短編 傍



「くらむぼんは、死んだよ。」
 僕がそう言うと、ミラは、ひょいと僕の方を振り返った。ミラは赤い毛糸で、犬のぬいぐるみを編んでいる。ミラの、無骨で筋張った大きな指が、毛糸の代わりに、僕の髪を撫でた。
「殺されたよ。」
 ミラの眼を見ないで、そう言っていると、ミラに抱きかかえられた。僕はそんなに軽いのか、振り向くくらいの単純さで、持ち上げられて、膝の上に乗せられる。ミラの膝の上で、僕の羽根は少しちぢこまった。
「その本は、「やまなし」じゃな?」
 僕は、こくりとうなずく。
 ミラは、色んな星から絵本や遊び道具や、様々な物を持ってきては、僕やみんなに渡してくれる。みんな、喜んだり、笑ったり、時には呆れたりして、それらのお土産を受け取って、ありがとうと言う。僕が上を見上げて、ミラの眼を見ると、その緋色の眼で、ミラはやっぱり笑っていた。指を伸ばすと、ミラの顎に触れて、その顎はとても骨張っていて、するりと、綺麗な骨の標本みたいな肌触りで、僕の指先を滑らせた。
「僕、この絵本、好き。」
 冷えた湖の底の、鎮座した白い流木みたいに、淡々と美しい物語。
 この物語の中の、ただ在るだけの美しさと、ただ、在るだけの、殺戮が好き。
 僕がそう言うと、ミラは僕の額を、その大きな掌で撫でた。
「ワシもじゃ。」
 ミラは、そんなことを言う。
 僕と同じ皮質の、全然違う中身の、ミラの肌。僕の、人形みたいにぎこちない筋肉と違う、大地みたいにどっしりと、内側で活動し続ける雄大な筋肉の動き。あたたかい、掌。

 僕はお父様の欠片で、僕はお父様ともう一度会いたい。でも、お父様は、ミラにはなれない。お父様に会いたいけど、ミラのようなヒトは、きっと、この世界どこにもいない。
 僕を産んで、どこかに消えてしまった、僕の知らないお父様。
 ……お父様のことをぼんやり考えていると、ミラの腕が、僕をしっかりと、全身で、抱きしめてくれていることに気がついた。
 僕は、生まれたときにたったひとりで、誰も、僕の産声を聞いてくれはしないことが悲しくて、涙を流した。それが結晶となって、ミラとなった。
 ミラはずっと、僕の傍にいてくれて、僕はミラの傍から、離れたくない。その時が、来ても。
 でも、物語は淡々としているから、僕はその物語を求めているから、その時は、いつか来る。
「……ねぇ……」
 僕の声はとても小さくて弱っちかったのに、ミラは聞き逃したりしなかった。ミラは、僕の頭上に鼻先を当てるように、僕の髪に顔をうずめるようにして、僕の声を聞いている。
「僕が消えてしまったり、僕が僕じゃなくなってしまっても、ミラはずっと傍にいてくれる?」
 ミラの表情が、一瞬だけ止まった。ミラも、きっとわかってる。ミラは、僕の心から生まれたから。ミラはミラだけど、僕と、繋がっているから。だから、僕の言葉の、深いところを、ミラは、わかってしまった。優しいミラ。……大好きな、ミラ。
「……ずっとじゃ。」
 ミラの声は、大きくて、強くて、ミラの分身みたいだね。
「ずっとワシは、ゼロア様の傍におる。
ゼロア様のいる場所こそが、このミラクルマターのいる場所じゃ。」
 …………なら、僕の場所は、ずっとミラの傍だよ。
 距離や、場所や、僕が生きていること、ミラが生きていること、関係ないくらい、ミラの、傍だよ。
 そう、心の中で呟いた。心の中で呟いたのに、ミラは、僕をもっと強く抱きしめてくれる。
 ……あたたかい。
「ずっと、傍じゃ。」
 ミラの腕。太くて丈夫な腕。ここにある、ここにしかない、僕とミラの場所。
 ミラは、強くて、優しいね。
 そんな事を思っていたら、いつの間にか、眠ってしまった。

 ……そんな、お話。