02.ダークマター襲来



 その日、カービィは不思議な夢を見た。
 失われた視界、不自由な感覚、息の詰まるような暗闇。逃げられないほど、深い、闇……。
 不安と孤独感に押し潰されそうになり、声を張り上げるが、誰も答えない。
 先の見えぬ恐怖に屈しようとしたとき……何かが瞬いた。
 カービィは、その光に向かって、手を伸ばす。
 紅い火が、ちいさく揺らめいていた。

 ――誰かが……呼んでる……?

 一粒の星のように輝くその火に、触れようとする。
 今にも消えそうな、その灯りは、
 闇の中で、凍えながら……ただただ孤独に、輝いていた……。



「…………」
 カービィはぼうっとしながら、ベッドのなかで先ほど見た夢の残滓を反芻していた。
「……不思議な、夢……だったなぁ……」
 そう声にした瞬間、背中に震えが走る。
 夢の世界で感じた闇の息吹が、すぐそばに感じられるほど、妙に記憶に残っていた。
 カービィは首を振り、ベッドから飛び降りる。
 爽やかな、春の朝だ。
 小鳥はさえずり、風は心地よくカーテンを揺らす。カービィは日課の着替え・歯磨き・洗顔を手早く済ますと……朝食の支度のため、いそいそと戸棚をいじる。
 カービィは、若干10歳の少年だ。身よりはいない。だが、このプププランドでは国王のデデデがカービィの援助をしてくれていた為、衣食住に困ったことはなかった。カービィが暮らすこの小さな白い家も、デデデがわざわざ建ててくれたものだ。
 何故、労働力にもならない子供の自分に、こんなに善くしてくれているのかとデデデに訊くと、こう答えた。
「昔、お前の……親みたいな奴と、約束したんだよ。
次世代の星の戦士が現れたときは……見守ってやってくれってな」

 星の戦士。
 それは、カービィがプププランドへやってくる前から、カービィの二つ名のように付いて回った単語だった。
 遙か遠い虹の島に住んでいた頃から、『星の戦士カービィは、生まれた役目を果たさなくてはならない』と。『そのためには、プププランドへ向かわなくてはならない』と。島の予言者であるカブーに、そう聞かされた。
 育ての親の元を離れて、幼いカービィが海を渡る旅をするのは大きな試練だった。しかし、自分の本当の正体、自分の本当の家族……その手がかりを得るという願いが、想いが、苦難を乗り越える糧となった。
 そしてデデデと出逢い、ようやく、星の戦士の「先代」……デデデ曰く、親に近しい存在との接点を、見つけることができた。
 しかしデデデは、カービィにそれ以上を語ることは、決してなかった……。

「……うーん、今日はジャムのパンにしよう!」
 紙袋に詰め込まれたコッペパンを四つほど取り出し、イチゴジャムと、冷やした牛乳をテーブルに置く。ついでと言わぬばかりに、リンゴやバナナも山盛りにして。
 ……このカービィという少年、ちいさな背丈の割に、よく食べるのだ。
「いただきまーす!」
 顔いっぱいに幸せを浮かべて、カービィは両手を合わせる。



 ――星の戦士とは、宇宙の平和を脅かす驚異と、戦うための存在。闇の使徒や悪夢の騎士が、人々の幸福を根こそぎ奪おうと牙を剥く。その牙に対抗し得る、唯一にして最強の矛。それが、星の戦士……。
 カービィは、確かにその力を受け継いでいた。だが、その辿るべき宿命の重みを、カービィはまだ知らない。幼く、柔な四肢は身を裂かれる苦痛を知らず、優しく温かな心は、狂気に呑まれる恐怖を知らない。

 この時までは。
 そう、この瞬間までは……。



 コン、コンッ

「?」
 遠慮がちなノックの音を、カービィは最初、聞き間違いかと思った。次に大きめのノックが続いたとき、思わず飛び上がってしまったほどだ。
「は、はい! 今行きます!」
 こんな時間に、お客さん……?
 カービィは頬のジャムを拭いながら、疑問符を頭に浮かべていた。城のワドルドゥ隊長が、臨時訪問に来たのだろうか。メタナイトが、稽古に付き合わないかと誘いに来たのだろうか……それとも、デデデが散歩がてらに?
 答えが出せぬまま、ドアノブに手をかける。
 白く強い陽射しが、ゆるやかな空気を割り入った。

「――あなたが、星の戦士のカービィさんですか?」

 その少年は、真っ先にその言葉を口にした。
 物憂げな眼差しをした、群青の髪の少年だった。
「……あ……、」
 反射的に、頷くが……同時に不安と驚愕が顔に浮かんだ。
 どうして、星の戦士の名を、この少年は知っているのだろう。
 どうして、この家が分かったのだろう。
 ――どうして、彼は、ボロ布のような黒い服を着て、その腕や肩から血を流しているのだろう。
「ねぇ、君、大丈夫…!? …体、ケガしてる…!」
 カービィは思わず駆け寄り、少年の手を握った。
 驚いた。彼の掌には……およそ、体温と呼べるものが存在しなかった。まるでマネキンの手のようだった。
「……こんな僕を……心配してくれるのですね。あなたの気高く優しい心……それこそが、あなたが星の戦士である、何よりの証明なのでしょう」
 そう言い、少年はその手を握りかえした。
 射抜くように、真っ直ぐにカービィを見つめる。
 あまりにも真剣な、強い強い、群青の目が。
「僕の名は、グーイ。
カービィさん、どうか、あの人を救ってください」
 グーイは、血を吐くように叫ぶ。
 その叫びはあまりにも悲痛で、彼自身でさえもコントロールできなかった。
「……あの人、……って……」
「星の戦士、ルビィ」
 グーイが、強くカービィの手を握る。
 心臓が跳ね上がって、止まらない。
 ルビィ。
 その名に、どこか聞き覚えが――あった。
「ダークマターに囚われた、紅光の星の戦士。
そして……あなたの、双子の兄にあたる方です」
 カービィは……思わず、腰を抜かした。

 星の戦士。兄。ルビィ。
 ……ダークマター。

 頭のなかで反響する、いくつもの単語。脳裏を蘇る、夢で見た紅い火。
 記憶と、思考が、交錯する。
 その混乱への答えが導き出される前に――空色の瞳が、何かを捉えた。
 黒い流星だった。
 矢のように、真っ直ぐ……グーイへと向かう一筋の流星。
「……グーイ、逃げて」
 カービィは、無意識にグーイの腕を掴み、ぐいっと引き寄せた。
「……う、うあああああっ!!」
 横なぎに、跳ぶ。
 その黒い流星は、グーイが立っていた地表を深く抉り、そこにあったカービィの家を吹き飛ばす。衝撃と爆風が二人を襲い、草原を転がった。
 唖然としたまま、煙を噴き上げるそこを見つめる。
 煙の真ん中で……光さえ食らう闇の色と、血のような赤い色を見た。
(……家、壊れちゃった……どうしよう、大王に叱られる……)
 あまりの非現実の連続に、カービィの思考は麻痺していく。
 グーイは、軽く咳をしながら起き上がり……憎々しげに、その闇色を睨んだ。
「……ゲホッ、……ヒュージの放ったダークマター兵ですか……。こんな所まで追ってくるなんて……」
 カービィが振り向くと、グーイは黒服の埃を払いながら、草を踏みゆらりと立っていた。
 よく見れば、黒い服は濡れたように重くなり、片腕は動いてさえいないようだった。服の下の肉体が、どれだけのダメージを受けているのか。カービィは悲鳴を上げ、グーイに駆け寄る。
「グーイ、ダメ…! そんな傷で、立っちゃダメだよ!」
「カービィさん……」
 グーイは、唇を噛みながらカービィを振り向いた。その表情には、憔悴と焦りが浮かんでいた。
 なにか言いたげに、口を開いたが……次に飛び出したのは、言葉ではなく鮮血だった。
「グーイ!」
 グーイはそのまま、地面にくずおれる。苦しげに咳をし、薄緑の芝を赤く染めていく。
 ――今、理解できることは、僅かしかない。
 グーイが、深く傷ついていること。
 双子の兄が、どこかで助けを待っていること。
 ……そして、
 自分には、彼を救う力がある……らしい、こと。
「……グーイは、ぼくを頼ってくれた。ぼくを見つけて、ぼくに声を掛けてくれた。ぼくに、教えてくれた……」
 カービィは、立ち上がる。
 汚れた膝とシャツを、頬の擦り傷を、拭う。
「ぼくはグーイを、お兄ちゃんを、助けたい!」
 踵を返し、正面から、墜落した黒いそれを睨む。
 それは、晴れた煙のなかで、ブスブスと燻りながら震える、漆黒の闇の塊だった。ギョロリ、と目玉が中央に生える。ダークマター……。血のような赤い色、邪悪な眼差しが、カービィの勇気と対峙する。
 カービィの掌に金色の光が集まり、それはおもちゃのような星屑の短杖となった。
「スターロッド!」
 カービィは叫び、草原を駆る。
 ダークマターも呼応するように、黒い霧を撒き散らしながら、語ることなくカービィに突っ込む。
「…………」
 グーイは、血を拭いながら、ゆっくりと立ち上がり、朦朧とする頭で目の前の戦いを見つめた。
 口元に流れる、赤い血……と、交差する、黒墨のような“なにか”を、乱暴に拭いながら。