第9話 光と闇(3 〜金色なりし闇の王)



 光が激しい渦と化し、闇がそれに掻き消えてゆきます。
 音はありませんでした。ヒュージは、長く長く、悲鳴を上げていました。
 それが尽きたとき、同時に、光は縮小し、潮のように引いてゆき、そして、ついに消えました。
 そこに立っていたのは、ルビィだけでした。
 虹の剣をその胸から引き抜いたとき、カービィは歓声を上げて、彼に飛び込んでゆきました。
「お兄ちゃーーーん!!」
「なっ!?」
 どすん。
 勢い余って倒れても、カービィは嬉しさのあまり気付かずに、笑いながら泣いていました。
 ルビィは、驚きました。彼は知らなかったのです。涙がこぼれるのは、悲しい時だけじゃないことを。喜びの涙も、ちゃんと存在していて、それは何よりも熱く、優しいことを。
「よかった……本当によかったぁ…っ!
ぼく、やっとお兄ちゃんに会えたよ……もうどこにも行っちゃわないでね…
これからも……よろしくね……」
 ルビィは、また、涙がこぼれそうになりました。
 こんなにも愛しく、そして、こんなにも大切に思った気持ちを、彼ははじめて感じました。
 カービィの涙が、笑顔が、喜びが、声が、彼の凍えた心をこんなにも温めます。
 彼は、カービィの頭を撫でました。触ってしまえば、崩れ落ちてしまう夢のように感じました。でも、カービィは嬉しそうに笑っています。この幸せは、夢なんかではない。ルビィもカービィにつられて、ふふっと、笑いました。
「……あれ?」
「どうした?」
 カービィは、ルビィの胸を触ってみます。
 さっき、目の前で、ルビィ自身が貫いたハズのその胸は、少しの傷も、少しの血もありませんでした。
「え?あれれ?」
 ルビィは、カービィの疑問に気付きました。
「……カービィ。虹の剣は、本来ならば他者や自身の肌を傷付けたりはしない。
ただ、虹の剣は、覚醒していなかった。虹の剣ではなく、ただの血に飢えた刃だった。」
 そして、虹の剣をすっと握り、それで、カービィの傷ついた身体を斬りました。一瞬で。
 キシュッ
「うわ!?」
 カービィは驚いて身構え、強く目を瞑っていましたが、痛みが全くなく、それどころか身体中の痛みが退いたような気さえして、身体に触れてみます。確かに斬られたハズなのに、斬れてない。それどころか、ヒュージの攻撃のダメージが、癒えている。
「虹の剣は、星の戦士にとって癒しの力がある。……本来ならば……。」
 ルビィの冷たい指が、カービィの背中に触れます。そこは、あの時、ルビィがカービィを殺すために斬りつけた、銀の刃の傷跡です。
「……カービィ……。」
 カービィは、ルビィの想いを感じました。だから、笑って言ったのです。
「大丈夫。お兄ちゃんのおかげで、もう痛くないよ。
ぜんぜん、痛くないから。大丈夫。」
 そして、カービィは、ルビィの肩を抱いて、呟くように言いました。
「もう、だいじょうぶだよ……。」
 ルビィは、この優しい少年が、弟だということを、その鼓動のあたたかさで、一身に、感じていました。
 離ればなれになって、ひときりきだった心同士が、今、ここにあると。






 グーイは、彼らを愛しそうに眺め、そして、部屋の隅の影を睨みました。
 闇から、腕が一本、這い出します。
 ガキッ
 グーイの放った闇色のつぶてが、その掌を貫き、床に縫いつけました。
 その音で、ルビィとカービィも、グーイの方を振り向きました。
「心外ですね。まだ生きてらしたのですか?」
 グーイ・ダークマターのその微笑みは、邪悪で愉しそうで、闇色でした。

「………紅………紅………紅………クレナイ……………
おお、おお、おおお…!
この情熱!
喉から血が沸き、眼が焼き潰れる程に…!
おお、おお、紅の君!君よ…!!
永久に眼窩に留めておきたいほど愛おしいにも関わらず、八つ裂きたい程の、憎き、君よ…!!
…あ、ああ…………眼が見えぬ………どこだ………どこなのだ………クレナイ…………!
………紅の……君よ………」

 ずるり。ずるり。ずるり。
 ヒュージ・ダークマターはグーイに放たれたつぶてを強引に引き抜き、そこから黒い血がドッと溢れました。
 もはやヒュージは、片腕と、顔半分と、首や肩から黒い触手が無造作に伸びる、死に損ないになっていました。
 生きる者達に“金色なりし闇の王”と恐れられてきた巨大な闇の、成れの果てです。
 彼に、もうなんの力もありません。カービィとルビィ、ふたりの戦士の光に、その闇を焼き尽くされたからです。
「哀れですね……ヒュージ。僕の主だった方。」
 グーイは、槍のように巨大なつぶてを生み出しました。
 それは、ヒュージを貫くのに、十分な武器でした。

「グーイ、待て。」

 グーイは、驚いて身体が止りました。
 ルビィは少しふらつきながら、立ち上がります。それもその筈です。闇に身体を支配されて痛むのは、闇の身体も、光の身体も、同じなのです。ルビィも、カービィと同じ程のダメージを受けていました。
「……ヒュージ。私は、ここだ。」
 今度は、カービィも驚いてしまいました。ふたり同時に、声を上げます。
「ルビィさ…!」
「お兄ちゃん…!?」
 ヒュージは、ずるり、ずるりと、震える指でルビィの声を辿ります。けれど、もう動くことすら酷いのか、床を掻くばかりで進むことが出来ません。ルビィは仕方なく、彼を抱き起こします。腕が千切れ、血がルビィにかかりました。
「………ルビ……ィ………?」
「私だ。ヒュージ。私はここにいる。」
 血色の眼は、けれど何も見えてはいません。虚空を見つめ、首からの触手が、ルビィの肌を探りました。幻を触っているように、弱々しく。
「…あ……ああ……………紅の……君………?」
 その声は、純粋な喜びでした。
「………ルビィさん。どういうおつもりですか?
ヒュージは……貴方を100年間も闇の中に閉じこめてきた張本人なのですよ?
………貴方は、彼を許すことが出来るですか?」
 グーイの声は、絶望しているようにすら、聞こえました。
 ルビィはゆっくりと、でもハッキリ、首を振ります。
「許すことなど、はじめから、出来るわけがない。
だが、今の私には、こいつを殺してやることができる。
だから、そうするまでだ。」
「………放っていても、自然に死ぬのに、ですか?」
「…………。
私は、こいつと、闇を共有しすぎた。」
「…………。」
 カービィは、胸が痛くなりました。
 ルビィとグーイの過去を共有して、その痛みもその悲しみも、カービィは知りました。
 でも、感じるのです。
 このままヒュージをのたれ死にさせても、ルビィの闇もグーイの闇も、消えはしないという予感を。

「………クレ…ナ…イ………」
「ああ。私だ。」
「……ワタシは………どうすれば………イい……?
…もう………おマエの……スガタすら………ミえない………
……ワタシの………カラダは………ドコに……ある……?
カンカクが……キえてしまった……………イタ……い………………
………ワタシ……は………どうすれば………………ク…レ………ナ……イ……………」
 一声喋るごとに、ボロボロと身体が崩れます。ルビィは、黙って彼を支えていました。
「……もう、いいんだ。ヒュージ。
眼を瞑れ。そうすれば、その痛みも楽になる。
眠れ。安心しろ。私はここにいるから。」
 暗くて、ルビィがどんな表情をしているかはわかりません。ヒュージは、ルビィの胸に頭を預け、眼を閉じました。金の髪が、錆びるように色を失っていきます。
 けれど、ヒュージの表情は、安らかで、その精神も、正気に戻っているようでした。
「……ああ………幼い……お前のスガタが見える………
もう………100の年月がスぎたか………
…私は………只の……チカラが肥ダイ化した………一体の………ダークマターに………過ぎなかった………
ココロなど……ナい………本能だけの…………ヒュージ・ダークマターとヨばれた………闇の塊だった………
しかし………フフフ………不思議だな………お前を………一メ見た瞬カン………ワタシに………感情がウまれた………
………おマエを………愛しいと………オモった………」
 ヒュージは、追憶を見ていました。ルビィは、何も言いません。
「その……赤毛の一本たりともが………恋しかった……………
私の記憶の始まりは………いつも……お前からだ………
グーイと……異端の者と同じく………私も………お前から………生まれた……………
………お前を………守り……たかった……………」
「でも、貴方は著しく間違っていました。
貴方のやり方は、ルビィさんを閉じ込めていただけだ。
恋しい鳥を逃がさないように、羽根を千切り、翼を折っていたんです。
それが貴方のやり方ですよ。ヒュージ。」
 ルビィは、そして、やはり、何も言いませんでした。
「………苦しかったか……?
……痛かった…か……?
…ルビィ………お前は………辛かったか……?」
 返事は、ありません。
「…………すまなかった……………な…ぁ……………
紅の君…………よ…………………」
 ヒュージは、泣いていました。けれど、彼がそれに気付くことはありません。彼はもう、五感が鈍り、感覚が消えつつありました。身体がボロボロ崩れます。
「許しは……欲っさぬ……………だが………言葉が…………止らない……………
……私は……………お前の…………父に………………なりたかった……………
お前を守ってやれる………存在に………………
…ああ、だが……………………間違って………………いたのだな……………………………
私は所詮………………闇の………眷属だった………………
………すまぬことをした、紅の君……………………
ルビィ………ルビィよ…………………」
 ボロボロボロ。
 崩れたそれは砂のようで、空気に消えてゆきました。
 ルビィは、ヒュージのその涙を、拭ってやります。
「もう、何も言うな。ヒュージ。
眼を閉じて、何も考えなくていい。
私の………鼓動が、聞こえるだろう?
さあ、安心して、眠れ。」
 ヒュージは、おずおずと、ルビィの胸の音を聞きました。
 感覚ではなく、魂へ、その鼓動は響きます。
「あ…………ああ………………
……こうして………こうして…死ねるのなら……………
…こうして死ねることを……………知っていたのなら……………
ダークマターの………支配と欲望の本能に負けずに……………お前に……名前の他の手向けも…………やれたかもしれないのに………
…私は………あまりに気付くのが遅すぎた…………………
…………ルビィ…………」
「…………。」
「……これが最期なら………なんと………幸福な………………
…ルビィ…………私のように……………道を……間違えるなよ………………
お前が………強き道を歩むことを…………祈ろう………。」
「……ああ。
私は、私の道を切り開く。この、虹の剣で。」
 ルビィの握ったその剣は、ルビィの光そのものの様に輝きました。
 ボロ。
 ヒュージの身体が、もう、半分透き通り、重さすら消えてしまいました。でも、ルビィは彼を支え続けました。ルビィの肌にかかった血が、床に広がる血溜りが、主の消滅と共に、蒸発してゆきます。
 ルビィは強く、けれど凛と、叫びました。



「ヒュージ。お前は私に名を与えた。
紅玉の、ルビィという名を。
私は誓う。
此の名はルビィ。星の戦士ルビィ。
父はヒュージ・ダークマター。
私は、我が道を生きよう。
誇り高き道を、光り輝く道を生きよう。」



 ヒュージは、笑いました。
 それは、我が息子に誇りを感じているような、彼を楽しみにしているような、そんな微笑みでした。
 ルビィの腕の中で、ヒュージは崩れ去りました。
 金色の砂粒が、きらきらと、ルビィの腕の中で、静かに舞っていました。