第32話 それぞれの戦い (12 〜雲の糸)



 マスタードマウンテンの空は、金色に輝いていました。
 しかしそれは、ただ一言「美しい」と吐き捨てられるような輝きではなく、もっと、禍々しい程に凶暴な生命の輝きというか……暴力的な熱と光のエネルギーに満ち満ちていました。
 その真下には、蒸気と煙を噴き上げる自然の煙突がいくつも立ち並んでいます。
 壮観なる巨大な山の連なりは、見る者を圧倒し、威嚇するかのようです。
 地熱と蒸気で景色を歪ませるその熱い土地の上空を、ネペレーは飛んでいました。
「まーったく! グリル様ったら本当に人使いが荒いんだから!!
魔王様のことちょっと喋っただけで死ぬほど怒るし……ホント、死ぬかと思った!グリル様の鬼上司!!鬼女!!
……はーぁ……」
 重い足取り(雲の精である彼に足などありませんが……)で、上空をとぼとぼと進んでいくネペレーの姿は、とても魔獣軍随一のアタッカーには見えません。
「大体さぁ……どうしてこんななぁーんっにも無い所を捜索しなくちゃいけないの? つまんないつまんないぃ〜〜……。どうせマルクなんか見つからないし、楽しい事もなんにも無いよ……あーあ。オレっちもっと戦いたいのになぁ……。」
 彼の視界を遮る分厚い雲も、ネペレーにとっては埃を払うようなものです。彼が手を左右にちょっと動かせば、たちまち雲は散り散りになります。
「収穫無し、……っと……――――?」
 音が、しました。
 ネペレーは、ピクッと顔を上げ、耳をそばだてます。
 その音は、飛行機のエンジン音でした。空気を振動させる、その猛烈な機械音……
 ネペレーの顔に、笑顔の花が咲きました。
 その花は、あまりにも無邪気でした。
 無邪気に、素直に。……彼の描く“破壊”への期待の色で、明るく染まっていたのでした。
「飛行機だ!!」
 ネペレーは雲を突き破り、まるで彼の操る雷自身になったかのように、ギュンッと、全速力で、その音の方へと飛びました。
 飛行機だ、に、続く言葉は、あまりにもシンプルでした。
「アハハハハッ、落としに行こう!!退屈だったし!!
何人乗ってるかなっ!多い方がいいなっ!!
楽しみだぁーーー!! アハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 彼にとって、破壊とは喜びでしかないのです。





 エアロスターが飛ばす小型飛行機に無理矢理同乗したタトゥーとマルクに、エアロの怒りは今この瞬間にはち切れんばかりでした。
「あっれーー!!? 繋がらねぇーーー!!」
「ええーーー!? マターちゃん、なんだってぇーーー!!?」
「うるせぇええええええええッッ、静かにしろぉおおおおおお前等ぁああああああああ!!!」
 ……上から順番に、タトゥー、マルク、エアロスターの台詞です。
 強風をモロに受ける天井のない機体の上では、風に掻き消されないよう自然と声も大きくなるものですが、二人には遠慮というものがありませんでした。
「いやなぁー、ルビィから預かった携帯通信機あるだろーー!? あれで、連絡しようとしたんだが、全然繋がらねぇんだーーーー!!参ったーーーー!!!」
「マターちゃん、それきっと、壊れてるのサぁあああああーー!!」
「黙れと、言って、いるだろぉー!! 叩き落とされたいのか!!!?」
 エアロスター、ついに顔を後ろに向けて、二人に怒鳴ってしまいます。
 そこでようやく二人は、ごめんごめんという調子で、エアロに向かって頭を下げました。その軽さがまたエアロを地味にストレス地獄へと誘うのですが……それは彼の怒りっぽさも、立派な敗因です。
「……はぁ、この機械が使えれば、少しでも早くあいつらと合流できるんだけどなぁ……。」
 マルクの耳元で、もそっと話しかけるタトゥー。マルクもそれにこくりと頷き、声が届きやすいよう、彼のすぐ側に寄りました。
「うん……。もしかしたら、使える場所と、使えない場所があるのかもしれないね。
ほら、マターちゃん、ここ見て。アンテナみたいなマークあるじゃん。ここ、今はバッテンが付いてるでしょ?」
「ん……本当だ。」
 今、この瞬間、初めて気が付いた。というタトゥーの様子に、マルクは呆れ顔をします。
「マターちゃんって、アホの子なの?」
「アホの子ってなんだよ!!」
 プンスカ。
 そういう怒り方が、アホの子なんだよ。
「おいアホ共、少しは静かに出来ないのか!」
「エアロスター、お前まで……!」
 まぁ、もっともなお言葉です。
「……ったく、お前等が無理を言うから俺の土地まで送ってやってるっていうのに……その五月蠅い口に、その辺の岩でも詰めてやろうか。」
「悪かったって言ってるじゃないか……」
「人捜しするつもりなら、下でも見てろ。」
 冷たいお言葉……。
 タトゥーのツンツン尖った髪が、心なしかへにょっとしたような気がします。
 二人の様子に呆れていた時……マルクは、ハッ、と、顔を上げました。

 ――――音、です。
 それは、どこか、自然界とは違う風音。
 誰かが無理矢理、風と雲を切り裂いているかのような乱暴な音。
 それがどんどん……近づいてくる……!?

「……ん……? なんだ……?
急に、風が変わった……?」
 エアロスターの声を、マルクの怒声が引き裂きました。
「逃げて!! 上に逃げてッッ!!!」



 ざぱぁっ



 ……と、いう音の表記が、果たして適切なのかどうかは、誰にもわかりませんでした。それはくぐもり、音ですらなかったのかもしれません。
 ですが、雲の海から飛び出したネペレーの姿は、正に、波間から突如現れた鮫……――――そのものでした。
 凶暴かつ凶悪な魔獣は、獲物に向かって眼を光らせ、掌に電気の弾を作りました。
「オレっち、ついてる!!」
 マルクの姿をしっかりと両眼で捉え、ネペレーは笑いました。
 光の弾が、機体の側面を擦ります。電気が、鉄材越しに、彼らの皮膚を粟立たせました。
「こんなにトントン拍子に進んだら、グリル様もご機嫌だよ!!
ねーぇっ、マルク!! オレっちと遊びに行こうよ!!
お兄さん方は大地とキスでもしていればぁーーー!!?」
 鞭のようにしなる電流が、エンジンを掠めました。
 がくん、と、揺れる機体。ネペレーの笑い声が響きます。
「それとも、ここで丸焼けになる!?」
 ……ああ、エアロスターとタトゥーの丸焼きかぁ……絶対食いたくねぇメニューだな。タトゥーは、苦い笑みを浮かべます。
「マターちゃん! 剣!!
剣を取ってぇ!!!」
「えっ、あっ……――――」
 エアロスターが突然の敵の出現により、機体の体勢を整えているその最中、マルクはタトゥーに向かって叫んでいました。ですが、タトゥーはマルクの期待に反し、内心、困惑していました。
 何故なら彼は、ほんの半日ほど前……――――ヒトを切ってしまったから。
 パルを斬り捨てた時の感触が、今でも手に残っています。
 この剣で、また誰かを斬る…? ……敵とはいえ……――――!
「マターちゃん、早く、早く!! みんなやられちゃうよぉ!!」
 俯いていたタトゥーの眼に、光が戻りました。
 戦うしかない。
 今は、戦うしか……!!
「……でも、オレは……斬らない。」
 タトゥーは、剣を――――父の形見、ブラッドソードを構え、誰に向けるでもなく、そう呟きました。

「オレは……斬らない、殺さない! 殺さないで戦ってやる!!」

 その決意の叫びは、こんな状況下では、まるでヤケクソのようです。
 それでも彼の決意だけは、確固としたものでした。
 確かで、堅いものでした。

「何言ってんだか知らないが……俺はこれ以上変な奴と関わるのは御免だ。」
 ネペレーに背を向ける形で飛行機を急発進させたエアロは、ぼそりと呟きます。
 キュイイッ……――――
 開いた機体の腹の中から、黒い銃口が現れました。
 旋回する時の重力で、タトゥーとマルクが軽く横倒しになります。
 前方を強く見据え、エアロは唇を噛みました。
「一発お見舞いしてやる!!」
 パララララララララッッ!
 銃口から放たれた銃弾が、ネペレーに向かって真っ直ぐに飛んでいきます。
 ネペレーはニッと笑い、掌に確保していた雷を放ち、銃弾を弾きます。弾はネペレーに当たることなく、雲の隙間に落ちました。
「効かない、効かない、効かない!!」
 ネペレーの声は、楽しそうと言って余りあるものでした。
 タトゥーは、飛行機の上で喚きます。
「おいっ、エアロスター!! 「変な奴と関わるのは御免だ」とか言った矢先に撃ちまくるってお前!!これ軍用かよしかも!!
っていうか、オレが殺さねぇって決意をしてる隣で撃ちまくるって!! お前どんだけ鬼なんだよ!!」
「俺は……嫌な奴は、消す。」
「嫌な奴だな、お前は!!」
 喧嘩を余所に、マルクはタトゥーの頭をバンバン叩きます。
「来た、マターちゃん! 来た!! 雷!!」
 すぐさま視点を戻したときには、すでにネペレーの放った雷の弾は、すぐ目の前に迫っていました。今更旋回しても、間に合いそうもありません。それは光のように早いのです!
「うわぁああああーーーー!! ダメッ、マターちゃん、打ち返してぇえええーーー!!!」
「えええええーーーーーー!!!!!??」
 これぞ、真のヤケクソ、というものでしょうか。
 タトゥーは座席の上に立ち、ホームランバッドのように剣を構えていました。
 雷の弾が彼らに襲いかかる直前、タトゥーは剣を横薙ぎに振っていました。
 それは、もしこれが野球だったとしたら、早すぎて空振りになっていたくらいの早とちりです。
 それなのに、雷の弾は、弾かれたスピードそのままに、反対の方向へ向かって飛んでいきました。
 つまり、ネペレーの方向へと。

 へ?

 ……と、不思議そうな顔をしたのは、その場にいる、全員です。
 ブラッドソードから放たれた衝撃波が、見事に弾を打ち返していました。
 きょとん、とした四人の前で、弾はネペレーの胸の中央、核(コア)へと真っ直ぐに、飛んでいきました。

「へ?」

 ネペレーの声は、彼自身の悲鳴で掻き消されました。
 船を、人を破壊し、蒸発させるには充分なほどのエネルギーの閃光が、核を通じて全身に伝播します。
 ネペレーは目を剥き、全身を引きつらせました。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアァァッッ!!!!!」
 悲鳴は、光が途絶えたのと同時に、急に途絶えました。
 意識を失ったその体が、コントロールを無くし、雲の海に落ちていきます。
 その姿が完全に見えなくなったとき、マルクは身を乗り出して、タトゥーに抱きついていました。
「やったぁっ、勝ったよ!マターちゃん!! マターちゃんが勝ったぁああーー!!」
「うおっ……!!」
 タトゥーは慌てて、マルクを片手に抱き留めました。
 マルクの目尻には、小さな涙が浮かんでいます。
 恐かったのでしょう。どんなに強気な言葉を叫んでいても、中身は怯えた子供なのです。
 タトゥーは、よしよし、と、マルクの背中を撫でていました。
 そして少しばかり、実戦で見えたこの剣の新たな可能性と、淡い勝利の余韻に、浸っていました。

 浸りきることができなかったのは、二人の体が、ゆっくりと飛行機から落ちていったからでした。
「……バカッ…!!」
 エアロスターが、慌てて腕を伸ばした時、二人の体はその腕の僅かに届かない場所にありました。
 天国と地獄を分ける数cmは、二人に地獄を言い渡しました。
 無情に、風を切る音が、エアロスターに届きました。
 二人の姿もまた、雲の海に消えます。

「タトゥー!! マルクッッ!!」

 ああ、余りにも急発進が多くて、エンジンが可哀想になります。
 ギュンッ 雲を蹴散らすその船は、真っ直ぐに二人が落ちた方へと向かいました。余りにも、余りにもその動きが早かった為、うっかり二人を追い越してしまいました。
「へっ!?」
 この声は、ネペレーのものではありません。
 信じがたいものを見たときの、エアロスターの声でした。

 彼が、機体を安定させ、上の方を見ると……――――
 そこには、翼を広げるマルクの姿がありました。
 悪魔のような形の、黄色い翼を広げたマルクが……タトゥーを抱えて、パタパタと飛んでいました。
「…………飛べたのか…………。」
 驚嘆でも感嘆でもなく、その言葉にはただ、呆れと親しみが込められていました。





「…………マターちゃん、これから、どうするのサ……?」
「ん……?」
 エアロスターに別れを告げ、二人はゆっくりと、地上へと向かっていました。
 本来ならば、エアロスターの住んでいるキャベッジキャバーンに移動し、そこから仲間捜し、もしくは最初に訪れたセントラスサークルへの手掛かりを探そうとしていたのですが……予定は変更です。
「この下は…………マスタードマウンテン、か……。
仕方ねぇ。この火山地帯で、仲間捜しをするとしようか。」
 モーリィからもらった地図を開き、タトゥーはマルクに笑いかけます。
 バサバサと風に揺れる地図には、火山の火口がたくさん描かれていました。今、眼下に広がる風景、そのものです。
「マターちゃん、旅は道連れ、世は情けだよ。いろんな事があるんだから、焦らずにね!」
「ん……。マルク、それちょっと意味違くねぇ?」
 そんなことないもんっ! そう言って怒るマルクに抱えられたまま、タトゥーはふと顔を上に上げました。
 あ。
 その軽い言葉が気になり、マルクもまた、顔を上へ向けました。

 明るいオレンジに輝く空に、雲の糸で描かれた、大きな星形のサインがありました。
 その端から、遠ざかっていく小さな飛行機の影があります。
 今は指先よりも小さいその影に向かって、マルクとタトゥーは、大きく手を振りました。