第8話 光と闇(2 〜グーイの生まれた場所)



 ヒュージへの恐れと怒りで、カービィの身体は震えました。
 この手の中に、その巨大なる闇と戦うための、武器はありません。ハンマーは、とうに落としていました。この暗闇で、再びそれを見つけ出すことは、ほとんど不可能です。
 ただ、戦わないことを選ぶことは、出来ませんでした。
「大王……グーイ……お兄ちゃん……!
許さない!もう、もう許さないから!!」
 カービィは、怒りで前が見えなくなっていました。裸の拳で、闇に突撃します。
「やああぁあ!!!」
 ヒュージの血色の眼が、愉しそうに愉しそうに嗤いました。
「愚か!愚かなり!!」
 バシンッ!
 触手のひとつがカービィを払い、その衝撃は凄まじく、ミシリと、身体の中で嫌な音がしました。
 叩き付けられ、喉から血が、唇まで伝います。
「ケホ…ッ」
 身体中が痛くて、でも、負けることは自分自身が許せません。
 その時、足の先で、何か硬く、輝く何かに触れました。
 虹の剣です。
「お兄ちゃんの……虹の剣!」
 それを握った瞬間、カービィの感覚は反転しました。
 闇の触手がカービィの足首を掴み上げ、ギリギリと締め付けます。
「あああ…!!」
 バキ、と、またも嫌な音がして、短く悲鳴を上げました。
「カカカ、良き声よ!
さあ、与えたもう苦しみを!!
痛め!叫べ!悲鳴を聞かせよ!!
そして我を憎むが良い!!怒り、そして悲しめ!!乱れよ!!狂え!!!
それこそダークマター、我の力そのもの也!!!
カカカカカカカカ!!!」
 ギシギシギシギシ。
 痛みは着実に、カービィの精神を鈍らせました。しかし、虹の剣から伝わる、励ますような光の脈動が、カービィに判断力を蘇られます。
「君も……お兄ちゃんを助けたいんだね。
ごめん。ぼく、怒ってて周りが見えてなかったんだ。
でも、ぼく、冷静になってみるよ。絶対、お兄ちゃんを助けるから。」
 虹の剣は淡く光り、カービィの身体の痛みが、少しずつ引いていく様でした。
「ありがとう……虹の剣。」
 カービィは、手首を軽く、流れるように、動かしました。
 プツッ
 触手が切れ、カービィの身体は落下し、けれど軽快に着地し、そのまま刃を翻し、襲い来る触手はことごとく千切れました。
 ヒュージは息を呑みます。
「グヌゥゥゥゥ…!虹の剣めが、紅の所有物であるにもかかわらず、私に刃を向けるのか!!
愚者共めェェェ、憎き、憎き者共めェェェェ…!!」
 怒り狂い獰猛になったヒュージ。神経の全ての攻撃本能は、カービィへと向けられる殺意となり、波のように触手が襲いかかります。しかし、カービィは冷静でした。驚くほど、冷静に、虹の剣を握っていました。それはキラキラと輝いています。
 キンッ
 剣の一振りは闇を薙ぎ、虹色の風は暗黒を切り裂きました。
 ヒュージは怒りと恨みと憎しみに狂い、闇がざわざわと殺気に沸き起こります。
 ……闇は、他でもない、怒り、恨み、憎しみ……それら哀しい感情の産物です。
 それを餌にし、それを支配し、それに支配されている。
「おのれ……おのれ、オのれ、おのレェェェェェェ!!!」
 刹那でした。
 カービィは巨大な波に呑み込まれ、それは、本当に一瞬でした。
 どす黒い感情に満たされたその闇は、毒以外の何者でもありません。
 悲鳴さえ、上げることができませんでした。
 張り裂けるほど冷たい槍に、全身を貫かれているようです。
 心のバリアが紙みたいにビリビリに引き裂かれ、闇が、闇の感情が、怒涛のように押し寄せ、吐き気と混乱と、割れるくらいの痛みと、闇に支配されそうな感覚で、ぐるぐるします。

 嫌だ、ぼくは悲しい。

 カービィは、あまりの孤独感に泣き出しそうになりました。
 けれど、何故でしょう。涙のひとつも出ません。
 本当に悲しくて悲しくて、恐ろしくて、あまりに痛くて、泣いて泣いて泣いてしまいたいのに、涙が出ないのです。
 心臓の内側を、すぅっと、冷たい風が吹き抜けました。
 虚無です。

 お兄ちゃんは、ずっとこんなところにいたの?

 そう思うと、もっと悲しくて、そして、その思いが、カービィの自我を救いました。
 助けたい。
 お兄ちゃんは、今も、この闇に捕まってる。
 会いたい。お兄ちゃん。本当にお兄ちゃんに、会いたい。










 カービィは、闇に落ちていました。
 しかし、それはヒュージの、汚れて我を失った闇ではありません。
 群青色がするする滑り落ち、カービィは、そこに辿り着きました。

 そこは、戦場でした。
 炎が真っ赤に燃え、煙はヒトの焦げた匂い。黒い煙は、そのまま闇に溶けていきます。

 大地を焦がす戦火の薫り。
 黒ずんだ誰かの指とか骨とかがあちこちに転がっている。
 動くものは揺らめく炎に消え。
 影にうずくまる、
 濃縮されゆく怨恨が、ぼくを確かにしていく。

 グーイ?
 ……これは、グーイの記憶なの?
 ここは……なんでこんなに悲しいの…?
 身体が冷たくなるみたいだ。



 あああああ…っ。
 あああああああああ…っ。



 誰かが泣いている。
 ぼくより小さな、紅い瞳の子……
 ……お兄、ちゃん?
 お兄ちゃんなの?





 僕は、この方の悲しみから発生しました。
 今も、まるで流れる血潮のように、あの悲しみが僕の中で循環しています。
 僕は呪われた闇です。でも、心を手に入れた。
 でも、まるで入れ替わりのように、あの方は心を亡くしてしまわれた。
 彼は声も枯れ果てて涙も尽きたとき、ヒュージに見初められたのです。
 そのまま、闇に取り込まれてしまった。





 カービィは、知りました。
 グーイのまとう闇の群青色の意味を。
 その深いブルーは、悲しみの色そのものだったんだ。
 グーイを生み出した程に悲しくて泣いていた、お兄ちゃんの、心そのものの。










 闇の中で、そのもうひとつの闇が、カービィの掌を握りました。
 深いブルーを纏った闇は、優しく言います。

「カービィさん、自身を強く保って下さい。
悲しみにも痛みにも惑わされないように。闇に溺れないように。
あなたの願いが、思いが、何よりも強い光です。」

 ……グーイ、ありがとう。本当に、ありがとう。

 ぼくの願いは、ひとつだけ。

 お兄ちゃんを助けたい。










 空気を急激に圧縮したような音が耳の中でして、カービィはそこにいました。
 カービィから、星色の光が溢れています。
 その閃光は、カービィにまとわりついていた闇を祓いました。
 カービィはもう、悲しくも孤独でもありませんでした。

 お兄ちゃん、いま、いくね。





 キンッ!





 金属が弾けたような音。虹の光は刃となり、ヒュージの金色の髪が乱れ倒れました。
 闇の怪物から、黒い血飛沫が飛び散り、ルビィは、くらりと、倒れます。
 カービィは、彼を闇の血潮から遠ざけるように、支えながら、一緒に倒れました。
 ヒュージの悲鳴は、苦痛に歪み、けれど狂ったような笑い声にも聞こえました。
「カ……カカカカカカカァァァ……ッ
私は負けた!カカカカカ!!金色の闇の滅びし時か!!カカカカカカカカカカカカカカ!!!」
 触手はビクビクとのたまい、あらゆる所から血を吹き、けれどその紅い血色の眼だけはギンと見開かれ、笑い声が響き渡ります。
「ヒ、ヒヒヒ!終焉ならば喜んで受け入れようぞ!!滅びは我等の存在理由の一つに過ぎぬ!!!
ヒハハハハ、しかし私のみでは逝かぬ!!カカカカカ!!!逝かぬぞォォォォォ!!!」
 カービィは、鋭い痛みとともに弾き飛ばされました。
 ルビィです。
 ルビィはカービィから奪った虹の剣を握り、その刃は心臓に向かっていました。
 その心臓は、ルビィ自身のものでした。
「お兄ちゃ……そんな…!」
 ルビィは、蒼白の表情で、そして、全くの無表情でした。
 カービィは初めて気づきました。それが、闇に全て奪われた表情だということを。
 痛みと悲しみに身も心も焼かれ、涙まで奪われてしまった表情だということを。
 金色の闇が、ルビィを後ろから抱きかかえました。
 ヒュージの身体の組織は光に崩され、身体の半分近くが溶け落ち、まるでゾンビのようです。
 彼は笑っていました。恍惚と、病的な表情でした。
「ルビィ……お前が欲しいと……永劫のように……願って来た……
しかし……それももう………………終わりだ……
……共に……同じ終焉を……歩もうぞ……ククク、最期まで、お前とは交われなんだ……
…光と闇…は……反発し続ける……ククククク………だが………全て……終わりにしてやる……」
 ルビィは、既に死んでいるように、何も言いません。カービィには、それが高を無くした悲しみに溺れているからだと、わかりました。
「ヒュージ・ダークマター……狂ってます。
光の者に闇の者が憑けば……あまりの輝きに耐え切れずに蒸発してしまうのに。」
 グーイは苦痛に、ヒュージに貫かれた胸を押さえながら呟きます。
 その通りのようでした。ヒュージは、だんだんと崩れ落ち、血溜りが大きくなってゆきます。
 でも、ルビィをこうして支配している今、彼に失うものなど何もありませんでした。
 このままルビィを自身と共に貫いてしまえば、全てが終わりました。



「……やだよ………そんなのいやだよ………お兄ちゃん………」



 カービィは、ぽろぽろぽろぽろと、まるで止める術を忘れてしまったように、涙をこぼしていました。
 頬が紅く、身体を震わせて。
 カービィにもう、少しの力も残っていませんでした。ヒュージを引き裂いた時、全ての力も精神力も、尽きてしまったのです。
 もう、動くことすらままならないほど疲れ果て、ギシギシと身体に響く痛みに耐えていました。けれど、熱い感情だけ、溢れるように湧き起こっていました。
「お兄ちゃん……一緒に、一緒に帰ろうって言ったじゃない……?
ぼくら、やっと会えたんだよ…?
双子だったのに、今まで名前だって知らなかったのに、やっと、会えたんだよ?
なのに……ひどいよ、お兄ちゃん。
…ひとりで……闇の中に迷い込んだり、しないで…」
 カービィの涙は、暗闇の中で、きらり、きらりと、輝いていました。
「ポップスターに帰ったら……一緒の家で暮らそうね……
ぼくまだちびだし、お兄ちゃんよりずっとばかかもしれないけど……星のこと、いっぱい教えてあげるね……」
 きらり。きらり。
「おいしいものも、たくさん食べようね。
お昼寝とか、たくさんしようね。
…ぼ……ぼくの友達も……たくさん……紹介するね…」
 きらり。きらり。
「お魚釣りとか……一緒にしようね……
大王の城にも……遊びに行こうね……
森にも行こう…?
きれいな……お花畑もあるんだよ……湖だって……
……お兄ちゃん、聞こえる…?」
 きらり。きらり。
 涙があんまりこぼれて、カービィのまわりは、白く光り輝いていました。
 光が、ルビィを照らします。

 話したいこと、たくさんある。
 知りたいこと、たくさんある。
 でも、もう、おしまいなの?
 やだよ。
 絶対、いや。

「お兄ちゃん……お兄ちゃん!
ねぇ、ひとりはやだよ!!
未来はまだ、たくさんあるから!
ひとりにしないで!!」



 ルビィは、涙をこぼしていました。
 100年前、闇を生み出すほどの悲しみに暮れてから、はじめての、涙でした。
 紅の瞳はルビーのように揺らめき輝き、カービィははじめて、その瞳が深く深い、儚いくらい美しい紅だということを知りました。
 ルビィの涙が、虹の剣にこぼれます。虹の剣は、キラキラと輝きました。
 今、虹の剣はやっと、星の戦士ルビィの剱となったのです。



「……ルビィ……何故、泣くのだ………
…紅の君よ……………何故……………」
 ルビィは、ふっと笑います。カービィがはじめて見たその笑顔は、切なく儚く、ルビィのその笑顔だと感じました。
「何故かな…?
私は……やっとお前の、そして私の闇から抜け出せたよ。
ヒュージ。
もう私はお前の物ではない。
私の道は、私が決める。」
 ルビィはスッと眼を閉じ、ハッキリと言ったのです。



「さらばだ、ヒュージ・ダークマター。」



 虹の剣が、ルビィの胸を刺しました。
 白と虹色の閃光が、刃から溢れました。
 悲鳴が甲高く響きます。
 その声の主は、ルビィではありません。

 ヒュージ・ダークマターの最期でした。