短編 スカイ・ブルー・シー・ブルー



 海の水は、高く昇った太陽に照らされて、ぬるくなっていた。
 細かくて柔らかい、それにどこまでも透明な粒子のベッド。だけど照りつける太陽はまぶたを白熱させ、眠らせてはくれない。カービィは、固く閉じようとしていた目を開けて、空を睨む。真っ青な空だ。
 アクロの、硬くて筋肉質な肌にもたれ掛かりながら、カービィは呆然としていた。星の戦士は、元来とんでもない治癒能力を持っていたが、それでもまだ完全に、さっきの傷は塞がってはいなかった。右肩の噛み傷は特にまだ新しく、ちゃぽちゃぽと傷を洗おうとする波に、痛みで抵抗しようとしているようだった。塩水は、残念ながら生傷にはよろしいと思えない。しかし、カービィにとって、この傷の痛みと身体の疲れは、彼の心に広がった茫漠を埋めてくれる全てだったので、痛みが心に満ちるに任せていた。時々、そう思う。母なる空は敵、痛みは味方。それは悲しい思想だったが、カービィはその指摘に、一度苦笑するだけだろう。
 アクロは、カービィの何倍も、傷ついていた。
 そのほとんどが、カービィがつけた傷だ。もしくは、彼自身が暴れた時についた傷。
 その深い傷跡から、血が流れては海に溶ける。
 彼は海に還ってゆく。
 ―――ちゃぽん。ちゃぽん。ちゃぽん。
 波が波を討つ音がする。
 ―――ちゃぽん。ちゃぽん。ちゃぽん。
 波と波が、傷を舐め合う音がする。
 ―――ちゃぽん…
「……う…ッ」
「!」
 カービィは、その身に寄り添っていた波を振り払い、顔を上げた。アクロは苦しそうに呻き、ゲホゲホと血の塊を吐き出した。カービィはそれを手伝いながら、吐き出された中に混じっている、闇の色としか思えない、その塊を見つけ出した。
 そのちっぽけな闇が血の色の眼を開く前に、カービィの虹の剣は、その闇を切り裂いていた。
 アクロに巣くっていた、ダークマターの生き残りだ。さっきの戦いで、みんな滅ぼされたと思っていた。奴は、アクロの消えかけた意識を操り、彼の最期を憎しみでいっぱいにして力を蓄え、死の瞬間に、アクロを捨てて闇の世界に飛び立つつもりだったのだろう。何と計算された、無駄のない“遺伝子の計画”だろうか。カービィはたまらない吐き気を覚えた。しかしその深い憎しみの念も、アクロの声に追いやられる。アクロはまだ空咳をしながら、懸命に目を開けようとしていた。
「アクロ…ッ!!」
 ずっと、意識を海底に置き去りにしていた彼に、白く燃える陽の光は眩しすぎるらしい。カービィは自分の頭と掌で影を作ってやった。ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら、アクロは目を開ける。鮮やかな、アクアブルーの目。カービィは、彼の目を初めて見たときから、ずっとこう思っていた。光を宿した、綺麗な海の浅瀬そのものみたいだと。そして、その額には、白い、アスタリスク型の傷跡がある。生まれた時から付いていたんだ、と、遠い昔、彼は語っていた。昔と変わらない。全然変わらないのに、今、死の淵にアクロはいる。
「…カ、ぁ……ビ……ィ…?」
 アクロの声は掠れている。カービィの心臓が、痛いほど締め付けられた。カービィは否定できない何かを否定するかのように、アクロに向かって首を振る。
「アクロ、もう喋っちゃダメだ…!」
「……カー、ビ……ィ…?」
「アクロ!!」
 もう堪えられそうもなかった。カービィの涙が何滴も何滴も、アクロの浅黒い肌に落ちる。
 アクロはもう、死んでしまう。
 だって、カービィはアクロを殺すために戦ったのだから。
 ダークマターに操られて、この星の海に住む何人もの住民を殺した“海の怪物”を成敗するという、一つの物語の中の、彼らは主役だった。
 物語を終わらせるために、アクロは死ぬべくして、死ぬ。悪役らしく。
 くそくらえだ、と、カービィは思った。
 星の戦士として生き長らえている僕は、どうだ!?
 アクロの何倍も何倍も、誰かを殺してきたじゃないか!!
 僕を成敗する物語はどこだ?
 何故、僕ばかりを舞台に上げる?
 僕に何を望む?
 僕は何をすればいい!?
 殺すばかりか!?
 ……なぁ、どうしてなんだ?
 どうしてアクロが死んで、
 こんな僕が生きている?
 こんなのは、正義じゃない。
 正義なんかじゃない。
 正義なんかじゃ…
 ……カービィは、空っぽだった心の中に、絶望と悲しみをぶちまけていた。それは止めどない涙となって、海にこぼれた。アクロはうっすらと笑いながら、カービィの髪を撫でる。まるでカービィが、悪夢に怯える幼い弟だとでもいうように。
「おい……泣くなよ、バカだなぁ…。
これ以上アクアリスの海を広げるつもりか…?
お前に話して聞かせただろう……海は、涙だけが広げるんだって……」
 海の味と涙の味が、カービィの口の中で混ざる。
 懐かしい話だ。
 もうずいぶんと昔の話。
 アクロがカービィと、数年間だけ一緒に旅をしていた頃の話。
 カービィは必死で笑った。何度もしゃくり上げるせいで、うまく笑えない。アクロは、ぐしゃぐしゃになったカービィの顔に、ぴしゃっと波をかぶせた。驚いて目をつぶる。
「まぬけ。……とりあえず、鼻水ふけ。お前はだらしない小学生か?」
 カービィの顔が真っ赤になった。バシャバシャと海水で顔を洗い、アクロの方に水を投げてやる。今度は笑えた。目の中がまだ熱かったけれど。
「……なんだよ。アクロの方こそ、口悪いの全然変わってないじゃん。
口が悪い奴はねぇ、口臭ひどくなるんだよ。知ってた?」
 アクロは声を出して笑う。
 カービィも、一緒に笑う。
 カービィの肩は、時々震えていた。
 涙は、笑ったせいだということにする。
 アクロは、もう一度、カービィの髪を撫でた。
 ずっしりとした、男らしい手だ。アクロと比べるとずいぶん小さなカービィの手が、それに寄り添う。
 アクロはぼんやりとした目で、カービィのオッドアイを見つめた。空の色と火の色の目。今は涙で潤んでいる。
「…………なぁ……俺…………何、やってた……?」
「…………。」
 カービィは、その質問に答えたくなかった。カービィがアクロの噂を聞きつけてこの星に降り立った時、既に犠牲者は数え切れないくらいになっていた。みんな、海の底に引きずり込まれて、アクロに喰われてしまっていた。
 アクロは、闇に操られていた。けれど、その闇を引き寄せていたのが何だったのか、カービィは知らない。
 ダークマターだって、でたらめに取り憑くべき人間を選ぶわけではない。その心に強い憎しみやそれら、負の感情を抱く人物を選んで取り憑く。アクロには、多くの闇が巣くっていた。多くの、そして強い闇が。
 アクロの心は、身体は、完全に闇に呑み込まれていた。その闇を祓うと云うことは、アクロを討つということだ。
 カービィは、それをやった。
「……なぁ……カービィ…?」
「…………。」
「……なぁ…?」
「……………………。」
 カービィはついに、ぽつりぽつりと、語りはじめた。
 アクロが闇に取り憑かれていたこと。アクロがやっていたこと。そして、カービィがやったこと。それらについて、カービィが知っている全てを話した。
 アクロはゆっくりと、カービィの髪をといている。
 そして、そのアクアブルーの目を閉じた。その動作はまるで、歳をとった老人のようだった。カービィは後悔していた。アクロは深い悲しみのなかにいる。取り戻せない空白と、それにまつわる罪についての悲しみ。アクロはもう、罰は受けた。これ以上悲しむ必要はないのに。
「……ごめんな……。」
 その一言だけで充分だ、と、カービィは叫びたかった。
 アクロは確かにたくさん殺した。けれどアクロも、死という槍を受けたのだ。これ以上はいらない。必要ない。この星中の全ての人達が、アクロに更なる罰を求めても、カービィは、アクロに指一本触れさせないだろう。
 空の上の陽が、さっきより少し傾いたように見える。
「……ねぇ、アクロ……どうして…?」
 どうして、あんなに強い闇を呼び寄せることになってしまったの?
 カービィは、そう聞こうとした。けれど声が乾き、言葉が続かない。しかしアクロは、カービィの言わんとしていたことがわかっていた。桜色の毛先を触っていた指先が、ふいにまた、耳の上に戻る。アクロの声も、乾いていた。
「……お前との旅が終わって……俺は、この星の故郷の海に戻った……。
それから、2年後だった……西の海の奴らに、妹を……リアを殺されたんだ……。」
 カービィの表情が強張る。
 アクロは続けた。
「お前も知ってるだろ…? あのやんちゃな小娘……明るくて、元気いっぱいで……俺の自慢の……妹だった……。
……死に方については、言わせないでくれ…………思い出したくもねぇ……。」
 2年。
 僕がアクロと別れてたった2年後に、
 あの子が死んだ。
 それがアクロを変えてしまった。
 ……男手一つでずっと妹を守ってきた、最高の“お兄ちゃん”が、
 この海で最も恐れられる“怪物”に変わってしまった。
 アクロは苦笑する。
「リアの小さな冷たい身体を抱きしめたまま、俺は2日も浜辺で立ってた……
俺の足やリアの指先を、魚がつっついてんのが見えて……俺は、ああ今リアをリアと認められるのは俺だけなんだなって、思った……。海も魚も、リアを殺した奴らも、周りの奴らもきっと、リアをもう、ただの死体としか見ねぇんだろうなって……。
だからな……ああ、もう、いいやって。
みんな死んじまえばいいって、そう思った。
……リアは、あの子が一番好きだった月の海に沈めたよ…………ほら、アクアリスの月が顔を出す、あの場所だ……水葬は、俺達の敬意だから……
……そのすぐ後、西の海へ行った。……だがその後の事は……よく思い出せねぇんだ…………なぁ、俺は……女や子供も……殺したか…?」
 カービィは、今にも泣きそうな表情をしていた。彼の脳裏に映っていたのは、再会したアクロの手に握られていた、どう見ても子供のものとしか思えない、小さな手首。カービィは震えながら頷く。
 カービィの髪を撫でていたアクロの手に力が込められ、ぐいと、カービィの頭を自分の胸の方へ引き寄せる。
 アクロの肌は、陽と海と血の匂いがした。
「……とんでもねぇ馬鹿野郎だ……俺……
リアに……泣かれちまうかなぁ…?」
 カービィは首を横に振った。
 何度も何度も、壊れた人形のように首を振った。
 懸命に、笑う。
「バカアクロ。
あんたはお兄ちゃんなんだから、妹を泣かせれるわけないでしょ?
こんなデカい図体してるくせに、気弱になってんじゃないよ。バカ。カバ。」
 そうだよ。アクロ。
 僕たちはこうやって旅をしてきた。
 こうやって生きてきた。
 そんな時代もあったんだって、
 君の罪が全てではないんだって、
 ねぇ
 思い出して。
「…………カー、ビ…ィ…………。」
 アクロの腕から、力が抜けていく。
 カービィは、急いでその腕を握りしめた。こうすればアクロの死が去っていくとでも信じているかのように。けれどそんなの、ただの夢だ。カービィは知っている。アクロは死ぬ。
「……なぁ、最後に……お前の本当の名前、教えてくれ……。」
「え?」
 カービィは思わず、間の抜けた声を出していた。アクロは弱々しくにっと笑い、「“カービィ”ってのが偽名だってのは、ずっと知ってた」と呟いた。カービィは「まいったなぁ」、と苦笑する。
「……僕の本名は、カストロ。
でも、カービィも偽名とかじゃないんだよ? こっちも、ちゃんとした僕の名前なんだ。
ややこしいけれど、でも、どっちも本物の僕なんだ……ずっと隠してて、ごめん。」
 いいんだ、と、アクロは言う。いいんだ、お前がそうやって教えてくれただけで上等だ、と。
 アクロの青い目に、白い陽が映る。ここは空と海の分岐点。同じ場所から生まれた青が、空気と水にそれぞれ溶ける。
「俺……親父やお袋や……リアの所へ、行けるかなぁ…?
行けてもきっと……勘当されるだけかもしんねぇけど……でも……もう一度会えたら、いい、なぁ…。」
 波はずっと穏やかに、優しく優しく、小さすぎる二人を包んでいた。
 今度はカービィが、アクロの髪を撫でる。アクロは、カービィと別れたあの時と比べ、もうずいぶんと歳を取っているように見えた。変わってしまったアクロ。変わらないアクロ。罪を背負ったアクロ。仲間だったアクロ。そして、今もこうして、髪を撫でさせてくれているアクロ。……僕が最期を看取るのを許してくれている、アクロ。
「バカだね……会えるに決まってるじゃん?
みんなあんたを待っててくれてるよ……しばらく見ない間にずいぶん立派になったって、褒めてくれるに決まってる。」
 もし運命が少し違っていたらと、そういうことを何度も考える。
 もし、僕がアクロと出会っていなかったら。もし、アクロと僕が別れるのがもう少し遅かったら、もしくは早かったら。もし……リアの死を、僕が遠ざけることができていたのなら。けれど現実は絶対で、「もし」なんて何にもならない。
 涙は涸れない。特にこんなに綺麗な海の真ん中では。
「……もっと沖まで泳ごうか? どこまでも行こう。ずんずん行こう。最高に綺麗な波間を見つけてやるから。」
 アクロの腕を肩に回し、アクロの何倍も下手な泳ぎ方で波を掻き分ける。
「…………ありがと……な………………カービィ……。」
「……それよりもダイエットしてよね。重いよ。」
 アクロは、笑う。
 カービィも、笑う。
 海も空もこんなに広い。そしてこれからも広がっていく。何人もの魂と、何粒もの涙で。果てしなく広がっていく。
 カービィは、止まらない涙で海を泳いだ。涙がにじんで、海と空を混ぜる。なんて綺麗な青。

 ……海はいい、なぁ……。
 アクロは呟く。

 空では雲が、海では波が、白い光をきらきらと反射させていた。
 きらきらときらきらと、平和そうに。楽しそうに。


























 ―――……年後、アクアリス上空……。
「わぁ〜〜!! ねぇ見て見てフゥちゃん!! この星、海と空で真っ青だよぉ!!」
「ゴ……。」
「なんじゃアー、おどれアクアリスは初めてか?」
「うんっ! ……わぁぁぁー……綺麗な星だねぇ……。それに、ボクちゃんと名前が似てる。おもしろくない? ね?」
「ほれほれわかったわかった、あんま窓ばっかにへばりつかんと……そうじゃなぁ、まだ時間もあるし……ちぃと降りるか?」
「いいの!? わーいフゥちゃんハッチ開けて!! 青い海にレッツゴー!!」
「ゴ……。」
「ちょ、アクエリアス、少しは待ちぃや!! バーストフレアも止めんか!!
……ったく、せっかちじゃのぉ〜。」

 ミラクルマター一軍を乗せた変幻自在の宇宙船“タワーズ”は、惑星アクアリスの空と海の間を横切っていた。今この船は、他の人物からは「透明」に見えるような特殊な魔術がかけられており、万一この星の誰かに目撃されても、一瞬おかしな光の反射があったくらいの認識しかされないだろう。もしこの船が略奪目的で来ていたとしても(そして、その目的で飛来することもままあったのだが)、大抵の場合、彼らが派手に暴れ回るまでは気づかれないというわけだ。
 この星の真なる青さは、この軍で最年少であろう少女アクエリアスを興奮させるには充分すぎるほどだった。元々、たこ焼きがいい具合で焼けただけでもはしゃぐ子なのだ。ミラクルマターは、彼女が元気に走り回っているのを見ることが好きだった。「訳あり」でこの軍にいる数人に、彼女の元気がいくらかの刺激になっていることを知っていたのだ。それでなくても、元気は美徳だと思っているミラクルマターにとって、アクエリアスの底無しの明るさは、実に小気味好いものだった。
 今は、侵入防止と勝手行動防止のために開かずの魔法がかけられたハッチについて、アクエリアスが抗議を止めなかったせいで、シミラが不機嫌に部屋から出てきた所だ。シミラはほとんど基地内引きこもりと化していたため、よほどうるさく言うか、ミラクルマターやゼロアが命令しない限り出て来さえしなかったが、今回はアクエリアスの大騒ぎの完勝だった。この船に関わる、ほとんどの魔法にシミラが関わっていたので、逆に言えばその解除についても、ほとんどシミラが関わらなくてはならなかった。口の中でぶつぶつ文句を言いながら、ハッチの呪文を書き換える。
「のう、シミラ……。」
 ミラクルマターは、シミラの手伝いをするフリをして、彼に耳打ちをする。シミラはこれを予測していたのか、本来なら一瞬で済む作業を至極ゆっくり進めながら、ミラクルマターに耳を傾けた。
「……“マルク”の行方はわかったか…?」
 シミラは首を振る。それは否定の意思表示だった。
「駄目ラな……ナイトメア社の情報頭脳にアクセスし続けてるラが、プロテクトが強すぎて、破る前にこっちの足取りが探知されるのがおちラ……
実際、前はちょっと無理をしてラ……ウィズの方にウィルスが流れ込みかけラ。今ネットワークに接続すれば確実に足が割れる。しばらくは動けラい……。」
「そうか……まぁ、しゃあないの……。」
 立ち去りかけたミラクルマターに、シミラは脇目でそっと呟いた。
「ミラ様……あんたは、マルクを本気で見つけるつもりがラいラ?
ラが、これはゼロア様の命令ラろう? 何故こうも先延ばしにする? そもそも、何故ゼロア様はマルクなんていう小僧を見つけ……」
「シーミーラーさーまーッ!!」
 アクエリアスだ。耳元でやられたらこれはたまらない。
「わーかってるラ!! 少しは静かにしろ!!
……これでハッチは開くラ、だけど6時過ぎたら自動的に閉まるからラ! 締め出し食ラいラくラかったラ、さっさと戻……」
「フーゥちゃーん!! パルちゃーん!! ゼロア様ーーー!!
みんなで泳ごぉぉ〜〜〜!!!」
「……こりゃたまらんのぉ、なぁシミラ?」
「…………。」
 シミラは、もう部屋に戻って静かにしていたい気持ちでいっぱいだった。アクエリアスはそんなことお構いなしで、二人に満面の笑み投げかける。
「ね、シミラ様とミラ様も泳がない?」
「……私は、ウィズと一緒に夕飯の支度でもしてるラ……。」
「ワシも、今日はパスじゃ。なに、アクアリスにはまだ数日滞在するつもりじゃて……急がんでもええ。」
「んー。でもボクちゃん、どうせせっかちだから。ね?」
 にっこり笑いながら、バーストフレアに手伝ってもらい、重たいハッチを引き開ける。今、もしこの位置の空を見ている誰かがいるとすれば、空の上に突然扉が開いたと錯覚するだろう。そしてそこに、一人の女の子が立っていると。
 上空特有の強い風が、アクエリアスの髪を掻き上げる。その額には、白い、アスタリスク型の傷跡があった。ふと後ろを振り向き、上司と恋人に、もう一度にっこりと笑いかける。
「先に行ってるよ!」
 そう叫びながら、すうっと、潮の香りがする風を吸い込んだ。
 海に向かって、ぐらりと、身体が傾く。
 アクエリアスのアクアブルーの瞳いっぱいに映る、海と空の、どこまでも綺麗な青。

 ……海はいい、ねぇ……。
 アクエリアスは呟く。

 空では雲が、海では波が、白い光をきらきらと反射させていた。
 きらきらときらきらと、平和そうに。楽しそうに。