第16話 出発(2 〜血の剣、父の剣)



 ……どぉぉぉぉぉぉんっ…!

 爆音、爆煙……それらが落ち着き、ガンガン響いていた耳鳴りが去った頃、やっとタトゥーは瓦礫の山から這い出すことが出来ました。見ると、先ほどまで延々と昇っていた螺旋階段は消え、壁の数m上に、壊れかけて今にも落ちそうな扉と、その先……塔の2階部分がわかります。
「……なーるほど、オレらはまんまと罠に引っかかってた訳だ……実際の階段はぐるっと一回転するくらいしかなかったのが、侵入者が昇れば延々と続く無限ループにご案内っ……てことか。
……ちっくしょー…………おいマルク、大丈夫か?」
 がら、がら。
 砂埃を吸い込まないようにしながら、彼の黄色い翼がはみ出てる辺りの瓦礫を、少し掘ってやります。マルクは、魔力の使い過ぎかそれとも爆発の衝撃か、気を失っていました。やれやれと溜息を吐き、マルクを肩に乗せ、後ろを振り返ります。……どうやら、あの赤毛の少年……パルも、一緒に瓦礫に埋もれてしまったようです。
「ったく……せめてオレの方じゃなくて、あいつの方に撃てってのに……この癇癪ボーヤがっ」
 そう言って一度デコピンしてやりますが、マルクは何のその、深い眠りに就いています。
 ……迷惑ばっかりかけやがって。
 そう心の声で呟き、改めて上を見上げてみます。……おそらく、3m前後の距離です。タトゥーは、村では最も強いダークマターでしたが、それでも飛行や攻撃という「特殊能力」に関して贅沢が出来るほどのバイタリティは無く、少なくとも今、マルクを背負った状態で飛行をするのは無理でしょう。ならば……この脚に賭けるしかありません。
「マルク……頼むからじっとしててくれよ…ッ」
 ぢゃり。
 小石を踏みつけ、標準を合わせます……目標は、あの扉です。何とか手が届けば、2階に上がることが出来ます。
 1……2……3……。
 目を瞑って、息を数えて……脚に、力を込めました。
「そーーーっ………れぇ!!」
 パシッ!
 タトゥーは、何とか壊れかけていた扉の縁を掴むことが出来ました。しかしそれも一瞬、後一本ほどのネジで繋がっていたそのちゃちな扉は、ぐらっとバランスを崩し、瓦礫の方へ傾いて行きます。タトゥーは間抜けに目を見開き、わたわたと腕を振り回します。
「ちょっ、え、うわっ……だぁー!!」
 ガコォォォッ…ンッ
 下では派手な金属音と共に、砂埃が大きく舞い上がりました。しかし、タトゥーはなんとか出入り口の下部分にしがみついています。肩にかかるマルクの体重に唸りながら、最後の力で、廊下まで出ました。
「く…くそぉー……もう二度とロッククライミングなんかやんねぇー……」
 ぜぇぜぇと、荒い息を繰り返します。別にロッククライミングではないと思いますが。
「さて……と。どっかに逃げたり隠れたりできる場所ねぇかなー……。」
 よっこらせ。
 マルクを再度持ち上げ、廊下をきょろきょろと見渡しました。

 ……がしゃ…り。
「…ん?」

 がら……ガラッ……

 その風に……当然、色などは付いてはいませんでしたが、タトゥーの傍を逃げていった風は、鉄の匂い……血の匂いがする、錆色の風でした。
 重苦しいオーラと、その風の匂いで、息が詰まります。心臓を掴まれたように、タトゥーは動けなくなりました。

「…………命令…………なんです…………。」

 ガランッ
 パルの背中には、赤い、半透明の羽根が生えていました。薄っぺらいガラスのようなそれに、黒い血脈が細かい傷のように刻まれています。
「……俺……ミラ様から……命令されたんです……侵入者を……捕まえろって……」
 その声は、確かに、背後から聞こえてきました。しかし、ならば目の前にいるのは、誰なのでしょうか。背後の彼と同じ少年……もう一人のパルが、そこに立っています。
 後ろにある口、前にある口が同時に開き、その声とセリフは、全く同じものでした。

「逃がさない。」

 ビュンッ!
 黒い雷がパルの両手から放たれ、それはタトゥーに真っ直ぐに向かいます。
「くっ…そっ、たれぇぇぇ!!」
 ガギンッ!
 それは、血の色を帯びた鉄の剣でした。それはパルの攻撃を叩き斬りましたが、後ろからの攻撃はとても避け切れません。
「ぐっ…!」
 バヂンッ!
 振り返りその攻撃を腕に受け、電気特有のその痺れに、筋肉が痙攣しました。
 瞬間、タトゥーの頭の上が暗くなります。上を見上げたとき、真っ黒の闇の弾は、既に鼻の先まで迫っていました。
「なっ…でぇ!!?」
 ぎゅぉんっ!
 タトゥーの剣がその黒い弾を引き裂き、反動でゴロッと回転して、何とかその衝撃波から逃れました。少し頭は打ちましたが。
 走り出そうとしたその時、もう一人のパルが目の前に立ち塞がります。
 タトゥーには、もう迷っている暇はありませんでした。
「でぇいっ!」
 ザンッ
 パルの黒いローブを、タトゥーの剣が切り裂き、その切り口から、確かな赤い血が溢れました。
「後ろの奴はずっと追っかけてきてた奴だし、そうとなればこっちはどうせちゃちな分身に決まって……
……え…?」
 ごとんっ。
 そのパルは、白い廊下に投げ出され、うつぶせのそこから、真っ赤な血が、静かに静かに広がっています。
 虚ろに見開いた眼は、色素が沈殿し、確かな死をたたえていました。
 タトゥーの剣が、鋼の色を放ちながら、パルの血をぽたりぽたりと零している、その音が聞こえます。
「……こっちが…………本物…?」
「いえ、それはただの分身ですよ。」
 ゴウッ!
「なっ!?」
 バシンッ!
 漆黒の衝撃波に打たれ、壁に強く打ちつけられます。衝撃のあまり、後ろの壁には大きなヒビが刻まれました。ぬるっとした感触がして、ふと頭を触ってみると、血が流れているのが見えます。それは、片手にずっと抱いていたマルクの、白い頬にぽたりとこぼれ落ちました。
「でも……あなたが思っている“分身”とは、少し違うかもしれません。
俺は、俺の完璧な分身を造ることができるんです。
だって、俺は……死を餌にした、ダークマターだから。こうやって分身を造って……何度でも、死ぬことが出来る。」
 そしてパルは、少しだけ恥ずかしそうにしながら、「自分」のその死体を掴み、タトゥーが刺したその傷を、すうっと、指でなぞります。
「“俺”を刺し殺した時の痛み……ちゃんと“俺”も感じました。
痛みを味わったのは俺なのに……どうして、あなたの方が辛そうな顔をしているのですか?」
 ……まずいな。
 パルの、薄く笑った顔を見て、タトゥーはぼんやりと思いました。腕も足もボロボロで、頭にも血が足りていないようです。
 何度でも死ねる相手。
 ……オレの一番苦手な敵じゃねーか。
 そう、タトゥーは血に濡れた剣をぎゅっと掴みながら、思いました。



 ―――お前がお前のままでいたいんなら、誰も殺しちゃあいかん。
 殺せば……ワシらのようになる。お前は、お前のままでいてくれや……―――



 それは、彼の父……ヴァースの声でした。散ってしまった、そしてその後もずっと尊敬している、たった一人の、父。
 ……なあ親父、もう遅いよ。
 オレの剣、もう血に染まっちまったよ……。

 ……タトゥーは、ミラクルマター達がこの星にやって来たとき、真っ先にこの剣と、父の肩当てと胸当てを取り出しました。
 全て、父の形見です。
 そして、殺すことを禁じられたこの剣の名前は、「ブラッドソード(血の剣)」。
 ……趣味の悪ぃ皮肉だな。
 タトゥーはそう思い、少しだけ笑います。
 パルは、黒い鞭を手にしていました。ゆっくりと、口を開きます。
「ミラクルマター様の元へ、お連れ致しますよ。」



 ―――ここがファイナルスターか……なんじゃ、辺鄙な星じゃのぉ。
 まぁええわい……おどれら、マルクを知らんか?
 知っとるんなら……出せぇや。



 どくん。
 タトゥーは、急に目の前が開けた思いをしました。
 そうだよ。
 あの広島弁のあの野郎。
 ミラクルマター。
 何で、親父と同じ口調なんだよ。
 何で、マルクを狙うんだよ。
 ……そうだよ。何で、



 何で、親父とそっくりの顔してやがるんだよ。



 ガギンッ!
 タトゥーは、後ろの壁に刃を立てました。
 彼が叩き付けられた衝撃でヒビの入っていた壁は、ブラッドソードの一撃で、簡単に崩れ落ちます。
「あっ!」
 パルが声を上げたときには既に、タトゥーはその落下に身を任せていました。
「悪ぃな! オレら、こんな所で捕まる訳にゃぁいかねぇんだ!!」
 ガラガラガラッ!
 タトゥーはそこに叩き付けられ、その衝撃が彼を襲います。反射的に、マルクを抱き寄せ、自らをクッションにしました。血が少し、喉から這い上がってきます。
「ぐぁっ……くそー、中身が色々ヤバい感じだ……気っ持ち悪ぃー…っ」
 もちろん、そんな事を言っている暇はありません。パルは、怒りも露わに巨大な岩の塊……いえ、闇のエネルギーの塊を掴んでいました。そのバチッバチッと爆ぜるエネルギーが、周りを落下していた小石や岩まで巻き込み、弾け飛ばしていました。

「絶対に……逃がさない……逃がさないッ!!
ミラ様の命令なんだァァッ!!」

 バヂンッ!
 その一瞬でした。
 マルクの翼が開き、その眼の赤紫色が、パルの黒い光に照らされます。
 ……その悪魔の、“狂った笑顔”。

「ネ……ソレは、残念ダったネぇ?」

 ュ…ッ
 マルクが組んだ腕を開いた開いた瞬間、そこには赤をまとった白い光がありました。
 黒い光とぶつかります。

 衝撃はタトゥーとマルクを巻き込み、とんでもない突風に襲われたと思った瞬間、無重力の、真っ白な世界に放り出されました。
 その世界で、マルクの血に濡れた頬の下……そこに、ハートのマークが見えたような気がしました。
 どさりっ。
 一瞬の後、固い地面にぶつかって、ぐるぐる痛む頭を押さえながら辺りを見渡したとき……タトゥーとマルクは、見たこともない、透明に輝く神殿の中にいました。
 目の前にあったのは、曇りのない美しい鏡と、そこに映る……
「あの…………あなた達は、誰?」
 ……幼い、空色の眼をした少年の姿。





 2度目の爆発は、村の制圧が完了した、その直後に起きました。
「今度は何じゃ!?」
 振り返ったとき、先ほどよりも強い、赤と白の光が爆裂し、それはミラクルマター達をも照らします。
「さっきの爆発と、様子がちゃう…!?
おう子供ら、あれもマルクの魔法か?」
 3人も、その爆発を見ていました。しかし、発されたあまりのエネルギーに、唖然としている様子です。
「マルクは…………確かに、強いけど…………
……こんな爆発、見たことない………」
「……ああ。これはむしろ……異常だ……」
 言葉を失いそうになりながら、リムラとリムロは言います。リムルは、姉と兄の腕に掴まりながら、ふるふると震えていました。
「おねーたん……おにーたん……ぼく…………こわい…………」
 リムラは、何も言わずに、その怯える弟を抱きしめます。ミラクルマターは、チッと舌打ちし、アクエリアスとバーストフレアに合図しました。
「アー、バー! おどれらはここで見張りをしててくれや!!
ワシはちぃと、パルの様子を見てくる!! もしかしたらまだ何かあるかも知れん……油断すんなや!!」
「はぁーいっ! 任せてよミラしゃまー!」
「ゴ……。」
 ミラクルマターは、走りながら、煙の出ている辺りを睨みます。
「出所は……2階か?」
 シュッ!
 ミラクルマターが眼を閉じた瞬間、その姿はかき消えました。2階までの「距離」を消し、瞬間移動したのです。
 彼の姿が見えなくなった時、リムロはこっそりと、近くの大人……既に初老に近い男性に声をかけてみました。彼も、心持ち不安そうにしています。
「なあ……前からちょっと思ってたんだけどよ……確かにオレらは弱ぇけど、どうしてここまであいつらに弱腰なんだ?」
 男性は、リムロを一瞥し、他のみんな……同じく、不安そうな顔をしているみんなを見直し、こっそりと耳打ちします。
「……お前は、この村で産まれたダークマターだから知らんのだと思うが……あのミラクルマターとか言う男は…………そっくりなんだ。」
「誰と?」
 その時、ちょうどアクエリアスとバーストフレアは、彼らなりの不安を、あの塔に向けて見つめていました。まだ、この密談には気が付いていないようです。
 男性はこわばった声で、続けました。
「……タトゥー坊やの父親、そしてこの村の創立者であり…………
……対魔獣戦で戦死なさった…………「緋色の闇」、ヴァース様にだ。」
 ごおっ。
 乾いた風が、強く、塔の方に向かって吹いてゆき、それは、砂埃を舞い上がらせ……しかし、彼らの不安を拭い去ることはせず、暗澹とした気持ちばかりを広げさせてゆきました。





 がしゃっ。
 ミラクルマターが降り立ったとき、既にその付近には、数匹のエヌゼットが集まっていました。
「おう、おのれらパルを知らんか? あいつは無事か?」
 エヌゼット達は一斉に、破壊された壁の下に落ちてゆきます。とても体重の軽い彼らは、ふよふよと、たんぽぽの綿毛のようにゆっくりと落下してゆきました。
「……この下か。」
 ドスンッ
 エヌゼット達とは違い、確かな体重のあるミラクルマターは、岩のような勢いでそこに着地します。2階から地下まで吹き抜けなので、かなり距離があるハズですが、彼の脚は全くダメージを受けていないようでした。
 見渡すと、破壊された部屋の隅に、粉々に砕け散った鏡があります。これは、シミラが幾つか造っていた、「鏡の国」への入り口の一つでした。しかし、これではもう使い物にならないでしょう。……マルク達はこの鏡を通って、あの国に逃げたに違いありません。
 ミラクルマターは、もう一方も見渡し、そして、声を上げました。
「パル!」
 仰向けに、瓦礫の山に横たわっていたパルを抱き上げ、その頬をぺちぺちと叩いてやります。ぐったりと目を閉じて、動く気配もありません。
「パル! パルッ!!
……駄目じゃな、気ぃ失っとる……。」
 一緒に落ちてきたエヌゼット達が、ミラクルマターとパルの周りに、ちまちまと集まってきました。エヌゼット達に精神はありませんでしたが、それでもどこか不安そうな雰囲気です。
 ミラクルマターは、眉を寄せながらエヌゼット達に語りかけます。
「のぉおどれら、パルに力を分けてやってくれんか?
これは……あんま良い状態とは言えんわ。」
 エヌゼット達はこくりと頷くと、さらさらと砂のように崩れ、その黒金の砂のような闇は、パルの傷口に集中し、同化してゆきます。パルも、エヌゼットも、闇の眷属です。同じエネルギーで出来ているため、こうして、力を分け合うことが出来ました。逆に言うと、このような闇のバイタリティの大小で、ダークマターの生命力や能力は、ほとんど決まってしまいます。タトゥー……タトゥー達、村を造った、そして心を持ったダークマターの一族は、星から外に出ることも、誰か他の生き物を攻撃し、「負の感情(闇)」を集める事もできなかったので、自らを形づくること以外の、無駄なエネルギーは使うことが出来ませんでした。しかし、この塔には充分なレベルの……通常の生命が入れば発狂してしまうだけの「闇」で満ちていました。この闇を集め、そして造っているのは、このミラクルマターと……彼の上司。
 シュッ…
 空気を切る音がした後、そこに立っていたのは、裸足の少年でした。
 少年の白い髪が、ゆらゆらとなびいています。……もちろん、風など吹いていないのに。
 白い髪、白い肌を持ち、白い光を放つその少年は、血の色の眼で、ミラクルマターを見つめます。

「……ミラ……どうしたの…?」

 ミラクルマターは、パルを傍らに寝かせ、片膝立ちでその少年に跪きます。しかし、その双眼はしっかりと、その少年を見据えていました。
「ゼロア様。奴ら……マルクを、逃がしました。」
「……そう……。」
 ゼロアは、ミラクルマターの横を抜け、パルの顔を掌で包みました。
 キィン。
 一瞬、白い光りが辺りを淡く照らし、ゼロアは目を閉じます。
 ゼロアが見ていたのは、パルの戦いです。
 その中で、ゼロアは見ました。タトゥーに急かされている幼い少年と、頬にハートのマークのある、悪魔の姿を。
 ……マルク。
 ゼロアは、満足そうに、パルから手を離しました。
「……ゼロア様…………どうしても、あの小僧が必要なのですか?」
 ミラクルマターのその問いに、ゼロアはゆったりと振り向きながら答えます。

「うん……あの子じゃなきゃ、だめなの。
あの子の魂を使わなきゃ……お父様に会えないから。」

 ゼロアは、静かに微笑んでいました。
 その、白い翼。
 頭上にある金色の輪。
 まるで……天使のような姿。

 彼が、この塔の真の主。ミラクルマターの創造主。
 そして、闇を統べる白き王。
 その人なのです。