鏡の大迷宮編

 第14話 迷宮の主



 真っ暗な世界でした。
 温かいのか、冷たいのか、それすらもわかりません。皮膚の感覚はすっかり麻痺していて、意識を取り戻すのに時間がかかりました。
 ふいに、ツン、と、鼻を突く匂いを感じます。
 生温い風と共に漂ってきた、その、死臭と、視界に映る、紫色の血。
 ……ああ、そう、だ。
 オレは、儀式に……失敗した。
 ―――(マタ シッパイ シタ……)
 ここにいるのは、幼いあの子の……
 ―――(オレ ガ コロシタ……)

 ……愛しい、あの子の……






 ……彼は、そこで目を覚ましました。
 しばらくぼうっとしていると、カン、カン、と、硬い床を鉄が叩く音が聞こえてきます。暗い部屋なので、周りがよく見えないのですが、彼にはやってきた人物がわかりました。
「……エリザか。」
 エリザと呼ばれた少女……せいぜい17歳ほどにしか見えない少女は、フンと鼻を鳴らし、部屋の隅にある鏡を睨みます。
「全然ダメだ。あいつ、何も喋んないよ。何だか虚ろな目ぇして、殴っても蹴っても反応しねぇ。」
 エリザのその言葉を聞いて、そこにいた男……影のように輪郭の不安定な男は、眉を寄せ、エリザを一瞥します。男は煙草を取り出し、その煙草に火を付けたとき、一瞬だけ男の顔が見えましたが……すぐに消えてしまいました。何せ、影のようにゆらゆらと、不自然な形の男なのです。
「……心を閉ざしたな。さすがに一筋縄ではいかねぇ、か……。
それよりエリザおめぇ、暴力はたいがいにしろとオレは言ったハズだぜ?」
 今度は、エリザが男を睨む番です。
「フォーカードやナイトメアに関することを、どんなことをしてでも聞き出せって言ったのはアンタでしょ!?
あたしっ……オレはただ、シャドーに言われたとおりにしようと思っただけだ!!」
 勢い良くまくしたて、その中で思わず口走ってしまった「女の子」らしい言葉。エリザは憮然として顔を赤くし、シャドーは、そんな彼女の様子に思わず笑ってしまいました。
「そう熱くなんなよ、かわい子ちゃんよぉ!
お前は実際女の子なんだから、オレの言葉ばっか真似る必要ねぇんだよ……どんどん粗暴になっちまっても知らねぇぜ?
まぁ、暴力に関してはアレだ……胸と腹、特に下っ腹には攻撃するなよ。
それにだ……攻撃以外にも消耗させられる手段はいくらでもあるだろ? たとえばまぁ…………ん?」
 ―――キィィ……キィィ……―――
 鈍く低い金属音が、ゆっくりと長く、不愉快に耳を刺激します。エリザは正面の大きな鏡……ディメンションミラーを覗き、驚いたように顔を上げました。
「シャドー、あいつら……星の戦士が来たよ!!
……でも、他の奴もいっぱいいる……それに、こっちに入るための干渉をしてるのは、別の奴だ。鏡の国への道を無理矢理開くなんて…………あの「鏡眼」の魔道士?」
 同じく鏡を見下ろしていたシャドーは、その鏡に映る2人の星の戦士……空色の目をしたカービィと、紅の目をしたルビィ……を、まるで彼らを値踏みするように見つめます。そして、変わり行く現状について思案しました。
「……いや、あのシミラのクソ野郎とは違うだろう。
おそらく……「クラブのクィーン」だ。ナイトメアがおっ死んじまった時に一緒に死んだと思っていたが……生きているとしたらこの国に用があるのはわかるし、何より国に無理矢理入れる理由もわかる……ハッ、とんだ拾いモンだな!」
 エリザは、ふとシャドーを振り返ります。ディメンションミラーの青い光に照らされて、シャドーの頬に落ちた雫を白く浮かび上がらせました。シャドーの灰色の肌に、それは場違いな花びらみたいに浮かんでいます。
「シャドー……泣いてるの?」
 ん?
 シャドーは、自分の頬を触り、その掌についた雫を、呆けたように見つめました。
「ああ…?」
 指が震えるたびにチラチラと瞬くその光を乱暴に拭い、クソッ、と、毒づきます。
 何度も見てる夢で泣くんじゃねぇよ。
 おセンチなんてクソ喰らえだ。
 自らへの嘲笑を浮かべ、一人心の中で呟きます。
「カスが。」





 そこは、鏡の裏側の部屋でした。
 ほとんど真っ暗な広い部屋に、約12もの鏡が円状に並ばれてあります。その中でもひときわ大きい鏡……ディメンションミラーが、「鏡の国」の王の元へと続いている中核であり、それを囲む鏡達が、鏡の国をさらに細かく分つ大小の国々……「レインボールート」「ムーンライトマンション」「キャベッジキャバーン」「マスタードマウンテン」「キャロットキャッスル」「オリーブオーシャン」「ペパーミントパレス」「ラディッシュルインズ」「キャンディ・コンストレイション」に続き、残りの一つが、シャドー達に与えられた「歪みの部屋」です。今、その部屋には一人の騎士が壁に横たえられていました。
 騎士は、虚ろに閉ざした心のまま、両腕にかけられた重い手錠の、確かな鉄の感触だけを、感じています。
 その騎士は、名を「メタナイト」と云いました。





 ディメンションミラーを超えた、さらに奥。
 青と赤、そして黄色をめちゃくちゃにかき混ぜたような雲の果ては、目が覚めるような青空です。
 紫色の光を帯びた、崩れかけの神殿の柱達は、恭しく粛々と、空に浮かぶ一つ目の太陽を囲み、その影は真っ黒に、長く長く、果てしなく伸びています。
 金に赤に燃え上がる太陽は、世界の終わりの黄昏のように、じっと、青空を睨んでいました。
 その青空が、まるで一滴の水が落ちた水面のようにぐわりと歪み、その空に、少年達が落下してゆきます。
 それらは、全て虚像です。ここは、全ての現実をずらした世界。
 鏡の国の……果てしない模倣迷宮の主は、ただただ静かに、この世界への侵入者を見ていました。

 鏡の国への、扉が開きます。