短編 笑顔



 ……冗談じゃないよね、ホント。
 カービィの口元には苦い笑みが浮かんでいただろう。真摯で、けれど呆れた雰囲気の。
 紅と空の瞳は決して笑っていない。
 ……冗談じゃないよ。
 自転車をこぐ足の動きを緩めることもなく、暮れる陽の隣を走りぬける。
 夕焼けした空もいい加減、夜に呑まれた暗がりに変わってきている。
 と、同時に、姿を現す闇達。
 夕暮れに溶け込む黒い球体、その血の色の眼ばかりが、闇にぽつぽつと浮かんでいる。
 カービィは彼らを睨む。それは殺意を孕んでいる。
 口元の笑みは、不条理に納得できなくて、苦い思いをした子供のそれと同じ。
「ソード。」
 そう一言呟くと、左手の甲と掌に、星の紋章が金に輝く。掌を貫通する、意思を持った光。
 光の触手が腕を舐め、いっそう大きな閃光が放たれる。それは夜空色のガントレッドと、そこから伸びる銀の刃に変わった。
「…………。」
 右手でバランスをとり、自転車を加速させる。
 左腕から伸びる、曇一つない銀の流れ。
 それは真っ直ぐとダークマター達に向いている。

 ザシュッ。










 大王は、その日たまたま外をぶらぶらしてて、そろそろ暗くなったから城に帰ろうと思っていた。それだけだったのだ。
 ……当然、こんな激戦の現場に遭遇するなんて思いもよらず。
「な…ッ!?」
 平和なこの星に、あってはならない殺戮の風景。
 わけのわからない一つ目の群生、それを貫く銀の刃。カービィだった。けど、その瞳は鋭利で、殺意さえある。
 乗りこなしている自転車は、忠実な馬のように正確に、カービィの攻撃に従う。それと共に、その怪物達は黒い霧を撒き散らしながら散っていく。
 カービィは、頭から服から、コールタールみたいな漆黒のドロドロした粘液に塗れていて、それらは倒した怪物の血、そのものだった。
 即座に、それらは自分の理解範囲を遙かに超越していることを悟る。
「カービィ…!!?」
 ザッ。カービィはハッとしたように振り返り、彼を強く睨んだ。
「デデデ、来ちゃだめだ!!」
 それはあまりにも必死の叫びに聞こえた。その声に威圧されて、逃げ腰になる。しかし、逃げられない。それは、その怪物の一体が闇のように溶け、真っ黒の塊となってこちらに向かってくるからだった。
 カービィが、自転車から飛び降りた。ガラッと、自転車は大きく音を立てながら草むらに転げ落ちる。
 向かってくるそれは、黒いもやのような塊の中央に、カッと見開いた血の色の眼がある。動けない。心臓が凍り付いた。
 そして、強く眼をつむった。

 ザシュッ。

 至近距離から聞こえる、断絶音。
 驚き、そして不審に思い眼を開けると、頬にべちゃっと、気持ちの悪い感触がした。
 どさっと、しりもちをつく。
 足下に転がる、黒い眼球。と、それを貫く、カービィの腕。
「―――ッ!!」
 叫び声すら出なかった。
 眼球は、ブルブルと歪むように揺らめいて、そして、破裂した。パァンと。黒い粘液が飛び散る。しかし、それらはすぐに消えた。と、同時に、カービィの腕がゆるゆると輝き、鉄の鎧ではなく、生身の腕が現れる。
 何も言えず、何も出来ずにいると、カービィはふらっと立ち上がり、うーんと背伸びした。いつの間にか、身体中にまとわりついていた粘液が消えている。よく見ると、自分に付いたヤツもだ。
「……やんなっちゃうよね、ホントーに。」
 そう呟いた横顔は、紛れもなくカービィだった。
 それに安心してか、急に強ばっていた身体の力が抜け、押し殺していた質問や文句や感情を吐き出してやろうと思った。
 しかし。
「……お…?」
 ふらっ。
 何故だか、頭痛がする。平衡感覚が無くなるぐらい、気持ちが悪い。
「! 大王!」
 カービィが慌てた様子で駆けつけて、デデデの額を押さえ、顔を覗き込んだ。
 こんな動作でさえ、なぜか苛ついてしまう。
「…ゥゼぇ……離れろ……。」
 気持ちが悪い。自分の意志というものが、はっきりしない。
「うっかりしてた……ごめん、デデデ……。
ダークマターの体液、浴びちゃったんだね……。」
 何を言っているのか、よくわからない。
 そして、カービィは突然、強く唇を重ねた。
 拒否権を与えない、否応のない、けれど決してひとを傷つけない一瞬で。
 そのままの体勢で、ぼんやりしてしまった。カービィは、にこやかに笑った後、口の中のものをぺっと吐き出した。それは少しだけ黒ずんでいたように思う。
「…………。」
 意識がぼんやりする。
「あの……デデデ?
おーい、大丈夫?」
 何が大丈夫で、何が大丈夫じゃないんだか。
 稚拙な問いを繰り返していたが、急に意識がクリアーになる。そして、次の瞬間には真っ赤になってカービィを殴っていた。
「いったーいっ!」
「なんなななななななにしてくれんだよテメーーはーーー!!?」
 もっともである。
「そんなに怒らなくたっていーじゃーんっ。」
「怒らいでかーー!!?」
「だって、気持ち悪いの治ったっしょ?
応急処置だよ応急処置。マウス・トゥ・マウス。吸引療法。某ゲームシステム的には口移しの逆。」
 …………。
 そういえば、そうだ。全く気持ち悪くない。
 確認すると共に、あの怪物の集団を思い出した。ゾッとするような雰囲気の、闇、という形容詞があってるような。
「カービィ、あいつらは一体…?」
 少しの沈黙。辺りはもう真っ暗になっていて、草むらで虫が鳴いている。
「……ダークマター。」
 いつも通りの軽い口調だったが、その声は真剣だった。
 腕を頭の後ろで組み、歩きながら話す。その右隣についていった。
「僕はね、星の戦士っていう……種族っていうのかな?
とりあえず、僕も覚えてないくらい、ずっと生きてる。何て言えばいーかなぁ……
……とにかく、僕自身の、運命のために。」
 おそらく相手がデデデでなければ、こんなこと話さなかったであろう。カービィは覚悟を決めていた。
 口元には微笑を浮かべていたが、カービィの心は決して穏やかではない。デデデの表情が強ばった。
「ダークマターっていうのは、星の戦士の対極というか、狩るべき対象というか……“宇宙の闇”っていう存在なんだ。
で、僕は生まれたときからそいつらと……終わらない戦いを続けている。
そういうのが……戦いが、必要だからね。戦わないと……殺さないと、宇宙を動かせないから。」
 リーン。リーン。虫の声は平和に響く。
「ダークマターは無限なんだ。
争いがあるところ、ひとが死ぬところ、ひとに闇があるところ……強く暗い感情が、彼等を生み出すから。
分が悪いよねぇ。こっちは僕ひとりなのに。」
 ザァ。強く冷たい風が吹いた。
「しかもね、あいつ等しつこいんだ。
倒しても、ああやって粘液……ていうか、闇を飛ばすの。ダークマターは、みんな闇で出来てるから。……まぁ、僕も普通の生身じゃーにゃいけどね。
普通のひとがそれを浴びたら、心に闇が憑く。それを祓うことは難しい。
デデデの時は、よかったよ。すぐに治せて。
……ごめん。巻き込むつもりはなかったのに……。」
 しゅんと、本気で落ち込んだ声だったので、むしろ驚いた。今日のカービィは、なんか変だ。
 別に、お前は悪くない。そう言うと、カービィは少し安心したようだった。
「あのさ……さっきのソードとか、はじめてデデデと闘った時にやってた、ハンマーとかあるじゃん。」
 大王は、急に話をふられて返答に困った。それに、さっきまでの会話と関係の無いように思えた。
 今までの技が「ソード」だとか「ハンマー」だということはあまり気にしてなかったが、とりあえずコクリと頷く。素直に。
「あれがね、コピー能力っていう……僕の、というか星の戦士の得意技なんだ。
他にもワープスターっていう星を呼び出したりとか……まぁいいや。そのうち話すだろうし。」
 中途半端だと、激しく思った。しかし、問い詰めるのも逆に話をややこしくするだけと思い、聞き役に徹した。それは、カービィがいつになくこわばった、強がった気配をしていたからかもしれない。
「その力で、僕はダークマター達と闘っている……。
いろんな星に飛んで、宇宙を旅して。どこでもやることは同じ。彼等を殺すだけ。」
 見つめたカービィの表情は、寂しげな笑みだった。
「いつまで続くんだろうな……って、不安になったり、怯えたりもしてた。
でもわかったんだ。宿命だから。仕方ないから。僕には諦めることしか出来ないって。」
 胸が締め付けられる思いがした。
 カービィは、ふふっと笑う。
「全てのものは、流転するだけだから。
僕も、ダークマターも……幸せも、不幸も。生きるのも、死ぬのも。
はじまったのなら、終わるのもいつかやってくる。
それまで。それまでのコトなんだ。みんな。」
 見つめたカービィの横顔は……消え入ってしまいそうなぐらい、儚かった。
「………カービィ…。」
 呟いたその声が悲痛だったからか、カービィはデデデに強く笑いかけた。痛々しかった。
 そして、腕を大きく空に広げて、夜空の星々を掴もうとする。するり。光は指先を滑るだけで、残らない。決して。
「立ったら強く進まなくちゃ。」
 それが、カービィの結論だった。
 カービィは強いな。
 いつの間にか、そう呟いていて、カービィは苦笑した。
「……それが運命だもん。」
 嘘か本当かもわからないような、物語みたいな話なのに、大王は切に、それが真実だと感じていた。
 カービィの、オッドアイの瞳。
 それが嘘を語っていなかったからだ。
 だからこそ、胸が痛んだ。
 一人じゃないと、伝えたかった。

 見ると、カービィはいつもの明るい表情に戻っている。さっきまでの出来事が、無かったかのような爽やかさで。
 ……本当に、さっきまでの出来事が無かったみたいな表情だった。デデデは、言葉を飲み込んだ。カービィに、さっきまでの眼差しに戻ってほしくなかったから。
「あ。そうだ……。」
「なんだ?」
「自転車、どっかに忘れてきちゃった…。」
「……バカだな。」
「ねぇ大王、新しいの買って♪」
「バカ。」
 丘の向うに、平和なプププランドの街灯りが見える。