2.白昼夢(1 〜空色のカーテン)



 ハルバードがハーフムーンに着陸した時、星の絶対時刻を示す大時計は丁度午前4時の文字盤へと針を動かし、緩やかで大人しいオルゴール調の音楽を薄闇に響かせていました。この星では、時間も空も天気も、全てをコントロールすることができます。だから、「今」ここは絶対に朝の4時で、空は朝の4時らしい、しっとりとした静寂に包まれていました。
 かつん。
 朝靄の中、コンクリートの大地を蹴って、まずメタナイトが星に降り立ちました。続いて几帳面そうな表情をしたトライデント、そしてキョロキョロと落ち着かなさそうなメイス、そして、彼らを追い越すように楽しそうに駆け下りていくのはアックスです。しかし、アックスはここで一度ふと立ち止まり、くるりと船の方を振り返って、再び船内に戻って行きました。次に彼が戻ってきたとき、彼は、非常に不機嫌そうな顔をしたジャベリンの手を引いて来ていました。
「いちいち呼びに来る必要ねぇだろうが……面倒臭ぇな。」
「だーめ! メタナイツは、みんなでいつも一緒なんだからメタナイツなんだよ!」
 メタは、そんな彼らの様子を見ながら、思わず微笑んでしまいました。
「メタナイト様……じゃあ、わし達はお先に部屋に戻ってるだス。」
 遠慮がちなメイスの声に、メタはようやくアックス達から視線を戻しました。メイスとトライデントは自分たちの荷物……メイスは重たそうで薄汚れた、古くて重量感のある鞄を、トライデントは“UGM−96A”と刻印された、シンプルだけど高そうな鞄をそれぞれ持っています。メイスの鞄にはギリギリまで色んな荷物が詰まっているようでしたが、トライデントの鞄には、本当に必要最低限のものしか入っていないようでした。
「ああ……すまないな。私は後で行く。アックス達も連れて、先に戻っていてくれ……
せっかく、トライデントもハーフムーンに戻って来れたことだしな。」
 トライデントは少し俯き加減に、「すいません」、と呟きました。メタは小さく笑って、トライデントの肩に手を置きます。
「謝る必要など、最初から無いだろう…? サーキブルも、久々にお前に会えることを心待ちにしているはずだ。存分に土産話でも聞かせてやれ。」
「……はい。」
 僅かに顔を上げ、苦しそうに笑ったトライデントの表情を見て、メタは胸がギリッと痛むのを感じていました。彼は一度だけ、けれど確かな敬愛を込めて会釈をし、飛行場から本部へと続く回路の方へと消えて行きます。それに続くように、メイスもぺこりとお辞儀をして、トライデントの後を追いました。一部始終を見ていたジャベリンは、槍に引っかけた非常に少ない自分の荷物を持ち直しながら、無表情に言います。
「……話が出来るような状態なのかよ? メタ。」
 メタナイトは、ただ首を振りました。否定。メタの柔らかな青い髪が、切なくそれに従います。
「……お前が知ってる通りだよ。サーキブルの様態は…………だけど、私に他に何を言える? サーキブルは、あの病室を今でも訓練学校の医務室だと信じているんだぞ。」
 ジャベリンは無言のまま、メタの隣を横切りました。通り過ぎざま、彼はぽつりと呟きます。
「何も言わない、という選択も有ったんだろ?」
 メタの胸が、もう一度締め付けられました。
 その通り、なのです。
 下手な優しさは、結果として人を傷つけてしまう。傷つけたくなくても。傷つけたくなかったからこそ。
 ジャベリンとメタの会話の意味がわからなくて、1人きょときょとしていたアックスに、メタは弱々しく笑いかけます。
「アックス……荷物はどうした?」
 アックスは、再びハルバードへと駆け戻って行きました。





「…………サーキブル、入りますよ。」
 かちゃり。
 春のように穏やかな日差しの中、その病室は、院内でも端の方……まるで隔離されたようなその場所に、ひっそりと存在していました。ドアを開ける音が、静かな空間に微かなさざ波を立てて消えます。
 トライデントは、真っ白の花束を抱えて、まるで祈りを捧げる少女のように、静かに彼の元へと歩きます。
 彼は、まるで成長することもなくそのまま枯れきってしまった蛹のようでした。
 開けたままの目、半分開いた唇、青白くて粉っぽい皮膚、それら全てが衰弱し、乾き、力を失っています。
 ベッドに横たわったまま、彼は白い天井だけを見ていました。トライデントは、もう一度声をかけます。
「……サーキブル。」
 ガバッ
 その瞬間、サーキブルは、その枯れた身体のどこにそんな力があったのか、トライデントが思わず後ずさりしてしまうような勢いで体を起こしました。はね飛ばされた布団が、ぼふんという音を立てます。
「トラか?」
 興奮気味、と言っても差し支えのないような彼の笑顔を見て、トライデントは少し苦笑を浮かべるだけでした。だけどそれは、どちらかというと安堵の苦笑です。彼の目のキラキラした光、それはトライデントをとても懐かしい気分にさせました。
「久しぶりですね、サーキブル。」
 彼はもう一度、にっこりを笑って見せます。今にも切れそうな唇と、笑ったことでより深く刻まれた顔の皺。昔は彼の顔の上に、そんなものは、無かった。学生の頃、彼は双子の弟と一緒に、いつでも夢を追いかけていた。立派で強い騎士になる夢。結局、サーキブルは“ナイト”の称号を得ることはできなかったけれど、それでも兄弟一緒に、そして他の親友達とも一緒に新鋭部隊に入れたことに大喜びして、学生最後のパーティでは一番盛り上がって大騒ぎしていた。こんな、白いベッドに横たわったまま枯れて行く運命など、微塵も匂わせていなかった。……こんな運命……――――。
 そこでやっと、トライデントはサーキブルがベッドの端を繰り返し叩いていたことに気付きました。座れ、ということなのでしょう。トライデントは「わかりましたよ。」と答えながら、ひとまず持っていた花を花瓶に生け(前トライデントが持ち寄った花が枯れてしまってから誰も触っていなかったようで、うっすらと埃かかったその花瓶を軽く洗い、水を新しく取り替える段階からやらなければならなりませんでした)、ベッドサイドの窓を開け(鉄格子の重々しいシルエットは、トライデントを不快な気分にさせます。それは転落よりも、自害を防止するためのものです)、一通り部屋を見て回り、特に問題が無いとわかってやっと、サーキブルの指示した場所に座りました。ちょこんと、そんな所に座ることに抵抗があるような、緊張感の抜けない座り方です。サーキブルは、大声で笑いました。
「お前、卒業前から全然変わらねぇなぁ。几帳面でくそ真面目で、緊張しいで。ほら、もっとリラックスしろよー。」
 脇をくすぐられて、トライデントは思わず間抜けな悲鳴を上げてしまいました。それから二人で顔を見合わせ、笑います。こんなに笑ったのは久しぶりだ、というくらい笑いました。二人して涙が出るほど笑った後、サーキブルは物のついでのように、至極軽く、本当に軽い口調で、訊きます。
「そういえばさぁ、ロードキブルは?」
 ゾッとして、トライデントの身体中の血が一瞬で冷えるのがわかりました。
 サーキブルは、そんなトライデントの様子にまるで気付かないまま、独り言のように続けます。
「さっきっからさぁ、姿を見せないんだよ。いや、ちょっと前まではちゃんといたんだぜ? また部屋で勉強でもしてんのか?」
 ちょっと、前までは、ちゃんと、いた。
 トライデントは、頭の中でそれを繰り返しました。
 そんなことはあり得ない。
 ロードキブルは、彼の双子の弟は、彼は、彼は、彼は。
 もう死んでる。
 私の記憶が正しければ、彼は、サーキブルと私の目の前で、魔獣に拷問され抜いて死んだ。
 血の匂いと火薬の匂い。
 あの闇の濃さ。
「俺に用事があるって言ってたのに、どうしたんかなぁ……おいトラ、お前はロォのこと何か聞いてない?」
 トライデントは一瞬ビクリと身じろぎ、すぐ首を横に振りました。声が出なかったのです。サーキブルはうーんと唸り、目の光を少しも曇らせないまま、半分笑いながら呟きます。
「首が欲しいんだ。」
 トライデントの心臓は、絞め潰されてそのまま壊れてしまいそうでした。
 サーキブルは、鉄格子の付いた窓の外を何をするでもなく見つめています。
「あいつさぁ、ずっと首を探してるんだよ。変だろ? ハハハ。どこ行っちまったんかなぁ。首。
首見つけてやればさぁ、戻ってくると思うんだよ。だって、首、超大事じゃん? 首だぜ、首。ハハハハ。バカだよなぁ。」
 トライデントは、何も言えませんでした。今にも泣きそうで、今にも叫び出してしまいそうで、今にも、あの時の恐怖、あの時の狂気、あの時の憎しみとそして哀しみを思い出して、気が狂ってしまいそうでした。そう、狂っている。サーキブルも、自分も。あの事件に関わった人間で、運が悪かった者はみんな殺され、更に運が悪かった少数はこうして、狂気に囚われてしまった。私自身、どうして今のこの精神が、正気だと言えるのだろう。病院に収監されているサーキブルと、何が違う、と。
 ……キィィィィィ…ン。
 サーキブルの見つめていた窓の向う、薄青い空を灰色の飛行機が飛んでゆきます。民間の船です。きっと、この近く住む家族に会うために飛んできたのでしょう。サーキブルはそれを指差しながら、首を傾げます。
「あれ、敵の船だよなぁ? どうすれば撃ち落とせるっけ? 嫌だなぁ、早く消えてくれないかなぁ。敵はさ、やっぱみんな、死ぬべきだよ。恐ぇもん。だってきっとあいつらがさぁ、首隠したんだよ。ロォはどこにいるんだ?」
「サーキブル。」
 トライデントの掠れた声は、そのほとんどが飛行機の音に掻き消されてしまいました。風とエンジンの燃える音です。トライデントは、サーキブルの手を取り、弱々しく笑いました。
「……ロードキブルは、すぐに帰ってきますよ。勉強が少し長引いてるだけです。あの子が人一倍努力家だということは、あなたが一番よくわかってるでしょう?」
 ……ああ。
 こうして人は、嘘を吐く。傷つけまいとすればする程、“嘘”の保護膜で言葉を覆ってしまう。サーキブルは窓から目を逸らし、そうだよな、と、笑いました。
 トライデントはもう、この部屋にいることに耐えられませんでした。「また近いうちに来ます」と言って手を振りながら、彼の心は足下からぐらついていて、今にも倒れてしまいそうです。倒れてしまえばどんなに楽でしょうが、それができないのは、彼がまだ歩かなくてはいけない、進まなくてはいけないと、自分に命じ続けているからです。重くて折れそうな足を引きずり、彼は泣くことも出来ませんでした。





 ――――隊員41名中、生存者2名。両者心身共に重傷、中央病院に収監。その後、“トライデントナイト”は回復が見込まれ、一時退院。“サーキブル”は精神の損傷が激しく、正気を疑わせるため引き続き収容。
 その後、“トライデントナイト”が訓練中に暴走。仲間数名に大怪我を負わせ再び病院に収監。精神鑑定不可能。星騎士団より除名及び精神病院への無期限強制収容が言い渡されるが、“メタナイト”の弁護により辛くも容認される。その後、“トライデントナイト”は薬物療法を続けることを条件に特殊部隊“メタナイツ”に参入。今に至る。

 この事件により、容疑者として通称“魔獣:ハートの6”と“魔獣:ダイヤの6”が指名手配される。
 また被害者の1人、“ロードキブル”の死体から首だけが見つからなかった。その周囲のどこを探しても、頭蓋骨の欠片すら見つからず、そして今も、それは無い――――。