかしい、止めなきゃ!」 「その必要はありませんよ。」 ガッ――――! アクエリアスの細い足を、何かが掴み取りました。 「!!?」 「エリアっ…!!」 バーストフレアが叫ぶよりも早く、それは軽々とアクエリアスの身体を持ち上げ、強い力で階段の縁へと叩き付けました。アクエリアスの身体が跳ね上がり、そのまま階段を転げ落ちます。頭の中がぐしゃぐしゃになりそうな程の衝撃と痛みが、アクエリアスを貫きました。それでも何とか壁に掴まり、体勢を立て直します。がらり、と、瓦礫が側を転げ落ちました。顔を上げたアクエリアスの微笑みは、脳天からの血で、べったりと汚れていました。 「……やるじゃん、ただのお掃除屋さんだったのに……。ボクちゃん、ちょっぴり痛かったかなー?」 彼女は強気に言い放ち、ペッと、口の中に溜まった血を吐き出します。 パルは、アクエリアスより数段高い位置に着地しました。 黒いローブは、返り血で重たい光沢を放ち、その青白い顔も、表情が読めないくらい、赤と黒の血で染まっていました。彼は微笑みながら、ゆっくりとアクエリアスへと近づきます。 「必要ないです。必要?されてる? どうして俺を? 嘘ですよね。 ミラ様、命令だ。ミラ様。早く片付けないと。必要ない!!」 ギュンッ! パルの鞭が、アクエリアスの隣を切り裂きます。彼女はフッと飛び上がり、そのまま両腕を振り下ろしました。 「わけわかんない…! 落ち着いてよ、お願いだからッ!!」 キシュンンン! アクエリアスの氷の礫が、パルの周りを取り囲みます。 「――――!!」 何かを叫びながら、パルはその氷を鞭で引き裂きました。冷気が頬を刺し、氷の屑が辺りに散らばります。パルが数度目かに鞭を振り下ろし、ようやく視界が開けました。 それは、正にその時でした。 「ゴォオ!!!」 ガシッ、と、パルの顔面を、誰かの掌が掴み上げます。 顔を掴まれたまま、パルは宙づりにされました。両足がバタバタと暴れ、腕はその手を何とか振り払おうと必死で藻掻きますが、とても、その強い力……そして、焼け付くような熱には敵いません。 バーストフレアのゴーグルの奥の目は、怒りで燃えていました。真っ直ぐにパルを睨め付け、そのまま握り潰すのではないかという程の力を込めて、パルの頭を更に高く持ち上げます。 「お、マエ……エリアス、キズつけた。……ユルさない、ユルさない…………ハイに、ナれ…!!ゴゴォォォ!!!」 「……! フゥちゃん、ダメっ!!」 アクエリアスは、急いで彼を止めようとしました。ですが、無駄でした。 パルの身体を、紅い火柱が包み込みます。 「…ガ……アアアッ、…うあああああああああああああ!!!」 もはや黒い影と化したパルの姿が、悲鳴と共に、ボロボロと崩れていきました。ついにその悲鳴も、聞こえなくなります。バーストフレアは、炎の中で呆然と涙を流すパルの首を、ぐしゃり、と、握り潰しました。 「あっ…!」 アクエリアスの微かな悲鳴が、パルへの最期の手向けの言葉になりました。 黒い灰がボロリと彼の足下へ落ち……そして、ただそれだけでした。 パルは、死んでしまいました。 「…あ……あ、あ…………ふ、フゥちゃ……」 ハァ、ハァと荒い息を吐き出しながら、バーストフレアはなおもパルの「遺体」を見下ろしていました。そして、その灰の欠片さえ潰してしまおうと、重たいブーツがその上から迫ります。 「ダメ! フゥちゃ……!ダメ、ダメだよぉ…!!もう、止めてあげてぇぇ!!」 ビクッと、その足の動きは、寸前で止まりました。 彼女は、バーストフレアの腰にしがみつき、離れようとしませんでした。……氷のアクエリアスにとって、熱のエネルギーで覆われたバーストフレアの身体には、触れることすら辛い筈なのに。アクエリアスの声は、震えていました。泣きそうな目で、バーストフレアを見上げます。 「フゥちゃん……ダメ、だよぉぉ……パルちゃんは、だって、だって…………敵じゃ、ないんだよ?」 怒りと殺意で燃えていたバーストフレアの目が、ハッと、正気に戻ったかのように、困惑げに揺れました。アクエリアスは、涙を噛み殺すように、彼から顔を背けたまま、バーストフレアの傍から、離れます。 「……パルちゃんを、ボクは…………止められなかった。……ボクのせいだ……。」 アクエリアスが零したこの一言が、バーストフレアにのし掛かります。 そして、自分がやってしまった事の重さが……ハッキリと、わかりました。 彼は、仲間を手にかけたのでした。 「…………ゴ、ゴ………………エリアス、チガう…………これは、……オレ、が、」 アクエリアスは、ぽろぽろと涙を流していました。その涙に、何かの光が、反射していました。 とっさに、彼女の腕を引き寄せます。 「え、え…?」 濡れた目を見開きながら、アクエリアスは、バーストフレアの胸の中に抱き寄せられました。 「フゥちゃ」 「エリアス、フせろ!!!」 爆音と衝撃が、二人を激しく揺さぶりました。 アクエリアスには、何も見えませんでした。ただ、激しい衝撃から彼女を守るかのように抱きしめる、バーストフレアの力が強くて、そして、彼の身体越しに感じるその「力」の強さに、ただ、眩暈がしそうなだけでした。ゲホゲホと咳をしつつ、ゆっくりと力を弱めるバーストフレアの腕の中から這い出ます。 「フゥちゃん、フゥちゃん!? 一体、何が……――――」 アクエリアスは、目を開けたまま、言葉を失いました。 彼女は、その光景を、バーストフレアの腹に空いた穴を通して、ハッキリと見ることができました。 パルは、ニコニコと笑っていました。上機嫌に……今にも鼻歌を歌い出しそうなくらい、陽気そうに、笑っていました。 パルの黒いローブと、バーストフレアの黒いコートが風になびき、バタバタという気の抜けた音を立てます。 「…う、あ………パル……ちゃ、……?」 「殺したね?」 血も凍るような笑顔を浮かべて、パルはふわりとそこから着地しました。 バーストフレアは、なおもアクエリアスを庇うように、彼女を自分の腕の中へと引き寄せます。アクエリアスはただ呆然と、二人を交互に見つめることしかできませんでした。 「あーあ……俺、死んじゃったー……。仕方ないよね、許されないことをしたのだから。誰にも許されてはいけない。ミラ様にも。神にも。そうだ……俺は見たんだ。そして…………俺は、殺してしまったんだ。俺が殺したんだ…………だから、手が! 血。ミラ様の命令…………捕まえる。生かして……生かして!血が!……通っていったんだ。俺の、ここを。俺を殺したな!!」 パルの表情は、もはや形容することもできない、獣のようなそれへと変貌していました。 その瞳に映っていたのは、アクエリアスでもバーストフレアでもなく、ただただ純粋な、狂気でした。 風を斬り、パルの鞭が、二人へと迫ります。 バーストフレアは、ただ、歯を食いしばりながら、アクエリアスを守ろうとしました。 パシ ンッ 軽い音が、辺りに響きます。 パルは、自分の手の中を、不思議そうに見下ろしました。 彼の手の中には、何も無くなっていました。キョロキョロと、周りを見渡します。落したわけでもなさそうです。 彼の武器……鞭が、消えてしまいました。 「あれれ…?」 幼子のような表情で、パルはもう一度、自分の掌の中を見つめます。 その一瞬の間でした。 ドスッ ……パルの首筋に、激しい衝撃が伝わります。 「あ……?」 視界がぼやけ、そのままぷっつりと、目の前が真っ暗になりました。 どさっ ……パルの身体が床に倒れ、そのまま、ピクリとも動きませんでした。ただ、ローブが風に乗って……ハタハタと、揺れていました。 「…………。」 ミラクルマターは、冷たい目でパルを見下ろしたまま、彼を仰向けにしてやります。そして、傷の度合いを調べました。……大したことはなさそうです。……いや。ミラクルマターが反撃したときのダメージは、パルの動きを奪うには充分過ぎた筈でした。それが、これほど軽傷で済み、更に分身(コピー)まで送り出せたと言うことは……やはり、塔のエヌゼット達を片っ端から殺し、彼らの闇エネルギーを奪って補給していた、ということなのでしょう。ミラクルマターの気分は、最低でした。パルの髪を優しく撫でてあげながらも、ミラクルマターの目は、氷のように冷え切っていました。 「……み、……ミラ、様…? 無事だったの!?」 そのとき、ようやく緊張が解けたらしいアクエリアスが泣き笑いながら、ミラクルマターへと抱きつきました。ミラクルマターは困ったように眉をひそめつつも、仕方なさそうに笑い、アクエリアスの頭をゆっくりと撫でます。 「阿ー呆、ワシを誰だと思っちょる。天下のミラクルマター様じゃぞ? 部下に負けるほど落ちぶれた覚えは無いのぉ。」 「だって……だって、全然連絡取れなくて…! 心配したんだからぁ、もう…!! ミラ様のバカ!!」 アクエリアスは、ミラクルマターのお腹をポカポカと殴りながら泣きじゃくります。丁度そこは、一番最初にパルに刺された場所で、殴られて気持ちの良い場所ではありませんでしたが、ミラクルマターは我慢しました。そして、もう一度、アクエリアスの頭を撫でます。 「……ああ、そうじゃな……ワシは、……大馬鹿野郎じゃぁ……。」 彼が優しく触れた、アクエリアスの傷口は……決して、浅いとは言えませんでした。パルに、階段に叩き付けられた時の傷です。 ミラクルマターの目が、感情を失いました。 その気配に気づき、アクエリアスは、ハッと、身を離します。 彼は……怒っていました。 この場にいる、誰よりも……憤怒に心を染めていました。そして、最低の気分でした。 「……バー。ちぃと、こっちゃ来い。」 バーストフレアは、そのことを予感していました。なので、パルに開けられた傷の痛みを気にすることもなく、ズイッと、彼の前へと立ちました。 ふーっ、と、ミラクルマターは深く息を吐きます。 バキッ バーストフレアの身体が殴り飛ばされ……そのまま、壁に叩き付けられました。バーストフレアがぶつかった場所から亀裂が走り、その威力の強さを物語ります。ゲホッ、ゲホッと咳をしながらも、バーストフレアは目を伏せ、耐えるだけでした。ミラクルマターはつかつかと歩み寄り、殴ったのと同じ手で、バーストフレアの髪を掴み上げます。アクエリアスは、再び悲鳴を上げそうになりました。 「み……ミラ様!フゥちゃん、大怪我してるんだよ!? なん……」 「アー。すまんが、少し黙っとれ。」 有無を言わさぬ一言でした。アクエリアスはそのまま押し黙るも、オロオロと、二人を見つめるしかありません。 バーストフレアは、震え出しそうな歯を噛みしめながら、ただ、ミラクルマターの目を見返します。その目は、痛みと苦しみと、そしてそれでも全てを受け入れなければと言う、強い決意で固まっていました。 その目を覗き込みながら、ミラクルマターは静かに語りかけます。 「……バー。おどれはなぁ……仲間に、手をかけた。それぁ、わかっとるな…?」 「…………はい。ミラクルマターサマ……。」 「おどれ等が戦ったのが、たまたまパルの分身(コピー)だったちゅうんが、不幸中の幸いじゃったなぁ。もしあれが本物(オリジナル)じゃったら……ワシにも、ゼロア様にも、もう生き返らせる事はできん……。バー。おどれ、それをわかって、パルを殺したんか。」 「…………。いいえ。ミラクルマターサマ…… ……オレ、は…………パルに、エリアスをコウゲキ、されて、アタマにチが、ノボっていました…… …エリアスに、トめられて………オレは、ようやく……キが、ついた…………オレがコロしたのは、ナカマだった、……パル、だったのだ、と……。オレ、そのトキになってようやく…………キがつき、ました…………。」 「つまり、おどれぁアーを守るために、よぉ考えもせずパルを灰にしたっちゅうことかぁ…? なるほど……」 バーストフレアの髪を掴む力が、グッと、強くなりました。苦痛に一瞬目をしかめますが、すぐに、真っ直ぐミラクルマターを見つめ返します。……今、バーストフレアに出来る唯一の事は、ミラクルマターの部下として、せめて、彼の怒りを全身で受け止めることだけでした。 「笑えるくらい軽率じゃのぉ、バーストフレア! おどれがそこまで馬鹿だとぁ思わんかったわ……ハハハハ… ええか。よく聞きぃ…………仲間に手をかけた奴にゃあ、それなりの罰が下される。当然の罰が、じゃ……。良かったのぉ。バー。最期の審判の日はまだ遠いようじゃなぁ…………カッカッカッ!」 ミラクルマターは、笑いました。腹の底から轟くような、まるで乾いた笑いでした。バーストフレアの顔が、ゾクッと青くなります。ミラクルマターは乱暴に彼の頭を押しのけ、最後に一言、冷たく言い放ちました。 「パルの魂(タマ)はワシのモンじゃ。決断はワシが下す。それまで……出過ぎたマネは慎めや!!」 喉がからからに乾いて、声を出すことも出来ませんでしたが、それでもバーストフレアは、コクコクと、何度も何度も頷きました。ミラクルマターはそのまま、彼に興味を失ったかのように、くるりと踵を返します。それと入れ違いのように、アクエリアスが彼の元へと駆け寄りました。 ……バーストフレアへの怒りが、ミラクルマターの気分の悪さの原因ではありません。この件に関して、バーストフレアを許す気にはなれませんでしたが、それ以上に……それ以上に、ミラクルマターは苛立っていました。 そっと、パルの傍らに座り、彼の額の辺りに触れます。触れた部分が、ぼうっと、淡く白い光を放ちました。 目を閉じ、彼の頭の中を探ります。古い記憶、遠い過去の記憶は、暗く冷たく、触れることは出来ません。ミラクルマターが探しているのは、もっと新しい記憶…………そう、今からほんの数時間分の記憶でした。……そしてついに、パルの頭の中から、その、お目当ての「記憶」を見つけ出します。ミラクルマターは、全神経を集中させ、白い光をそこに放ちました。それは矢のように、「記憶」を貫きます。 パシ ッ その音は、パルの鞭が消えた瞬間に聞こえた音と、ほとんど一緒のものでした。 パルの頭が、一瞬だけビクリと跳ね上がりましたが……すぐにまた、穏やかな寝息を立て始めます。 それは、ミラクルマターにとって、あまりやりたい仕事ではありませんでしたが……こうして、早く手を打つことができなかった責任は、取らなくてはなりません。 ミラクルマターが、上司であるゼロアから受け継いだ力。それは、「消去する力」でした。 パルの鞭も、同じ方法で「消し」ました。ミラクルマターとゼロアは、彼らが望みさえすれば、何であれこの世から「消し去る」ことが出来るのです。……この世界に、これ程までに強力な力はあり得ないでしょう。……だからこそ、ミラクルマターはその力を使うことが、好きではありませんでした。特に……誰かに対して使うことは。 ミラクルマターは、ぐったりと眠るパルを両腕に抱き、ゆっくりと立ち上がりました。パルは、まるで何も知らないかのような、穏やかな表情を浮かべています。……その顔に血や砂埃が付いてさえいなければ、ただ眠ってしまっただけにしか見えないでしょう。……しかし、そうではないのです。そうではないのです……。 ミラクルマターが消したのは、パルが“マルクォール”と接触してから今までの、全ての記憶でした。だから、パルはもう覚えていません。“マルクォール”の眼に見つめられ、その心に「狂気」を植え付けられたことも。ミラクルマターを刺したことも。アクエリアス達と戦ったことも。バーストフレアに「殺された」ことも。何一つ、覚えていません。思い出す日も、永遠に訪れないのでしょう。それに対して、疑問を抱くことすら無く。 消すというのは、そういうことです。全てが無くなる。元には戻らない。欠片さえ、残り香さえ、残らない。だからこそ、ミラクルマターはこの力を……好いては、いませんでした。 「…………すまんかった………………パル。」 ミラクルマターの長い髪が、彼の表情を隠していました。 その髪は無力そうに揺れ、どんな慰めも拒絶するかのように、ただサラサラと、風に流れています。 ミラクルマターは、もう、心に決めていました。 この苛立ちの原因を、排除する事を。 ……奴らを追えば、あの謎も……解けるだろうことを。 アクエリアスは、バーストフレアの腹の傷を、辛そうになぞりました。その大きな瞳が、再び涙で潤みます。 「……ごめんねぇ……フゥちゃん……。ボクが、しっかりしなかったから……。」 「ゴ、……ゴ、ゴゴ……チガう、ゴ…………。エリアスは、ワルくない…………オレ、が……バカだった……。ゴ、ゴ……」 「…………ううう〜〜〜…ッ」 またぽろぽろと泣き出したアクエリアスの肩を、ポンポンと叩いてやります。その時、ミラクルマターの鋭い声が、二人の背中に降り注ぎました。 「アー、バー!」 二人は揃って跳ね上がり、おどおどしながら彼の方を振り返ります。ミラクルマターは、相変らず無表情でした。パルを抱えたまま、静かに言い放ちます。 「アー。……よく、戦った。立派じゃった。……悪いが、傷が治ったら、バーの看病をしてくれんかの? それから…………バー。」 ビクリと、バーストフレアの肩が震えましたが、それでも彼は、ハッキリと顔を上げました。 ミラクルマターの表情から、彼の感情は……読めません。ミラクルマターは血の色の目を細めながら、ゆっくりと、呟きました。 「……よく、アーを守った。……今はゆっくり休め。」 笑いもせず、後に何を続けるでもなく、ミラクルマターはただそう言い、踵を返して、塔の奥へと消えてゆきました。 ぽかんと、その後ろ姿を見送りながら……アクエリアスはある事に気が付き、ああっ、と、声を上げました。 「…………フゥちゃん、どうしよ………… 晩ご飯の支度、全然してない。」 二人の隣をどこからかの風が、サラサラと吹き抜けてゆきました。 ゼロアは、その光景を部屋から眺めながら、退屈そうに頬杖を付いていました。 「……やっぱり、ミラは優しいんだね…………」 誰に向けるでもなく呟き、そして、目の前にある丸いモニターを、くるくると指先で回しました。そのモニターは煙で出来ているかのように、その指の動きに合わせて回転し、そこに映る景色を変えてゆきます。 「“狂気”のマルクォール。その眼に見つめられた者は、心に狂気を植え付けられる……狂気は記憶に根を張り、感情に枝を茂らせ、人格に毒色の花を咲かせる。……クスクスクスクス。パルを救うためには、そうするしかなかったんだね、ミラ…………可哀想な、ミラ……。クスクスクス……。」 モニターには、パルの記憶から抽出した、あの光景が映っていました。 それは、マルクォールの赤紫色の瞳でした。マルクの身体を内側から操り、そして世界全てを操る気でいる、滑稽な「役者」です。 ゼロアは笑いながら、モニターの中のその瞳を見つめ返しました。 「君が欲しいよ……僕は、君が欲しいよ。マルク……そして、マルクォール。」 ゼロアの、白く、天使のように柔らかな顔が、幸せそうににっこりと、微笑みを浮かべました。 「僕を狂わせてくれるのは、君だけだ。」 大きな樹の生えた、白い壁の部屋。その木の枝に座り込む、純白の少年。 ゼロアは、もう、心に決めていました。 絶対に、それを手に入れることを。 ……そう、絶対に、手に入れなくてはいけない。……お父様のために。……僕のために。 |