第10話 暁よ、空に紅を照らしだせ



 …ドォォォン…ッ

 地響きが、ハイパーゾーンの崩壊を知らせます。
 その闇の惑星を形作っていた闇が、闇の王が滅びたことで、その惑星もまた、滅びを迎えたのです。
「逃げましょう!」
 ルビィは、ずっと押し黙り、そこに座りきっていました。もう、金色の砂粒も、空気に消え、あっけない程、そこには何もありません。
 でも、ルビィは動きませんでした。
 動けませんでした。
「お兄ちゃん…!」
 カービィの声に焦りが混じります。このまま崩壊に任されれば、生き残れるはずもありません。
「……カービィさん、もう時間がありません。
ルビィさんは僕が連れ出します。カービィさんはご自分の安全を…!」

「面倒なことを……言ってんじゃあ……ねぇっ!!」

 その瞬間、カービィとルビィは、彼に抱きかかえられていました。
 デデデ大王です。
 大王は片手にふたりを抱え、もう片手で額を抑えていました。しっかりとハンマーを探し当て、握っています。彼もまた血を大量に流し、深い傷を負っていましたが、火事場の馬鹿力という奴でしょうか。足並み荒く息も荒く、グーイの指示の元、崩れ揺れるそこを走り抜けます。
 ルビィは、気を失ったように、固く眼を瞑っていました。ガラガラと、あらゆる物が崩れ落ちる音がします。
「デデデさん、こちらです!ここに立って下さい!!」
 グーイは移動システムを作動させます。釣り上げられる様な、急激に上へ上へと向かっていくような、そんな感覚で息が詰まりましたが、今は何よりも、地上を、そして、ここからの脱出を願っていました。
 キィンッ
 辿り着いたとき、もう、足場は立てる程の安定も失っていました。
 ぐらり。ぐらぐらり。
 乾いた黒い鉄片を踏み、デデデは途方に暮れてしまいました。どうすれば脱出できる?どうすれば…!?

「ワープスター!!」

 カービィは、叫びました。星の飾りが輝き、それと同時に、彼方から、金色の流星がこっちへ向かってきます!
 ワープスターです。
 ワープスターは滑るように滑空し、デデデとグーイは乗り込みました。抱えられていたカービィは、その腕から抜け出し、ワープスターに掌を掲げます。ルビィはまだ目覚めません。
「ぼくは星の戦士、カービィ!
ぼくと星との盟約に従い、ワープスター、ぼくらをポップスターへ連れてって!!」
 キィィィィンッ
 急速な勢いで上昇し、真っ直ぐにワープスターは翔ります。
 宇宙を切り裂く程、俊敏に。
 金の光の尾は長く長く、星々の光すら遠くなるほど速く。
 ついに、その星の姿が見えました。金色の輝く星。
 ポップスターはもう少しです。
「やった…!
お兄ちゃん、もう少しだよ!もう少しでポップスターに…!」
 がくんっ
 突然、ワープスターに衝撃が走りました。
「な、なに!?」
 瞬間、ワープスターの窓は、黒い霧に覆われました。
 グーイはその霧に対して唸ります。
「しまった…!ハイパーゾーンに生き残っていたダークマター達です!!
僕の闇のオーラを追って、着けてたんだ…!
それに……闇なる王の死に怒り狂っている…!!
この船を落とすつもりです!!」
「そんな!」

 がくんっ
 がくんっ
 がくんっ

 衝撃は止まりません。速度は全く落ちず、コントロールだけが言うことを聞きません。このまま失速できなければ、ワープスターは星に激突してしまう。それはカービィ達だけでなく、落下地点の近く……プププランドの住民達にとっても、死を意味します。
 そんな。やっと、あの闇から抜け出せたのに。
 どうしよう…!?
 どうすればいいの…!?

「カービィ……!
落ち着け、カービィ!!」

 カービィは、ハッと我に返りました。
 大王は、カービィを後ろから支えています。
 カービィは窓を包み船を揺らす闇にパニックになり、頭を抱えて涙を流していました。けれど、今、泣くことが最善の策じゃない。カービィは気づきました。今、ぼくだけがこの船を操作できる。
 舵さえ取り戻せれば、助かるかもしれない!
 カービィは、大王に深い感謝を覚えました。大王は辛そうに息を吐きながら、額を強く抑えています。ハイパーゾーンで、落下する破片にでもぶつかったのでしょうか。彼は決してカービィを叱らず、彼を支えてくれています。
「やってみる……ぼく、やってみるよ!」
 カービィは星飾りを取り出し、それをスターロッドに変化させます。
 ワープスターのモニターにスターロッドを掲げ、そこから空色の波動が広がりました。カービィは強く念じます。願います。
「動いて…!失速して!」
 がくんっ
 がくんっっ
 迫る衝撃は、カービィの不安に拍車をかけましたが、歯を食いしばって耐えました。
 大気圏を抜け、白い星がちらちらと瞬く、夜明けの空が広がります。
「おねがい…!!」
 がくんっっ
 がくんっっ
「く…!」
 パリィィィンッ!
 ついに、ダークマターは窓を破りました。船の窓はガラスではありません。破片は空気に溶け、そこに、黒い霧をまとった、血の色の巨大な眼が現れました。
 若く青い芝生が、グンッと近づきます。
 その時でした。
 紅の眼がカッと見開かれ、彼は剱を翻し、





「去れ。」





 キシッ
 血の眼は、瞬間、真っ二つに切り裂かれ、黒い煙が朝の空気に消えました。
「貴様等の主は、もう死んでいる。」
 キンッ
 虹の剣の一振りで、闇はその輝きの前に消滅します。
 ルビィは、ワープスターの窓枠に足をかけ、剣は、銀に煌き、それは虹のように光を反射させました。

 ダークマターの襲撃が無くなり、カービィは言葉を唱えます。
 戦士の魂に伝わる、星の船への言葉です。
「金の光は救いの船!彼は若葉すら傷つけない!その約束、今こそ守れ!!
ワープスターよ!!」

 キィィィィィンッ

 ワープスターは戦士の舵を取り戻し、まるで一枚の羽根のように、ふわりと、その原に着陸しました。
 朝の風は優しく爽やかで、カービィはまるで、夢を見ているように呆けてしまいました。
 宇宙を往く時間と、星で経つ時間の感覚は違います。ダークゾーンでの戦いの最中、ポップスターでは一日が過ぎていました。出発の時と同じ、早朝の風。
 夢みたい。
 疲れに、身体の痛みすら忘れてしまいそうです。カービィはのろのろと船を下りて、その金色のボディに寄りかかりました。掌で、指の先で、さわさわと、若葉を撫でてみます。朝露が、涼しく豊かでした。
 帰ってきたんだ。
 死を感じるほどの痛みと悲しみの闇を抜け、この星へ、平和で豊かで幸せな、愛しいこの星へ、帰ってきたんだ。
 嘘みたいに幸せなこの事実に、涙がこぼれます。
「……ただいま………。」
 ちいさく声を出してみて、嗚咽が大きくなりました。
「カービィ……よくやったな。」
 大王が、カービィの頭を優しく撫でます。カービィは耐えられなくなってしまって、大王の胸に飛び込んで、大声で泣きました。
 泣くことを止められなくて、声だって止められなくて、泣きました。泣きました。泣きました。

 空が、ゆっくりと、雲を金色に染めてゆきます。
 深い青は優しい空色になり、雲は、紅く、星の大地を、紅く照らしだしました。
 暁の空に、風が吹き抜けます。

 ルビィは、空の向こうを見つめていました。
 ワープスターで駆け抜け、この星に降り立った、その向こうの、彼方の、今はもう鉄片が宙を漂うだけになったであろう、かつての暗黒の星を。生きてきた、ほとんどを費やしたその星を、見ていました。
 グーイは傍に立ち、けれど、空ではなく、ルビィ自身を見守っていました。胸に手を当て……ヒュージに貫かれたその胸を抑え、シュッという音と共に、彼の眼は、ダークマターの証である血のような紅から、静かな群青の色に戻りました。深い傷も、見た目では、治りました。ダークマターの姿は、たとえ彼の心がどんなに正しく優しくても、毒を撒いてしまうのです。
 カービィはデデデの腕から抜け出し、ルビィの傍に立ちました。
 一緒に見上げるその空は、朝に透き通り、月がゆっくり、沈んでいくのが見えます。
 カービィは、ルビィの掌を握りました。
 はじめて、ルビィは空から眼を離し、カービィを、半ば驚いたように見つめました。
「……大丈夫。この星は、お兄ちゃんを絶対に、拒絶したりしないから。
大丈夫だよ。」
 カービィの温かい掌は、ルビィの指をしっかり握り、確かな鼓動が、ふたりを渉ります。
 穏やかで、幸福な気持ちが、ルビィを満たし、その心に浸透する思いが、とても優しく、とても温かで、ルビィは微笑みました。
 幸福を、彼は思い出していました。遠い遠い昔、闇を感じるその前の、記憶の底に沈んで死んでいたはずの、幸福な記憶が、金色の風のように、ルビィの心でさらさらと流れていました。
 ヒュージは、彼を決して、幸福にはしませんでした。
 でも、今、心で感じる金色の風は、ヒュージの最期に残した金の砂粒のように、光に照らされ、輝いて舞っています。

「お兄ちゃん……生きようね。一緒に。」

 ルビィは、頷きました。
「……ああ。」
 それ以上、言葉は必要ありませんでした。涙が一筋、頬を伝います。
 カービィの温かな掌を繋げたまま、彼らは頭をこつんとぶつけて、座り込んで、眼を瞑りました。それは、いずれ穏やかな寝息に変わるでしょう。戦い戦い、疲れた彼らを、涼しい風が優しく撫でました。





 デデデは彼らを黙って見つめ、その時、後ろからの
「大王様ーーーっ!」
 という声に振り返りました。
「ワドルドゥか……」
 ダッシュで走ってきたのであろうワドルドゥは、はぁはぁと息をつきながら、大王に食ってかかります。
「金色の大きな流れ星を見つけて、ま、まさかと思い…!
な、何て大怪我を…!す、少しは部下を、あ、安心させられるようなっ…行動を、取って下さい!!」
 所々言葉がおかしくなっているのは、上がった息が喋ることを妨害しているからです。
「はぁ、はぁ……ところで、カービィ殿は?」
 大王は、ゆっくり、ワープスターの影で、手を繋いで眠る彼らを指差しました。
「起こすなよ。疲れてんだから。」
 そう言いながら。
 ワドルドゥは、彼が強く額を抑え顔を苦痛そうにしかめていることに、腹部の傷が、最近ついたばかりで、そして、ついさっき治ったばかりのように見えることに、気付きました。
「………大王様。お言葉ですが……
無茶はいけません。本当に。」
「………すまん。」
 ドゥはふーっとため息を吐き、
「今日の分は、僕が代わりに汲んできます。
あと、少なくとも一週間は、肉体の行使は謹慎していただきますからね。
このまますぐに城に戻り、お休み下さい。
カービィ殿と…お隣の方とグーイ殿も、治療のためクラッコ先生に見ていただきます。
もー、みんな、ワドルディ達でさえ、あなた方が心配で、ほとんど眠れていないんですから!
これ以上、心配をかけないで下さい!!」
 そこまでまくし立て、少し、悲しそうに下を向き、
「……本当に……貴方は心配ばかり……。」
 大王は額を抑えたまま、ドゥを、申し訳なさそうに見つめました。
「……すまない。」
 ザァ、と、風が吹き、木の葉の触れ合う音がします。
 ワドルドゥは勢いよく顔を上げ、剣を空高く掲げました。

「ワドルディ隊、出動!
大王様一行が、お帰りになさられぞ!!
ワープスターをお運びしろ!!」

 大王は、慌ててそれを制しました。
「ま、待て待て待て!
確かにコイツらは重症を負っているが、コイツらは星の戦士だ!!
このワープスターの傍で眠っている方が、クラッコに診てもらうより、回復力が高いハズなんだ!!
それに……せっかく、こんなに幸せそうに眠っているのに……起こしたくねぇ。」
 ドゥは、彼らを改めて見つめ直しました。
 ふたりとも、寝息も寝顔も穏やかで、でも、その手は決して離しません。
 大王は辛抱強く、ドゥに眼で訴えています。ワドルドゥは諦めました。この方が、こういうとき石のように頑固で、テコでも動かないということは、部下として重々承知していました。
「……わかりました。
でも、ワドルディ達はもう呼んでしまいましたよ?
何か指令を与えないと。仕事が無いのに呼び出したなんて言えば、仕事好きな彼らを失望させてしまいます。」

「じゃあ、ひとつ、お頼みしたいことがあるのですが……。」

 そう言ったのは、グーイでした。
 彼の表情は穏やかでしたが、青白く、力の無い疲れた顔色になっています。彼も城で治療が必要ですね……ワドルドゥはしっかり考えました。
「頼みですか?我らの範疇内でしたら……」
 グーイは、微笑みながら言います。
「家を。」
「家?」
 ドゥは、訝しげに聞き返しました。
「最初のダークマターの襲撃で、カービィさんの家は半壊してしまった筈なのです。
それを、造り直していただきたくて……。」
 ワドルドゥは知りませんでした。一昨日、大王がカービィを雨と血に濡らして抱えて帰ってきてから。昨日の朝、大王とカービィと、それからグーイが出発してから。それからの時間、ほとんど城の中で待っていたからです。
「そんなこと、お安い御用ですよ。
……そうだ、何か注文などありますか?
ついでに取り入れてみます。」
「なら、1人暮らしではなく、3人ほども暮らせる位の大きさにして下さい。」
「?」
 疑問を口元に漂わせたワドルドゥに、グーイは嬉しそうに、心底嬉しそうに、呟きました。
「家族が増えましたから…。」



 暁の空は、穏やかな春の色に変わります。
 優しく、温かな春の陽が、双子を等しく照らしました。





 
星の戦士編 終わり