瞳のエレジー 後編 風の冷たさは皮膚を刺し貫くほどだったが、僕は銀の光の粒子に包まれているように、まったくそのダメージを受け付けなかった。むしろ、その光と同化し、意志を持った流星のように、自由だった。 無論、自由というのは間違っている。僕の中には、たった一つの意志しか存在していなかった。 マルクォール。 燃える街に近づいていく。僕の中の意志は既に激情と化して、虹の剣もワープスターも、僕の髪も眼も全てが、真っ赤に燃え上がっていた。 「おおおおおおおおッ!!!」 僕は僕ではなかった。僕はワープスターから飛び降り、奴を斬りつける。奴は刹那の一撃を、右腕で弾いただけだった。 ガキンッ! 僕は焼けた砂の上に着地する。火の粉の煙が舞い、僕はこの剣が、先ほどのような虹色の光を放つ聖剣ではなく、炎をまとった鉄の剣に変貌していることに気が付いた。この剣……この、星の戦士の能力は、感情をそのまま武器にトレースすることなのだろうか。僕の中の感情には、確かに炎の剣が似合っている。浄化の炎。肉を焼き、骨を絶つ破魔の力。 マルクォールは、熱風に金髪をなびかせていた。口の中で、ブツブツと何かを呟いている。それは、長い長い呪詛のようだった。笑うように、泣くように、肩を震わせている。 「…ねぇ……ネぇ…ネェ、ネぇえ……? …ドうして……ボクヲ愛しテクレナいの…? どウシテ……みンナ……ボクを殺ソウとするノォ…?」 ゆらり。 マルクォールの眼は、毒の色をしている。ぬらぬらした沼のような瞳と、その煮詰めたようなピンク色。焦点は合わない。ぐるぐると回転する。何かを探しているように。奴は涙を流していた。涙は頬の下の、血の色のハートマークを濡らしている。額に2つ、右眼に1つの血の穴が空き、左半身は、黒く焦げ、腕は原型を留めていない。誰かが、マルクォールを殺そうとしたのであろう。奴の本体は心臓だ。心臓を焼き捨てない限り、奴が死ぬことはない。例え死んでも、奴は何度でも転生する。奴は不死身。奴は、魔獣。ハートのエース。ナイトメアのお気に入りのおもちゃ。 マルクォールはクスクスと笑う。転生の度に、奴の外見も名前も変わるが、魂は変わらない。この笑い声も。狂った心も変わることはない。 奴ははじめて、僕の顔を覗き込んだ。その瞬間、キャハハハハハッ、と笑い出した。僕は反射的に、奴に斬りかかる。ゆらり。奴はいとも簡単に逃げて、また、クスクスと笑い出す。 「……ネ……君だッて、ソウでしょ? ネ、そうナンだヨね? ね、君モ、ボクト一緒でしょ? 君も、誰かのマネをシテルんデしょお?」 「違うッ!!」 ガキンッ! ネオンライトのような赤い線を宙に描き、マルクォールの後を追う。奴は、その毒々しい黄色の翼で、ひらりひらりと、妖精が遊ぶように逃げてしまう。ふらりふらりと、姿は見えるのに捕まえることができない。僕は理性を失っていた。胸の中で何かが弾けている。憎い、憎い、憎い、憎い、憎い!! 「アハハハハハハハッ!! ネェ! ネェ、ネェ、ネェェ!! 思い出シタ? 思イ出した? 君は、ソうヤッテ、狂ってイくの!! ボクと一緒!一緒、一緒、一緒ォォ!! ネェどうして話ヲ聞いてクレナいの? ボク達、ズット、一緒ダッタじャないのサ!!」 ガキンッ! ガキンッ! ガキンッ! ……僕のまぶたの裏に、僕の知らない記憶が走っていく。そう。確かに存在していたあの黄昏の日。その、最初にマルクォールの犠牲となった少年と少女の名前を思い出す前に、僕の腕に衝撃が走った。剣は、深くコンクリートに突き刺さっている。息をする度に、黒い煙が僕に侵入する。苦しかった。 マルクォールは、僕の隣で笑っていた。息が、苦しい。僕の顎から、汗が落ちる。汗は、すぐに蒸発して消えてしまった。 「……ネ…… ボクは、君のコトヲ、今でも愛シテいるよ…? …ずっと…………ずっと…… ……ネェ……?」 マルクォールの言葉を、巨大な咆哮が遮った。 剣が灼熱を放ち、コンクリートを一瞬で溶かした。 封印が解かれたように、熱そのものの光が爆発し、それからは、一瞬だった。 ズブ。 マルクォールの心臓に、赤い光が突き刺さっていた。 「…………。」 ハァ、ハァ、ハァ……。 僕の息は、ひどく荒かった。全身に火傷をしていて、痛みが激流のように流れていた。マルクォールは、ぼうっとした顔で胸に突き刺さった剣を眺め、そして、僕を、見つめた。虚ろな瞳だった。優しい、憐れむような、悲しそうな、寂しそうな表情で、僕を見ていた。 「……やっぱり、カストロはいつまでたっても頑固だね…?」 それが誰の声だったのか、もう思い出せない。 カッ!! 爆発は一瞬だった。 僕は衝撃に吹き飛ばされ、それきり意識を失った。 剣は、僕の中に戻っていった。 ―――遠い遠い意識の向こうで、大きな地震のような鈍い衝撃が、大地を揺らしていた―――。 ……気づいたとき、僕は知らない場所にいた。 起きあがろうとする。痛い。全身が剥き出しの神経になってしまったようだった。痛い。痛い……。 歩かなくちゃいけない。僕は、はっきりしない意識のまま、歩き出した。数歩も歩けず、ふらついた瞬間、転んでしまった。激痛が走り、悲鳴を上げる。肉体がビクンと痙攣した。 暗くて、前がよく見えない。星空も、煙にまかれて、見えない。眼がいかれてしまったのかも知れない。長い夜だ、と、思った。 その時、僕はハッと気が付く。ここは、僕の知らない場所なんかじゃない。あの、防空壕の近くだ。無意識のうちに、ここまで歩いてきたのだろうか。なら、なぜ、この見慣れた場所にいると、すぐに気づけなかったのだろう。 血の気が引いた。理由がわかった。僕がワープスターで飛立った、あのコンクリートの建物が、無い。 建物の数が、地形が、変わっている。思い出した。意識を失っている間に、大地を揺らす、衝撃があった。マルクォールの自爆による衝撃波は、地震となり、熱風となり、この国を襲った。その地震が、ここにまで影響を及ぼしていたのだ。地形を変えてしまうほどに。 「アイカ!!」 僕は絶叫していた。痛みすら忘れて走り出す。防空壕は、完璧に瓦礫に埋っていた。 「アイカ、アイカ、アイカ!!」 ガラ、ガラ、ガランッ。 岩をどけ、何とか道を作る。巨大な岩の板など、5歳にも満たない肉体にどけられるはずはなかった。けれど、そんなこと、僕は忘れていた。アイカのことしか考えられなかった。身体の中で、血管が切れる音がする。かまわなかった。 ガラ、ガラ、ガランッ。 僕の動きが止まる。それは、指だった。その指は、乾いていて、荒れていて、汚れていた。僕を撫でてくれた指、僕を抱きしめてくれた手。僕は、その感触を全て思い出す。僕の中を、アイカの愛情が満ちる。 「アイカッ!!」 ああ、アイカ。ごめんね、こんな狭いところに置き去りにして。ごめんね。 でも、もう、大丈夫だから。 僕、戻ってきたよ。 アイカ。 今、助けるから。 ……助ける、から……。 息切れをしていた。目の前が霞んで見えた。 アイカの指の上の、岩をどける。 ……僕は、アイカを見つけて、安心した表情をしていたのかもしれない。 それは、そのまま凍り付いた。 アイカは、もう、アイカではなかった。 アイカは。 アイカは。 アイカは、アイカは、アイカは、アイカは、アイカは、アイカは。 「……アイカ…?」 僕の声は、どれだけ乾いていただろう。 ア……イ、カ。 アイカは、ずっと、待っていてくれていた。 僕は、アイカに、待っていてと願った。 だからアイカは逃げなかったの? だから、アイカは、ずっと待っていてくれていたの? なら アイカを、 殺した、の、は、 僕、だ。 ドンッ!! 爆発音と、熱を帯びた爆風に吹き飛ばされ、僕は防空壕から弾き飛ばされた。防空壕が再び新しい瓦礫に埋り、今度は完璧に、埋もれてしまう。 その瓦礫の向こうから、何人もの武装した男達が姿を現した。手に手に、銃剣や、狩猟用に似た長い銃を装備している。彼らは憎しみに取り憑かれていた。それらの感情が、真っ直ぐ僕に向かっている。僕は、何とか起きあがろうとした。痛い。 ……ああ、でも、ここから逃げ出して、どうしようというのだろう。 もうアイカはいないのに。 アイカは。 アイカ。 「……アイ……カ……。」 そう呟いた瞬間、銃弾が僕の頭を貫いた。痛みではなく、空虚が、僕を支配していく。 「お前、あの悪魔の手下か!? 妙な言葉を使いやがって…!!」 「赤毛の子供は、この国にはいないはずだ……。」 僕は、顔を動かして、彼らを見た。 拒絶する眼。 僕の存在そのものを許してくれない、眼。 一様に向けられたその銃口は、僕を排除することだけを望んでいる。 僕を殺すことだけを。 ……恐い。 恐いよ。 僕が腕を動かそうとした瞬間、その腕は僕の血に染まって、爆裂した。赤い。炎も、僕の血も、同じく、赤い。 「死なないのか!!」 「やはり、あの悪魔の手先だったのか!!」 「化け物め!!」 「悪魔、悪魔!!」 それらの声が、実際に発音されていたものかどうかは、もうわからない。 僕の身体は何度も何度も何度も何度も、弾けて飛んだ。 アイカのことを、思い出す。 僕を抱きしめてくれた、アイカの細い腕。 その腕は、あの冷たい岩の棺に、無言のままに押し込められていた。 優しい、アイカ。 僕を愛してくれた、アイカ。 天を仰ぐ。 真っ暗で何も見えない。 ……もう、いいよ。 僕は、誰に言うでもなく、呟いた。 今、僕にあるのは、僕を完璧に遮断する明確な殺意と、その鉛の弾丸だけ。 もう、いいよ。 ……もう……。 僕の血が、形を変えた。 飛び散ったその真っ赤な血が、肉が、骨が、熱を帯び、燃え広がっていく。 僕は、炎となった。 街を呑み込む。 僕を最後に包み込んでくれたのは、アイカの優しい胸なんかじゃなかった。 僕は、マルクォールと同じだった。 真っ赤な炎。 焼き尽くして焼き尽くして、何もかも消してしまえばいい。 僕の中の記憶も、なにもかも。 僕は、泣いていた。 僕の中には何も残っていなかった。 僕は誰にも望まれていなかった。 悲しかった。 悲しかった。 悲しかった。 ここには何もなかった。 きらり。 ……一瞬、何かが、光った。 金色の光だった。 それは、闇を纏って、ゆっくりと近づいてくる。 「……ヒュージ、この子を連れて行くのですか…?」 僕は、ぼんやりと辺りを見渡した。僕の後ろに、悲しみで染め上げたような、群青色の髪をした少年がいる。彼は、僕の肩を抱いて、僕の目の前にいる、金色の髪をした男を睨んでいた。2人とも、血のように紅い眼をしている。僕は、僕の肩を抱いてくれているこの少年を、知っているような気がしていた。 「…………。」 ヒュージは、僕の顔をおずおずと覗き込み、さらに慎重に、怯えるように、僕のことを抱きしめた。 警鐘が鳴る。僕は、こいつらの正体を知っている。 ダークマター。 僕が倒さなければいけない敵。 ……でも、僕に、それ以上の意味も理由もなかった。 僕はもはや、全てを失ってしまっていた。 乾いていた。 ヒュージの指が、ゆっくりと、僕の髪を撫でる。 ゆっくりと、優しく撫でてくれる。 ……アイカ……。 アイカ……。 僕は、涙をこぼした。涙と声が、一緒にこぼれた。 「…………ア…………ィ…………」 「……アイ…?」 ヒュージは、きょとんとして、僕の眼を見た。ヒュージは、今この瞬間に生まれたばかりのような、そんな顔をしている。 「お前の名前は、アイと云うのか…?」 その時、僕は再び意識を手放そうとしていたし、ヒュージがこのまま抱いてくれているのなら、そのまま眠ってしまおうと思っていた。無意識のまま、こくりと、頷く。 「……確かに、お前は美しい紅玉の瞳をしている……。」 ヒュージは、まるで壊れる寸前の硝子細工を扱うように、僕をゆっくり抱きしめた。 僕の空っぽの胸の中に、ヒュージの愛がこぼれ落ちる。 僕は、ヒュージの腕をぎゅっと握りしめた。 ヒュージが、驚いたように、目を見開く。 僕はそのまま、闇に抱かれて、眠ってしまった。 |